第19話最強の挑戦者

 限界まで身体を捻じり込み、それを軸足で支えながら腰で沈み込む。前足を接地。制動をかけ、生み出された遠心力が上昇。全ての力が集約され、満を持して投げ放った。


「――――ッ」


 渾身の剛速球。何なら、さっきよりも速い。


(これなら振り遅れ――)


 突如、バットが風を薙ぐ。


(――――⁉)


 一瞬、背中に怖気が走った。全身の毛穴から汗が噴き出す。

 初球目は振り遅れ。だというのに、わたしは恐怖を感じた。


(なに、今の…………?)

「いやぁ~。行けると思ったんだけどなぁ~。っくぅ~~っ」


 笑みを零しながら悔しがるフレーヌ。ワケが分からない。

 常軌を逸したスイングスピードにわたしは動揺を隠せなかった。


「まだまだっ 来い!」


 嬉々として構え直すフレーヌ。その瞳は好奇心に輝いていた。

 わたしは確信した。今までの対戦相手より、目の前の少女の方が明らかに強い。


(それでも、勝つのはわたし……ッ)


 闘争心が燃え盛り、勝負の第二球目。先程よりも際どいタイミングに背筋が凍った。

 これは、その内バットに当てられる。

 だが、前に飛ばなければいい。

 わたしは腹を括った。


(今までだって、ピンチはあった……)


 七球や八球目でバットをかすらせる相手が今まで居なかったわけではない。

 そんなギリギリの勝負でも、最終的には私が勝った。だから、今度も――


(わたしが勝つ!)


 三球目。球が、わずかに上の方へれた。

 やはり、まぐれではない。悔しさに奥歯を噛み締めた。


「ファールか。ふむ……」


 バットを握り直すと打席から出て、感触を確かめるように素振りを繰り返す。


「よし、来い!」


 四球目。球はれ、壁の上方に跳ね返ってから転々とした。


「…………ッ」


 五球目は大きく逸れてしまったからやり直し。


(――――大丈夫。落ち着いて……)


 目を閉じて深呼吸。動揺どうようした気持ちを落ち着ける。


「…………」


 わたしが再び目をあけると、フレーヌがすでに態勢を整えていた。微笑みが消え、表情は真剣そのもの。投げるのを、少しだけためらった。


(いや。お母さんのコレは、わたしは絶対に負けない――――!)


 投球開始。全身を引き絞り、しならせて球を弾き出す。打球は横に逸れてファール。


(まだ、もっと。全身を突っ込ませて――)


 六球目も前に飛ばずに終わった。


(もっと――)


 ファール。


(もっと――)


 空振り。


(もっと――――!)


 バットは空を切る。あと一球。追い込んだ。

 最初よりも球威が上がっているのが自分でも分かる。

 だからこそ、気になった。彼女は今、どんな顔をしているのだろうかと。


「…………」


 低く構えた抜刀態勢。真剣な表情に変わりはない、緊張した様子も。


「これで最後」

「ああ、来い」


 声の張りから気負いや力みといったモノは感じられなかった。だが、それは自分のピッチングとは関係ない。わたしはただ、全力を振り絞るだけ。

 大きく振りかぶる。沈み込んで始動。


(いける――)


 その瞬間、確信した。全ての動作が噛み合い、今までで最高の投球ができることに。

 全身から力が抜け、ウソみたいに身体が軽い。

 弾き出した球の軌道は低めいっぱい。これなら打て――

 バットが直球を捉えた。本能的に皮膚が粟立あわたつ。


(あ――――)


