第26話変人の巣窟

 溜め息をこぼしたリュクセラが、口を開いて重苦しい沈黙を破る。


「詳細は控えるけど、アタシにも色々あったのよ……」


 目を合わせず憮然ぶぜんと答える同級生。なにか思う所がありそうだ。


「まあ、そうね。ラタトスク寮で暮らすなら、寮内で暴走する変人共には関わらない方が身のためよ」

「変人?」


 こちらに向けられた真剣な面持ちから、冗談ではないことは確かなようだ。

 オレの言葉に頷くリュクセラが事のあらましを語る。

 彼女によると変人とは、この学校に在籍する特待生たちを指す言葉らしい。

 武芸科のみならず、れぞれの学科にも特待生が複数名在籍しており、彼らが入寮しているのがラタトスク。


「特待生なんて名ばかりで、他人に迷惑を掛けるのを何とも思わないキチガイ連中っていうのが真実よ」

「大丈夫なのか? ソレ」


 早くも命の危機にひんしそうだった。


「だから気を付けろって言ってるのよ。魔物の巣窟と変わらない――いや、もっとたちが悪い場所かも知れないわね……」

 

 視線を前方に彷徨さまよわせて顔をしかめる辺り、よほど大変な目にったようだ。くわばらくわばら。


「なんで、そんな風になってるんだ?」


 オレは疑惑の眼差しを学長のメイドに向けた。


「なんでも、互いの才能に感化されての切磋琢磨せっさたくまを期待されている、とか……」


 申し訳なさそうに目を逸らすドロテア。ここまでの惨状は彼女も予想していなかったに違いない。


「その結果が去年の寮の半壊よ⁉ 全く生きた心地がしないのよ!」

 

 必死の抗議に平身低頭で謝るドロテア。彼女が悪いわけでもあるまいに。


(まるで蠱毒こどくつぼだな……)


 もはや不安しかない。入寮する気がどんどん減衰していく。


「セイッ ハアッ フンッ フッ――」


 途中、回廊染みた連絡通路の外から聞こえて来る気勢。視線を向ければ、中庭の景色が目に入った。

 広い芝生の上で独り、木剣を振るい鍛錬に励んでいる生徒が見える。


 額の角は鬼人族オーガスの証。上背のある筋骨隆々の体躯たいくは半裸だった。浮かんだ玉の汗が先鋭な動きに合わせて弾ける。

 全身を余すことなく太刀筋と同期させるその体捌きは思わず見とれてしまった。

 一目見ただけで分かる。かなり強い。多分、オレよりも。


「うわ。早くも奇人の一人目が出た……」


 不快に顔を歪めたリュクセラが、芝生の生徒に忌々しげな視線を向ける。

 武芸科七年、オイレウス。


「アイツは前に決闘で人を殺してる」

「マジかよ……」


 決闘とは基本的に、一対一で行われる対決。

 争いが起こった際、公平な規律と双方合意の下で戦うというこの学校のローカルルール。


 オイレウスは二年ほど前。当時の最上級生と決闘して勝利した。

 その際、安全を期して威力減衰の魔法を施したにもかかわらず、相手に絶命の一撃を食らわせた。


 後日、仇討ちとして数人の生徒が闇討ちしたそうだが、それらをことごとほふった。

 それでオイレウスが恐怖や罪悪感に囚われて部屋に引きこもる訳でもなく、ましてや狂気に染まるといったこともなく、ただ平然と授業を受けていたのは有名な話らしい。


 ただそれ以来、彼は武芸科の授業の大半を免除されているらしい。

 それはそうだ。わざわざ生徒を死なせたいと望む教師も居ないだろう。


「ああいうのがゴロゴロいるのが、今から行くラタトスク寮なのよ……」


 リュクセラはうんざりしたような顔で忠告してくれる。彼女は優しい少女のようだ。


「ああ、わかった。気を付けるよ……」


 気後れするオレはうめくような声で応じた。あんなのが何人も居る寮に入ることになるのだから当然だ。これでは安心して暮らせないし、下手すれば命がいくつあっても足りない。


