第72話 お ま た せ




 お米があれば色々作れるだろうなぁ。


 大昔から存在していたのにも関わらず、普及せずに衰退したということは育てるのに難があったのか、もしくは味がこの世界の人の舌に合わなかったのかは知らないが、できれば後者であってほしくないなぁと願うばかりである。


 どうせなら、住民全員に気に入ってほしいし。


 パンはパンで美味しいよ? なんて言ったって酵母が世界樹の果実から作られたものなのだし、小麦もこの魔素豊かな土地で育てている。最高級品と言ってしまってもいいかもしれない。


 だがそれはそれとして、俺は彼女たちにお米も好きになってほしいのだ。

 浄化の魔法で生ものも大丈夫だからお寿司もいけるだろうし、牛丼親子丼、ご飯に味噌汁――あぁ……味噌がないか。大豆がないもんなぁ……。早いところ大豆の代わりになる作物も探したいところである。


「……▽〇×◆□」


「えっと――集中、しなさい?」


「……そう、勉強中」


「すみません」


 現在、葵たちと一緒にメノさんから異世界語を教えてもらっているところだ。文字の種類は三十種類ぐらいしかなかったからすぐに覚えられたし、簡単な単語なら聞き取れるようになってきた。


 俺ってこんなに物覚え良かったかなぁ?


 レベルの影響なのか、それとも地球での俺がまともな思考ができる精神状態ではなかったのか知らないが、とにかくちょっとだけ記憶力とか頭の回転が良くなっている気がする。


 知力のステータスはないのだが、見えない部分も補正がかかったりしているのかなぁ。


「お兄ちゃん怒られてる~」


「メノ先生! 不真面目なお兄ちゃんには補習が必要だと思います!」


 ヒカリがからかうように言って、便乗するようにアカネが声を上げる。

おいおいアカネ、キミはそんな風に俺を攻めるような性格だったかい? どちらかというと、俺のために動いてくれそうな気が――いや、不真面目を正そうとしているのなら俺のためなのか。


 まさか本当に補習授業を受けることになるのだろうか――そう思いながらメノさんを見て見ると、彼女はアカネがいる方向を向いてニコニコしていた。『もっと言ってやれ』とか思われているのだろうか。


「……あ、アキトは夜に追加で勉強させる。夜の九時から三十分間」


「なんかメノさん、楽しんでません?」


 もしかしてメノさん、ちょっとSっ気があったりするのだろうか。

 そんなことない――と否定したメノさんは、再度授業を再開。葵たちには「ちゃんと集中しないと」と注意されてしまった。お米の誘惑に負けるお兄ちゃんでごめんよ。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 その日の夜、補習の約束をしていた夜九時の五分前――俺はメノさんの家にやってきた。直前までルプルさんが遊びに来ていたようなのだが、彼女は俺と入れ替わるように「アオイたちと遊んでくるのだ!」と俺の家に向かって行った。相変わらず葵たちよりも子供っぽいよなぁ。いつもの魔王様らしい服装ではなく、パジャマ姿だった。


 そしてそれはメノさんも同じで、いつものローブやマントは身に着けておらず、柔らかそうな生地の半そで半ズボン。上着の前に付いたボタンは一つだけあけられていて、鎖骨がちらりと見えて――ってそんなところをまじまじと見てるわけではありませんよ。


「……アキトはお風呂もう入った?」


「はい。夕食の片づけが終わったらすぐに入りましたよ」


 俺は一応外着を身に着けているが、昼間に着ていたものとは違う服を着ている。お風呂に入る前に来ていた服を風呂上りに着たくないし。


「もしかしてお邪魔しちゃいましたかね、ルプルさんと話してたみたいですし」


「……んーん、ちゃんと夜九時にアキトに勉強教えるって言ってたから」


 リビングのソファに案内されながら、そんな会話をする。まぁルプルさん、寝る前までは色々な家にお邪魔したりしてるからなぁ。みんなで集まって麻雀とかやる時もあるが、個別で過ごす日もある。そういう日、ルプルさんは俺やメノさんの家に行ったり、リケットさんやロロさんの家に行ったり、最近ではディグさんの家に行ったりもしている。自由だ。


 まぁそれはいいとして、今は勉強である。

 夜、女性の家で二人きり――そんな状況で日中より薄着のメノさん意識しないということなどできないはずもなく、『もしかしたらドキドキするような展開があるのでは?』なんて思ったけれど、普通に勉強した。三十分間、みっちりと勉強した。


 メノさんが楽しそうに教えているから別の話題を切り出そうと言う気にもなれず、俺もそれにこたえるように真剣に取り組んだ。昼間からその集中力を発揮しろって話ですよね、すみませんでした。


「……よく頑張った」


 そう言って、メノさんはソファに座る俺の横に立ち、頭を撫でてくる。見た目的には子供が大人の頭を撫でているように見えるだろうけど、彼女の行動は間違ってないんだよなぁ。七百近くも年上なのだから。


「なんだか転生してから物覚えが良くなってるみたいなんで、思ったよりも速く覚えられそうです」


「……アキトはすごい」


 彼女は俺の頭に手を乗せたまま、嬉しそうに頬を持ち上げる。


 いつまでこの手は俺の頭に乗せられているんだろう……メノさんに向かって『手、どけてください』とは言えないし、そもそも別に嫌じゃないし。気まずさと恥ずかしさはあるけども。


 再度頭を撫で始めるメノさんに苦笑していると、玄関扉が開く音が聞こえてきた。

 鍵もかけていないから出入りは自由なのだが、この躊躇のなさはルプルさんだろうか? そう思いながら、音のした方向に目を向けると――。


「――あっ、ごめんね明人! メノさんもごめんなさいね! ごゆっくり! 邪魔者は颯爽と去るわ! ――葵、お兄ちゃんはちょっと忙しいみたいだから、帰ってこないかも。今日は私と一緒に寝るわよ~」


 そして、玄関扉がばたんと閉じられる。

 扉の向こうからは、ワイワイと賑やかな声が聞こえてきた。それとは対照的に、俺とメノさんの間には沈黙が流れる。


「……アキト、あの人は……? すごく神聖な雰囲気がした」


「騒がしくてごめんなさい。俺の母親です……」


 感動する暇もなかったわ! たぶん世界樹状態で俺たちのことを見ていたから感動が薄れてしまってるのだろうけど、あんまりじゃないか!?




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