 驚きを隠せないわたしは反射的に振り返る。視線の先で打球は高く飛んだ。

 まるで、翼が生えたかのように。

 白球は一瞬で屋敷を飛び越え、雲に紛れる形で空の彼方へと消えていった。

 生れて初めて、野球で負けた――――


 〇                              〇


 残雪が未だ地表を覆う三月中旬。

 オレたちは迷宮都市イスラスクの市民球場のマウンドに立っていた。


「よし。それじゃあデビュー戦と行こうぜ♪」

「うるさい」

「…………」


 気さくに話しかけるも、ドレス姿のアコニスはそっぽを向くばかりでつれない。オフリオに聞いた通り、雑談に興じるタイプではなさそうだ。

 彼女との十球勝負から、既に五日経っていた。


 勝利を掴んだ確かな手応え。自分でも文句の付け所のない大勝ちだった。

 問題はその後。

 敗戦のショックからか、以来アコニスは部屋に閉じ籠るようになってしまった。


 いくら声を掛けても、返事はなしのつぶて。ラチが明かないと思ったオレは、彼女の連れのオフリオに助けを請う。


『今まで、一度も負けなかったからな。ウチのお姫様は』


 野球賭博であの剛腕を存分に振るっていたアコニス。

 高慢こうまんとも言えるプライドは今まで誰一人として、彼女に比肩しうる者が居なかったのが大きい。獣頭の青年はそう結論付けていた。


 そんな彼女に自信を取り戻して欲しくて、オレは街の商会リーグに誘った。

 ベニュレとは違い、迷宮都市イスラスクには商会ごとに野球チームを所有していた。


 複数の商会で出資して賞金を集め野球リーグを形成し、試合を通じて商会の存在感を示す。これは、前世の実業団に相当するだろう。

 そして現在、オレたち三人はシュラウド商会に所属している。

 今日の対戦相手はエッシェルング商会。重量打線が売りのチームだ。これほど相性の良いチームもない。願ったり叶ったりだった。


「…………」


 アコニスは詰めかける観客に目を奪われていた。素人の草野球とは違い、試合は高い技術の応酬とあって空席は少ない。中々に盛況だった。


「? 気になるヤツでも居たか?」


 彼女は答えない。無視された。


「とにかくだ。今日は期待してるぜ、お姫様♪」

「黙って」


 アコニスは一瞥いちべつすると、鼻を鳴らして振り払うように手をらす。冗談が通じない。

 とりあえず、初陣の緊張は無さそうで一安心。オレはガチャガチャとプロテクターを鳴らして捕手の定位置へと戻った。


 審判より試合開始の号令がかかり、正面にミットを構える。

 小細工は要らない。一球目はど真ん中ストレート。

 アコニスが足を振り上げた直後、オレは右打席で構える打者の横顔を盗み見る。


 圧巻の投球練習を見たせいか、表情は冷静で真剣。オレが今まで相手にして来た素人とは格が違う。

 リリースされた瞬間、白線を引く剛速球がうなりを上げて打者に迫る。


「……ッ」


 驚愕した打者が立ち尽くす中、風を切り裂き荒ぶる白球をミットの中でねじ伏せる。少し上擦うわずったがギリギリ枠の範囲内。


「ストライク――――――!」

(よし!)


 初球は少しれたがストライクを取れたのは大きい。


「ナイスボール!」


 立ち上がって返球し、再びしゃがみ込んで構える。狙いは次もど真ん中。

 リリースポイントが全く見えないトルネード投法、そこから放たれる剛速球。初見で対応するには無理がある。

 続く二球目。今度は相手も振って来た。しかし遅い。ミットが砲声をとどろかせた後にバットは空を切る。これでツーナッシング。


(これなら球威で押せるな)


 外角とか内角とか、下手にコースを指定するまでもない。

 三球目も完全な振り遅れ。まずはワンナウト。危なげない滑り出し。

 相手は変わって二番打者。初球から振ってきたが、ことごとく空振り。


 次に打席に立ったのは、大柄な鉄魔族グレンデルの女性。

 強打者の余裕を感じさせる悠然と構えたその威容は、見上げる者に圧迫感を与える。

 一瞥いちべつした後でミットを構えた。マスク越しに見えるエースの雄姿。未だ緊張のたぐいは見受けられない。


(さあ、来い)


 投げ放たれる、白線をく剛速球。それに対し、鋭い風切り音が襲い掛かった。

 結果はストライク。まずは一つ。


 しゃがんだまま返球しても、アコニスの泰然とした態度は変わらない。強振によるプレッシャーなどは意に介していないようで安心した。

 二球目も快音は響かない。それでも相手は動揺を微塵も見せない。この油断のなさ、強敵であることは間違いない。


(けどな、のぞむところだぜ)


 ずっと、こういう相手と対戦したかった。

 念願叶ったりで、オレも自然とテンションが上がった。

 結局、三番打者も三球三振に倒れた。その間、一度たりともバットに掠らせもしなかった。


 これがデビュー戦とは思えない、完璧な内容だった。

 のびのびとした投球。球も走っているし、アコニスの調子は良さそうだ。

 異様な雰囲気でざわつくスタンドを後にダグアウトへ引き上げようと足を向ける。

 同時に、何の気なくマウンドを見るとアコニスがどよめくスタンドを眺めていた。


「ナイスピッチ♪」

「…………はっ」


 引き揚げる途中、オレはアコニスと合流して初回の投球を労う。背中にポンと手を当てたことでこちらを見た。


「……別に。これくらい、どうってことない」


 そっぽを向いて視線の一つも寄越さない。太々しい態度が頼もしい。

 ただ、赤黒い蝙蝠羽がパタパタとはためいている。本心では嬉しそうだ。


(まだちょっとよく解んねえなコイツ……)


 だが、まあいい。

 これから知って行けばいいだけだ。

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