第80話 んあー




「じゃあルプルはお風呂に入ってくるのだ! まだ二人とも帰ったらだめなのだ!」


 ルプルさんはそう言うと、楽し気な足取りで浴室がある方向へと歩いて行く。

アルコールを取った状態ですぐにお風呂って危ないんじゃなかったっけ? まぁルプルさんはお酒に強そうな感じがするし、そこまで飲んでいなかったから平気か。


「……ルプルがどこかに行った」


「お風呂に行くってついさっき目の前で言ってたな」


 この家はメノさんと同じ家の造りだし、葵たちと一緒に作ったからどんな間取りなのかは詳細に把握できる。トイレとかも迷わないし、こういったところは便利だよなぁ。


「……ソファがいい」


 ルプルさんがお風呂場に行くのをぼんやりとした顔つきで見送ったメノさんは、独り言のようにそう呟いた。


「まぁこのままダイニングにいたらメノさん落っこちそうだしなぁ。そうしようか」


「……ん」


「というか本当に平気? ルプルさんはああ言ってたけど、きつかったら家に帰ってもいいんだぞ?」


「……んあー」


 どっちだよ。

 口をパカリと空けてなんとも言えない気の抜けた返事をしたメノさんは、椅子から立ち上がってリビングのソファに向かってトテトテと足を進めていく。ふらついたので、とっさに彼女の横について背中を支えた。


「はいはい、一人で歩いたらだめですよ~」


「……アキト敬語使った、罰金」


「罰金は初耳だなぁ」


 覚束ない足取りのメノさんを支えながらソファに座らせてから、ダイニングテーブルに置いていたお酒を持ってくる。どうせまたメノさんに『飲め』って言われそうだし。


 お酒の入った樽はスツールに乗せて近くに持ってきて、リビングのローテーブルにグラスを一つ。メノさんの分はこれ以上飲ませないためにもダイニングテーブルに置いたままにした。


 斜め向かいのソファに座ろうとしたら、テシテシとメノさんが自分の隣の空いたスペースを叩いていた。どうやらここに座れという意思を表明しているらしい。そういうガードの緩いことをしていると、変な男に引っ掛からないか心配である。


 俺自身が『変な男』のカテゴリーに入らないことを祈りながら、メノさんの隣に腰を下ろした。


「アレだな。メノさんはお酒飲むとき、ちゃんと介抱してくれる人がいるときにしたほうがいいぞ。こんなふにゃふにゃした状態で、よこしまな考えをする男が寄ってきたら対処できないだろ?」


「……アキトがいるときだけお酒飲む」


 彼女はそう言って、テーブルの上に置いてあった俺のグラスを手に取り、ワインを喉に流し込む。


「ちょ、それ以上はやめたほうが――」


 慌てて声を掛けるが、メノさんの喉は上下に動き続ける。彼女の手に触れて無理やり中断させるという手段は、気恥ずかしくてできなかった。


 結局、グラスが空になるまで一気にワインを飲んでしまったメノさんは、グラスを置いてからキッと俺に睨むような視線を向ける。しかしすぐに蕩けたような笑みになった。


 情緒不安定すぎないか? 母さんも酔っ払うことはあったけど、ここまでわかりやすくはなかったぞ? 普段から酔ったようなテンションと言われたら何も言い返せないが。


「……私はお酒を飲んでない」


「いや飲んでるでしょう」


 いったいいまのメノさんはどういう思考回路になっているんだろう。自分が酔っ払ったらそれどころじゃないんだろうけど、人の酔う姿を見るのは面白いな。


「……飲んでない、敬語使った、握手」


 そんなよくわからない文章を口にして、左手を差し出してくる。特に何も考えず右手を握り返すと、メノさんはぎゅっと俺の手を握って、さらに右手も追加して包み込むように俺の手を握った。


「……んー」


「メノさん、酔っ払ったらおかしくなるんだなぁ。普段は飲んでないって言ってたよな?」


「……んあー」


 可愛い。無防備が過ぎる。質問の答えは返ってこなかったけどこれはこれでいいやとおもってしまった。


 しかしなぁ、このままお姫様抱っこして家に持ち帰っても何も抵抗しそうにないぐらい危ういぞ。もちろん、紳士な俺はそんなことをしませんよ。酔っている相手にそんなことをしたらあとで何を言われるかわかったもんじゃないし。


「……アキト」


「どうしたー?」


「…………」


 返事がこなかったので隣に目を向けた瞬間、コテンと俺の肩にメノさんがもたれかかってきた。そしてびくりと体を震わせる俺の気持ちなど全く考慮していない、心地よさそうな寝息を立て始める。唐突すぎる寝落ちだ……いや、だいたい寝落ちってこんなもんか?


「ここで寝られても……ルプルさん、客室にベッドと布団置いてたっけ?」


 俺は頬をポリポリと掻きながら、苦笑した。


 というか、家が隣だから運べばいいだけか? ルプルさんに頼んで、彼女が引き受けてくれたら話は速いんだけど、こういうところでストレートに動いてくれないのがルプルさんだからなぁ。


 そして俺の嫌な予感は当たり――『お風呂に入ったら眠くなったのだぁ』と目元をこすりながら現れたパジャマ姿のルプルさんは、『おやすみなのだ』という言葉を最後に寝室にスタスタと向かって行く。なんとなく、こんなことになりそうな気がしたよ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る