第4話 二年後

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(まずいまずいまずいですよ~~!)


 コサリウス=トリエスタは穴の中で冷や汗を流していた。

 焦茶色のおさげの髪を絞るように手を動かしているが、それに特に意味はない。単に絶体絶命の状況で落ち着けないだけだ。


 弱気な目は瞬きを頻繁にしていて、口元は口角がへにゃりと下がり弱り切っている。携えた剣すら自信なさげに見えるほどだ。


 だがそれもしかたないことだった。


 彼女が隠れている穴の外には、ゼグ山の支配者たるゴールドドラゴンがその巨体で座しているのだから。


『竜の心臓を手に入れろ』


 その依頼を受け王都マグメルから数時間かけてゼグ山の中腹まで登ってきたトリエスタは、一瞬で依頼を遂行することが不可能だと悟った。


 一緒に来た四人の同僚のうち、一人は火炎のブレスで消し炭になり、一人はかみ砕かれ飲み込まれ今は竜の胃袋の中。最後尾の一人は逃げ出し、トリエスタは逃げるのは間に合わず、茂みに埋もれた地面の穴の中に隠れている。


(うう……報酬に目が眩んでこんな依頼に手を出した私が馬鹿でした)


 穴の中で後悔してももう遅い。

 外に出たらウェルダンに焼かれて食べられる。

 穴の中にいたら……。


(あー、きょろきょろして探し回ってますー。しつこすぎますよ、こんな小さくか弱い命のことなんて見逃してくれてもいいじゃないですか)


 ゴールドドラゴンは木の陰に首を伸ばしたり、その辺の石の裏に炎のブレスを吐いたり、近くにいるはずの人間を入念に抹殺しようとしている。

 蛇のように執念深いという言葉があるが、竜もそうらしい。


 トリエスタの表情の焦りも濃くなっていく。

 穴に入ればやり過ごせるんじゃないかと思っていたけれど、どうもそうはいかないらしい。この執念深さからしたら、ここにいてもいずれは見つかる。


(だったら、隙を見て穴から出て逃げるしかありません。あいつの動きをよく見て………………いまです!)


 隠れている穴からゴールドドラゴンが離れて逆方向を探っている時に、トリエスタは穴から這い出た。

 このままいけば、逃げ切れるかも……! と希望を持って忍び足でその場から離れ始めたその瞬間。


 ――ガサガサッ


(!?!?!?!)


 剣の鞘が茂みの枝にひっかかり、はね返った枝が激しく揺れて音を鳴らした。


 ゴールドドラゴンが、うなり声を上げて振り返った。

 そして、金の鱗に縁取られた金の瞳に、トリエスタの姿をはっきりと捉える。


「あ、あは……は……」


 ゴールドドラゴンの口に高熱が集中していく。

 数秒後には灼熱の火炎のブレスが放たれ、トリエスタを灰にするのは確実だ。


(ああ……こんなことなら家を飛び出して冒険者にならなければよかった。ごめんなさいパパ、言うこと聞かない娘で)


 トリエスタは観念したように竜の巨体を仰いだ。




 だが、炎は来なかった。

 かわりにトリエスタが聞いたのは竜の苦悶の鳴き声。トリエスタが見たのは、数本の氷の杭が胴体にめり込み体勢を崩したゴールドドラゴンの姿。


 体が傾いたゴールドドラゴンは吐く炎の向きも変わり、業炎が天を焦がしている。それですら高熱の余波にトリエスタの頬の肌はチリチリと炙られるような感覚がある。

 やはりすさまじく強大な竜だ。


(では、その強大な竜にダメージを与えたこの氷の魔法を使ったのは? いったい誰が?)


「こんな山の上にいるんじゃ倒すのも一苦労だな」


 声が聞こえた。


「ようやく見つけた、ゼグ山の主。さあ、俺の経験値になってくれ!」


 どこか嬉しそうな声の方へとトリエスタが顔を向けて見たものは、ボロボロの服を身に纏った、ただ一人の男だった。


「た、助かったんですか私。あの人のおかげで……?」


 ゴールドドラゴンは体勢を立て直し、首を現われた男の方に伸ばし睨み付ける。

 再び口内に熱をため、怒りの炎を吐き出そうとしている。


 だが男の方は動じる様子は無い、むしろ嬉しそうに笑いながら、強く地面を踏みしめた。


 熱い風を巻き起こし灼熱の炎が吐き出される。

 冷たい風が集中し地面から氷の壁がせり上がる。


 竜の炎が男が創り出した氷の壁にぶつかり、蒸気をまき散らしながらせき止められた。

 岩すら溶かす炎のブレスが、氷の壁を貫くことができずにいる。

 氷が溶け蒸発したような水蒸気が立ちこめているものの、なぜか壁はまったく薄くなる様子がない。


 そして男は壁の裏で文字通り涼しげな顔をしている。

 一方のトリエスタは、驚愕するしかなかった。


(氷の使い手。あの岩を溶かす炎を防ぐほどの!? そんな……どれほどの……?!)


 驚愕していたのは巨大な竜もだった。

 これまで生きてきて己の炎に耐えるものなど誰もいなかった。それなのに、目の前にいる己よりはるかに小さな存在は無傷でそれを防いでいる。

 ありえない、そして、許しがたいことだった。


 炎を吐くことを辞めた竜は憤怒の咆吼をあげたかと思うと、太い尾を振り回し、男に向かって叩きつけた。アリの如くに潰してやろうと、怒りのままに。

 

 だが。

 勢いよく太い尾がたたき付けられた次の瞬間、金色の鱗に彩られた立派な尾は、真ん中から千切れて宙を舞っていた。


――ガアアアアアア!


 トリエスタも、竜も、何が起きたか理解できない。

 わかることは、男の手に白銀の刃が握られていることだけ。


 トリエスタの理解が追いつく前に、男はすでに動き出していた。目で追うのがやっとの速さで竜の懐に潜り込み、白銀の刃を振り上げる。


「ダメ! その鱗は!」


(私が剣を振るっても、鉄よりも固い竜の硬い鱗に弾かれた。あれは刃じゃダメージを与えられない!)


 トリエスタが声をあげるが、男は一瞥を向けただけでまったく気にすることもなく、竜の首に刃を振り下ろした。

 硬いもの同士がぶつかる軋むような音が響く。

 トリエスタは刃が弾かれ欠けた刃が飛び散る場面を想像した。


 だが、飛び散ったのは竜の鮮血だった。


 その白銀の刃物は、極限まで圧縮された氷で形作られていた。

 それは鋭い剣ではなく、長い板状の氷の片方にギザギザした歯が乱雑についた、巨大なノコギリのような刃物。


 鱗を食い破ったギザギザの氷の歯は、牙は、首の肉に深く食い込む。男はそのままさらに力を込め、斬る――否、首を二つに引き裂いた。


 苦痛と驚愕に口を開いたままの竜の首が地面に落ちる。

 大きな胴体が地面に沈み、切断された首からは雨のように血が吹き出す。

 轟音が山に木霊のように響きわたり、鳥が驚いて飛び立つ。


 こうして山の主である金色の竜は最期の時を迎えた。


 氷の男は首から噴き出す返り血も気にせずゴールドドラゴンの最期を看取ると、トリエスタの方にゆっくりと歩いてくる。


「あ……あなたは、いったい?」


 トリエスタが唖然としたまま尋ねると、男は何事もない日常の会話のような調子で答えた。


「シキ……風巻史輝。人間と会話するのは、二年ぶりだな」


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