 エヴェイユ学習院の特待生というのは、突出した才能を持つ代わりに良識みたいな普通の感性を持たない人間を差す言葉らしい。

 オレをそんな連中と一緒にして欲しくない。心の中で強くオリヴィエに抗議した。

 今更ながらに引き返したい気持ちになる。


 しかし、それが許される機会が訪れることは、終ぞなかった。気が付けば、通路の終点。

 足を止めた先には、既に地獄の扉が目の前にあった。


「だ、大丈夫、ですよね……?」


 青ざめたピティエがく。しかし、誰も確証のある答えを持っていない。その場に沈黙が居座る。


「も、勿論よ。まだ初日だし、変に暴れたりもしてない筈! ――――ハズよね……?」


 扉に手を掛けるリュクセラがまるで自分に言い聞かせるように。だが次第に自信が無くなったのか、ドロテアに同意を求めた。

 彼女もまた緊張の面持ちで首を縦に振る。


「大樹を駆ける者。紅葉の葉擦れに郷愁を浮かべる」


 ドロテアによると、これは開錠鍵語。寮の入り口やいくつかの教室に設定されているらしい。あれか。「開けゴマ」みたいなヤツか。

 侍従の言葉を聞き届けた扉から、金属音が響く。扉が開いたようだ。


 及び腰で恐る恐る扉を開けるリュクセラを、咎めるものは居ない。

 慎重に隙間から様子を窺うと、安全を確認できたのか大きく開け放つ。

 扉の向こう側には、静謐な空間が広がっていた。


 オレたちを出迎えてくれたのは寮のエントランス。洗練されたハイセンスな装飾は気持ちを落ち着かせてくれる。不安にささくれていた心は今、穏やかに凪いでいた。

 吹き抜けのフロアの左手にはおもむきのある大階段が設けられていて、オリヴィエの邸宅みたいに風情を感じさせた。


 その手前に広がるラウンジのテーブルや椅子にもおもむきが感じられ、手入れの行き届いた清潔さが際立つ。

 周囲に飾られているつぼや絵画などの調度品は内装と調和しており、空間がより洗練されていた。


「あら? おかえりなさいリュクセラちゃん」


 声の主は、大階段を上がった先、二階の部屋をつなぐ渡り廊下の手摺てすりから身を乗り出していた。人好きする、ふんわりした笑顔が似合うメイド。黒髪の彼女は、少女と見紛うような小柄だ。


「久しいですね、パウリナ」

「あら? もしかしてドロテアなの?」


 パウリナに首肯しゅこうで返すドロテア。破顔したパウリナはほおを上気させ、少し駆け足で階段を下りて来た。


「ドロテア~♪」


 小柄なメイドは長身のドロテアの胸に飛び込んで来た。彼女はそれを涼しげな微笑で受け止める。


「えへへ。本当にドロテアだ♪」


 胸に顔をうずめて感触を確かめているようだ。


「はい。貴女もお変わりないようで」

「うんっ♪」


 少し息を弾ませたパウリナはとびきりの笑顔をメイドに対して向ける。


「知り合いなの?」


 リュクセラがていした疑問はオレも感じていた。


「はい、そうです。わたしたちはソラニテ様――」


 彼女の声は遠くで響く爆音にき消された。

 振り返った先には、階段の下にある通路。そこから騒音がこっちに近付いて来る。心なしかうなり声が鼓膜を掠め、床が振動していた。

 突如、大柄な魔物が飛び出して来た。


『――っ⁉』


 全員に緊張が走り、オレは即座に荷物を床に置いて鯉口こいくちを切る。

 魔物は人狼ワーウルフ並みの体格で白銀の鬣を持つ雪豹は額に双角、背中の竜翼を広げていた。


 片や機巧人形ゴーレムは無骨な造りで堅牢そうな外見。

 二体の同時襲来を予期していたが、様子がおかしい。よく見れば雪豹の魔物は、装甲を鎧う機巧人形ゴーレムと取っ組み合いをしていた。怒気をはらんだ獣声を上げ、獰猛な爪牙を突き立てて息の根を止めようとしていた。


「ちょっとクロッ どういう状況よッ⁉」


 機巧人形ゴーレムと魔物が周辺の家具を壊して回る中、リュクセラの怒声がエントランスに響く。

 オレが状況をつかめず困惑していると、


「助けてくれ――――!」


 階段下の通路から悲鳴がしたかと思えば、鉱人ドワーフの少女と長身痩躯ちょうしんそうくの青年が必死の形相ぎょうそうで逃げ込んで来た。

 装甲に喰らいつく魔物は二人に気付き、咄嗟とっさかばうような位置取りで咆哮ほうこう機巧人形ゴーレム牽制けんせいしていた。


 鉱人ドワーフの少女はその隙にこちらへと足を向け、青年も慌てて彼女を追った。


「なんでアクセリウスと居るのよ?」

「そんな事より――」

「なんだありゃあ⁉」


 言いかけた少女の言葉を遮る青年に、驚愕の光景を見たオレが声を被せてしまった。

 スライム。ゲル状の身体は青く半透明。それが青年たちのやって来た通路から飛び出し、アメーバみたく身体を縦横広げ、無数の触手を四方に伸ばしていた。二体の魔物が争う中で家具の残骸を手当たり次第に絡め取ると体内に吸収していった。通常のスライムよりも一回り以上大きい。通路がふさがれるほどだ。


「どうやらオレの出番のようだな!」


 盛大に音を立てて扉を開け放つのはオイレウス。汗にまみれた逞しい上半身を晒し、木剣を肩に担いだ彼の瞳には爛々と喜悦の色が滲んでいる。

 状況は既に混沌こんとんとしていた。

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