第75話 早々に騒がしい
翌朝目覚めると部屋に母さんの姿はなく、隅のほうに折り畳まれた布団と枕が置いてあるだけだった。葵たちはまだ目覚める時間ではないので、行儀良く寝ていたり、逆回転していたり、個性豊かな寝相で気持ちよさそうに寝息を立てている。
そろそろと音を立てないように外着に着替えてから部屋を出る。それから階段を降り、冷蔵庫に入っている牛乳をコップに入れて一杯飲んだ。
母さんはもう起きたんだろう。まだ朝の六時だってのに、お早いことで。
もしかしたら葵が合体状態で落ち着かないみたいに、世界樹から分体を作り出している状態に違和感があるのかもしれないなぁ。
そんなことを考えながら洗顔と歯磨きを終え、すでに活動を開始しているであろうリケットさんとロロさんの挨拶に向かうことに。玄関の扉を開けると、家の前の道でメノさんと母さんが向き合っていた。
それはすでに明るくなってきているけど、まだ早朝なんだよなぁ。メノさん、もしかして母さんに挨拶するために早起きしたのだろうか?
母さんはこちらに気付いてちらりと俺のほうを見たが、メノさんは意識を母さんに集中させているのか、真っすぐに前を向いている。
「……私の名前はメノ。アキトの母親と聞いてる。よろしく」
「あら、ご丁寧にありがとうございます。私は五十嵐静流です」
普通に自己紹介をしていた。メノさんが挨拶の練習をしていたと母さんから聞いているので、いったいどんな挨拶をするつもりだろうと思っていたけど、特別なことはなにも言わないみたいだな。
「……敬語はいい。それと、相談がある」
「……あら? 本当にいいの? メノさんは私よりも年上だし、七仙ってすごい立場なのに」
「……構わない、それより相談」
初対面で即座に相談とは、メノさんらしいというかなんというか……いやいや、そんなことより、俺はこの会話を聞いてもいいのだろうか? メノさん、左に顔を向けたら俺いますよ? というかたぶん視界に入ってますよ?
「どういったご相談かしら? 子供たちに害がなければ、大抵のことは聞きますよ」
母さんがそんな風に言うと、メノさんは頷いたあと、落ち着きなく体をもじもじと動かし始めた。そして、口を開く。
「……アキトに、敬語はいらないっていうタイミングを逃した。ずっとよそよそしい」
メノさんは言い終わると、しゅんとした様子で地面に目を向ける。
いやいやいや! 七仙の大賢者さん! 抱えているお悩みが俺からの言葉遣いってそんな――いや、すごくメノさんらしい? らしいのか? それもよくわからないけど、ともかく彼女的には真剣な相談のようだ。
ひとこと言ってくれたら、俺も改善していたのだけど……まぁたしかに、タイミングを逃したと言えば逃しているのかもしれない。俺からメノさんに『言葉遣い崩してもいい?』なんて恐れ多くて言えないし、年齢のことを抜きにしたとしても、尊敬しているという部分は残るからなぁ。
しかし、どうしよう。いま玄関扉の目の前で棒立ちになっている俺が動き出したら、彼女は俺の存在に気付いてしまうのではないだろうか。そして、今しがたの『五十嵐明人だけには聞かれたくない相談』を聞かれてしまったということを知ってしまうのではないだろうか。
それは、なんとかして避けたいところ――
「ちなみに明人はいまの話を聞いてるから、すぐにでもフランクに話してくれると思うわよ? ほら、あそこで盗み聞きしてる」
――だったのだけど、一瞬にして状況が変わった。なに言ってんだよ母さん! 見て見ぬふりしてくれてるんじゃなかったんかい!
母さんが俺を指さしながら言ったので、メノさんはあっさりと指の先にいる俺を見つけてしまった。顔を真っ赤にして、目を見開いている。
本当すみません。
「――あ、えっと、まず、メノさん、おはよう?」
あんな話を聞いたあとに『おはようございますメノさん』なんて言えるわけないじゃん。違和感がすごいけど、我慢するしかないじゃん! いきなりのことだったのでスラスラと口は動かず、とぎれとぎれの言葉になってしまった。
「…………おはようアキト」
「すみませんでした! 盗み聞きするつもりじゃなかったんです!」
メノさんからの返答があったことで、急激に今の自分の発言が照れ臭くなってしまい、俺は土下座の勢いで頭を下げた。というか、顔が見るのが怖い。石畳の道、まだ綺麗だなぁ。
「ピピー! 明人、イエローカード! 敬語はダメっていったでしょう! 何やってんの! メノちゃんががっかりしちゃうでしょう!」
「メノちゃん!? あんた自分の何倍も年上の人に向かって何を言ってんだ! そして指笛すんな! まだみんな寝てる時間なんだぞ!」
「アキトの叫び声のほうがうるさいと思うわね~。それにメノちゃん、あんな風に年齢で距離を取られると嫌よね~。他の七仙の人は知らないけど、メノちゃんはそういうタイプよね~」
「……シズルはよくわかってる。でも、人によるかも。シズルはいい」
「ほら~私の言った通りでしょう?」
その勝ち誇った顔をいますぐやめてくれ。
「……メノさん、本当にすみません、騒がしくて距離感のおかしい親で……」
距離感がおかしいというより、たぶんメノさんのことを子供みたいに見てる感じがするんだよなぁ。たしかに見た目的にはそうだし、俺もたまに『学生みたいだな』なんて思ったりもするけどさ。
「ピピー! 明人、レッドカード! 敬語二回目! 罰としてメノちゃんの言うことなんでも聞くチケットが発行されます」
俺の人権を無視するようなチケットを勝手に発行しないでくれませんかねぇ。
そしてメノさん、めちゃくちゃ期待したまなざしを母さんに向けてるみたいですけど、そもそも俺、メノさんのお願いは大抵聞いていると思いますよ?
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