第30話 朝の一幕




 翌朝、俺は普段よりも少しだけ早い朝の五時に目を覚ました。


 目覚ましがあるわけでもないし、あまり寝られなかったわけじゃないし、誰かに起こされたわけでもなく、自発的に。


 みんなが寝ているときに仕事に励もう――なんて殊勝な考えを持っていれば人として尊敬されるようになるのかもしれないが、単純に畑の作物がどうなったか気になってしまっただけである。


 遠足が楽しみ過ぎる子供かよと自分で突っ込みたくなった。


 ふらふらとした足取りで、しかし、葵たちを起こさないように静かに移動。涼しい朝の空気で深呼吸しながら家の裏手にある畑に行くと、そこにはすでに先客がいた。


 腰をかがめ、赤子でも撫でるように優しくひとつひとつの作物を丁寧に観察している。


「おはようリケットさん」


 俺が声を掛けると、彼女はビクッと肩を震わせてその場で跳ねる。まだ力加減が上手くできないのか、一メートルぐらい跳びあがっていた。


「あ、アキトさん!? どうしたんですかこんな時間に!?」


「畑がどうなったか気になってさ。もしかしてリケットさんも一緒?」


「は、はい! 畑仕事は孤児院の裏手で少しやっていたことがあるんですが、ちゃんと育つか不安で……もし育たなかったら、皆さんにご迷惑をかけてしまいますし」


 彼女はそう言って頬を人差し指で掻き、引きつった笑みを浮かべる。

 心配性も一つの個性だとは思うけど、少なくとも畑に関しては気にすることはない。


 俺は彼女に責任を押し付けたくて畑仕事を任せたわけじゃないし、もちろんリケットさん以外の誰かがこの役目を担ったとしても、答は一緒だろう。


 ただ、自分がその立場になったら、たしかに罪悪感は覚えてしまうだろうが。

 そうなったらそうなったで、葵たちが『気にしすぎ!』と笑い飛ばしてくれる気がするなぁ。


「大丈夫だよ。たとえ失敗して全部がダメになったとしても、だれもリケットさんを怒ったりしないから。その時はみんなで解決策を考えればいいだけだし」


 メノさんなんかは『肥料になる』なんて遠まわしに慰めてくれそうだなぁ……自分の本心はできるだけ隠そうとしているようだし。まぁ、わかりやすいからだいたいバレてしまっているのだけど。


「ちゃんと育ってるみたいだな」


「き、昨日植えたばかりですよね? 私、一週間ぐらい寝てたりしてませんよね?」


「寝てないし、一週間でも十分早くない?」


「それもそうですね――あっ、そう言えば見てくださいこのアブラブ! すごくおっきいですよね! 私が知ってるアブラブの三個分ぐらいありますよ!」


 彼女はそう言って、俺に成長した作物を紹介してくれる。

 俺は昨日の時点で種ではなく実物を見てきたから驚きは少な目なのだけど、リケットさんは今朝初めて見ただろうからなぁ。誰かと驚きを共有したかったのかもしれない。


「本当に大きいな。もったいないし、できるだけ悪くならないうちに食べちゃわないとな」


「も、もし腐って捨てるものがあれば、私に少し分けていただけると……」


「たぶん胃袋爆発するよ? 量的に」


 というか腐ったものは食べるものではないんだよリケットさん。


 アブラブ一つですらバスケットボールよりも大きいサイズなのに、それが二十個以上――そしてもちろん他の野菜も元気に育っているこの状況で、俺たち八人で全て食べるのはなかなか難しい気もする。


 一日で育ちきってしまったようだが、この畑に実った状態でどれだけ持つかだよなぁ。収穫したほうがいいのかもわからないし。


 まぁその経過観察も含めて、色々検証していかないとな。


「リケットさん。もしこのまま起きておくつもりなら、一緒に砂糖作ってみないか? 昨日メノさんにやり方を教えてもらったから、試してみたくってさ」


 俺がそう提案すると、彼女はぶんぶんと勢いよく頭を上下に振った。ちなみリケットさんも砂糖の抽出方法は知らないらしいので、二人ともド素人である。失敗したらそれも思い出の一つということで。


 この世界の砂糖の原料であるパラックも他の野菜同様に成長していたので、それを収穫。大根とごぼうを足して二で割ったような大きさで、色は茶色。


 三本だけ収穫して、リケットさんの家に持ち込み、まずは皮を切り取る。中身はびっくりするぐらい真っ白で、試しにちょっとだけ齧ってみたら甘さはあったけど、えぐみもなかなか強かった。


「かじってみる? 毒はないってメノさん言ってたから」


「あ、アキトさんのその表情を見た後だとちょっと怖いですけど……も、もらいます!」


 彼女はそう言うと、俺の手から豆粒ぐらいのパラックの欠片を受け取って、口の中に入れる。目を瞑って咀嚼した彼女は、うなりながら首を傾げた。


「ちょっと、喉が変な感じしますけど、美味しいですよ? だって甘いですもん」


 リケットさんがそんなことを言うので、もう一度食べてみるが、やはりえぐみがある。彼女の舌がおかしいのか、それとも俺の舌がおかしいのか、はたまた彼女はこのえぐみすら美味しいと思えるような食事が通常だったのか……あまり、深堀はしないほうがいいかもしれない。


 皮をはいだ後は、細かく切ってからそれを布で絞り――布?


「隊長! 布がありません!」


「わ、私は隊長じゃないんですけど……布でしたら、昨日ルプルさんに教えてもらいながら作ったものがありますよ? 練習なので、あまり大きくはないですけど」


「マジか! ナイスだリケットさん!」


 初手で躓くところだった、危ない。

 リケットさんが作業場から持ってきてくれた布は、縦横三十センチほどのハンカチぐらいの真っ白な布。


 まさかあの繭からこんなにきれいな布が作れるとはなぁ……知識ってすごい。


 リケットさんによると、糸の太さで肌触りとかも変えられるから、色々チャレンジしてみるとのこと。やる気があふれていて俺も元気をもらえるなぁ。


「でも、この布使っても大丈夫なの? リケットさんの記念すべき最初の一作品目じゃないか。綺麗にできているし、裏ごしに使うのはもったいない気がするんだけど」


 練習とは言っていたけど、端のほうまで綺麗に縫われていて、糸がほつれている様子もないし。


「そ、そんな大層なものじゃないですよ! で、でも頑張って作ったので、活用していただけると嬉しいです……」


 彼女はそう言いながら、照れ臭そうに笑う。


 じゃあこの調理に使ったあと、リケットさんにこれをもらえるようお願いしてみようかな。もしもらえたら、愛用のハンカチにすることにしよう。



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