Episode.4【家守綺譚】の世界観に溶け込む

 『家守綺譚』梨木香歩 著


 日本庭園、床の間、風鈴。日本人ならほぼ誰でも懐かしさを覚えるだろう長閑な原風景、そこへ溶け込むように現れる不可思議な存在たちとの静かで穏やかな交流が愛おしい作品。 古風で美しいながらもどこか弾むような愉しさがこもった文体、登場人物たちの間で交わされる奥行きのある会話。可能な限り時間の流れを緩め、この世界に身を浸していたい。詠み終えたあと、そのような願望がひっそりと心の隅にわいてしまうような物語。


 結末へ向かってただ淡々と事が進んでいくように見せかけて、締めくくり方にタイトル「家守綺譚」へ結実する見事さがある。知らず知らずのうちに、読者を物語の世界観へ引き込んでいく引力は静かながらも強力。読了としてしまうのが名残惜しいとさえ思うほど。


──以下、本の内容についての記述有──


 この物語に登場する高堂という人物がお気に入り。ボートで湖へ行き、行方知れずのまま現世から離れてしまった男。そんな彼の家守を任されたのが友人である主人公だ。床の間の掛け軸を媒介にして、時折高堂は主人公のもとへ訪れる。幽世(湖底)から現世へ──高堂が「亡くなった」ではなく「現世から離れてしまった」と表現したのは、後半に交わされる二人の会話と、その後に起こる出来事から思うことがあったから。


 あるとき、主人公は高堂が現在身を置く世界への興味を示す。行けるのか行けぬのか、それはお前の覚悟次第だ。高堂はそう答える。一瞬主人公をそちらの世界へ導こうとするも「──止めておこうか」とさばさばした口調でとり止めてしまう(この場面で私は高堂のことをすっかり好きになってしまう)


 そしてその直後交わされる会話。


 ──おまえは人の世を放擲したのだ。

 ──おまえは人の世の行く末を信じられるのか。


 台詞は主人公、高堂の順である。

 まだ見ぬ世界を言葉にして書き表したいと言う主人公に対して、人の世の言葉では語れぬ、無粋なことだと返す高堂。このとき、主人公は自分と高堂の決定的な差異を悟る。主人公や家族を置いて、忽然と姿を消してしまった高堂に対して沸き起こった恨みという感情。それがこの台詞に込められている。それに対する高堂の返答に、少し切なさのようなものが滲んで見えるのは私だけだろうか。この切なさの正体、それが最後の章『葡萄』で明らかになったように思う。


 夢うつつの中、主人公は湖底──つまり幽世へ誘われてしまう。そこで出会った人々に葡萄、つまり現世の食物ではないものを口にするよう勧められるが、主人公の手は動かない。胸中にある何か、つまり友人の家を守っていくという決意が彼にそうさせるのだ。


 ──俗世に戻って、卑しい性根の俗物たちと関わり合って自分の気分まで下司に染まってゆくような思いをすることはありません。


 これは彼に葡萄を勧めた人の言葉。終には主人公は葡萄を口にすることなく現世へ無事帰還するのだが、そこには高堂の姿があった。そこで主人公は理解するのである。高堂はあの葡萄を口にしてしまったのだということを。


 私には、高堂の「おまえは人の世の行く末を信じられるのか」という台詞が、湖底(幽世)で葡萄を口にしてしまったという彼自身の選択へ繋がっていくように思える。生前、俗世に嫌気がさし一種の諦めのようなものを抱いていたのかもしれない。高堂は「亡くなった」のではなく「現世から離れてしまった」と表現したのは、このためだ。


 葡萄という禁断の果実へ手をのばし、幽世の住人となってしまった高堂。一方、卑しい物事で溢れ返る現世にとどまり、役目を果たすと決意した主人公との対比も際立ってくる。


 数年ぶりの再読だが、今の私だからこそよく響く作品なのかもしれない。学生の頃に読破した際はそれほど印象には残らなかったと記憶している。あの頃は専攻していた海外言語文学に関する勉学に夢中だったり、一人暮らしを始めたばかりで時間に余裕を持つということ自体が難しく、人付き合いもどちらかといえば賑やかな空気を好んでいた。家守奇譚のような作品の持つ日本らしさをふんだんに含んだ世界観、時間の流れの緩やかさ、穏やかな空気感。それらとは正反対のところに居心地の良さを感じていた。


 『家守奇譚』は、何度も読めば読み込むほど無限に思考を膨らませることのできる作品だ。ただ何も考えず文章を追って物語の世界観に浸るもよし、今回の私のように登場人物たちが交わす会話を深く掘っていき考察するもよし。読者がどんな姿勢であっても丸ごと受け入れてくれる、そんな安心感のある作品だと思う。


 最後に。

 新規本でも再読本でも、私は次に読む本を決める際、必ず頭の中を空にしてから本棚全体を眺め、或いは出版社のウェブサイトやSNS等をざっと眺めて、ピンときた一冊を手にとるようにしている。『本に呼ばれる』というこの感覚。この作品の解説者も同様のことを記述しているが、本の方から訴えてくるような何かを無意識のうちにキャッチしているのだと思う。そうやって選んだ本には外れがない。その本の中に、必ず今の私に必要なものが確実に用意されている。


 身の回りのことに対して穏やか且つ冷静な視点で眺めることができるようになった今、以前よりも比較的時間の流れのゆったりとした場所、或いは静かな物事をより好むようになった。そのような中、この『家守奇譚』という作品が目に留まる。私という一人の人間の内的変化に反応したのか、本当の意味でこの作品を読むべきタイミングがきたのだと教えられたような気がする。今更ながら続編があることを知り、早速購入して現在少しずつ読み進めている。日々、読みたい本は増えていく。

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【木漏れ日の読書】 鷹川安世(たかがわ あんぜ) @anze_takagawa

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