第18話ピティエの意地

 初めて捕った。百五十キロの直球を。


(すげぇ…………っ)


 荒れ狂う衝撃が全身を貫いた。未知の体験に身体が震えていた。

 それでも捕った。手のひらの感触が、ミットに収まる球が、何よりの証拠。


「ッシャアアアアアアッ 捕ったぞおらああああああああっ!」


 興奮したオレは立ち上がって高々とミットを突き上げた。

 百五十キロ初体験で一球目から捕球できるとは。成功するとは正直、自分でも思ってなかった。

 き上がる歓喜に背筋がゾクゾク震えていた。


「よし、もっかいだ。アコニス」


 返球するとオレは鼻息を荒げ拳でミットを叩き、再び腰を落として構える。

 するとアコニスも投球態勢に入り、片脚を上げて全身を捻じり込む。オレも興奮を抑えてリリースの瞬間に意識を集中させた。


 加速と回転が乗った球が突如として出現。右側面に軌道を描く直球が唸りを上げ、瞬時にミットへ到達。先程よりも大きな衝撃が背中に抜けていった。腰元の拳が痺れる。


「…………ッ」


 両脚で踏ん張り、手中に剛速球の暴威を封じ込める。安易に受け流すような真似はしない。腕を突き出してしっかりと保持した。

 捕球完了。重い衝撃が腕の中に残る。どうやら、さっきの一球は小手調べだったようだ。


「面白ぇ……」


 知らず知らずの内につぶやいていた。

 それから、アコニスの直球は徐々に球威が上がっていった。

 二十球も受けると、手中で暴れる衝撃に指先の感覚が死んだ。ミットの開閉は辛うじてできるが、これでバットをフルスイングは無理だろう。

 そこでオレは、かねてからの疑問を彼女にぶつける。


「なあ。アコニスって変化球は何が投げれるんだ?」


 かたくなに直球だけを投げ続けることに違和感を覚えていた。


「えっと……」


 伏し目がちな彼女が顔を逸らすと、沈黙が流れる。


(もしかして――)

「投げられないんですか?」


 核心を突いたのは怪訝な顔のピティエ。

 図星だったのか、目を泳がせるばかりで何も答えない。白状しているようなものだった。


「…………ぃ」


 俯き顔でボソボソと呟く。聴き取れないのでオレは首を傾げた。


「何ですか?」


 真顔でマウンドに歩み寄る幼馴染は、更に厳しく突っ込む。その声色はとても冷ややか。 女って怖ェ……。オレはたまらず身震いした。


「べ、別に変化球なんかなくたってっ わたしは誰にも負けないッ」


 アコニスは拳を強く握り締め、力強く言い放つ。


「わたしは今まで、誰にも打たれたことがないっ これまでも、これからだって!」

「ほぅ――――?」


 マウンドで吠える少女に、冷淡なピティエは静かに眉根まゆねを動かした。


「では、アナタに十球勝負を申し込みます。逃げませんよね?」


 手にしたバットを突き出し、アコニスをあおる。


「のぞむところ……ッ」


 鼻白むアコニスが挑発に乗った。

 かくして、戦いの火ぶたが切って落とされる。


「ぜったいに泣かすから」

「その台詞。そっくりそのままお返しいたします」

「プ、プレイボール!」


 声を張り上げたオレが勝負の開始を宣言。深く腰を落とし、万全の捕球態勢を執った。

 第一球目。

 渾身の剛速球が唸りを上げて迫って来る。


(うおっ――――)


 投げ放たれたそれを、オレは辛うじて手中に収めた。暴力的な球威が、右側に突き出した左腕に重く圧し掛かる。

 神出鬼没の直球。それをピティエは涼しい顔で眺めていた。


「ちゃんとストライクゾーンに投げてもらえませんか? それとも、私に打たれるのが怖いのですか?」


 彼女の言う通り、球はストライクゾーンから外れていた。


「言わせておけば……っ」


 怜悧れいりな眼差しで見咎みとがめる。それを受けて顔を歪めるアコニス。


「そんなに言うなら、ちゃんと投げてあげる」

「早くしてください、口先だけでなく」


 オレの返球で手中に収めた球を突き出して睨み付けるも、ピティエはどこ吹く風。

 結局、初球は枠外だったのでノーカン。再び一球目。

 アコニスは大きく深呼吸した後、足を振り上げ全身を限界まで捻じった。

 そこから放たれる剛速球。大丈夫。今度は枠内――


「く……っ」


 結果は空振り。残り九球。続く二球目、三球目もバットは空を斬るだけ。当たる気配が全くしない。

 ピティエは変化球で相手をかわす優秀な軟投派ピッチャーだが、バットコントロールや選球眼も申し分ない。打者としても優等生だ。


(それでも振り遅れんのか……)


 その事実だけで、どれだけアコニスが化け物染みているかが解る。


「ねえ。もう終わり?」

「…………ッ」


 マウンド上から冷たく睥睨へいげいする。残りは五球。ピティエは顔をしかめて奥歯をきつく噛み締めることしかできない。

 アコニスの投げるのは、荒れ球ではない。コースは甘い、全てど真ん中に偏っていた。制球力がある訳ではない。


 それでも、当てられない。タイミングが全く合ってない。難視認性抜群の投球フォームは目視できる時間が少ないため、速度以上に速いと視認させる。

 それに加え、豪腕から放たれる桁外れの球威。その二つでピティエを圧倒していた。


「残り三球」

「まだです!」


 再び構える幼馴染。彼女の闘志はまだ消えてない。


「どうせ形だけ」

「うるさい!」


 ピティエがえると、アコニスがしなやかに身体を捻転させてこちらに背を向ける。

 放たれる八球目。


「あああああああああああああああああああああああっっ!」


 少女が吠え上げ、バットが鋭く風を切り裂く。掠った。


「⁉」


 球は逸れて後ろの壁に跳ね返る。アコニスが驚きに目を瞠った。


「よし……ッ」


 ここへ来てようやく球に触れたことに対し、手応えを感じたのか大きく息を吐き力強くバットを強く握り締めるピティエ。まだ、勝負の行方は解らない。


「まだ、前に飛ばせてない」

「それも時間の問題です」


 返球を捕った投手の強がり。背筋を伸ばした打者はそれを煽り返す。


「減らず口を……ッ」


 ピティエをにらみ付け、闘志をみなぎらせて全身を捻転。沈み込んでから一転、瞬時に爆発させ渾身こんしんの剛速球。

 しかし、球はあらぬ方向へ逸れて壁に激突。これはノーカン。明らかに動揺していた。


 残り少なくなったバケツから球を取り出すと目をつぶって深呼吸。昂る気持ちを落ち着かせようとしていた。

 気を取り直して再び大きく振りかぶるアコニス。ゆったりとした始動から緩急をつけ全力投球。ピティエのバットは再び快音から遠退とおのいた。


「あと一球」

「今度こそ……ッ」


 真剣な表情でマウンドをにらむピティエ。まだ戦意は喪失そうしつしていない。

 そして投げ放たれる、運命の十球目。

 響く砲声。オレは正面に構えた自分のミットに衝撃を受けた。


「…………ッ」


 今日一番の球の走り。コースはど真ん中だが、バットはかすりもしなかった。


「くっ…………」


 苦々しいうめきをこぼすピティエが片膝を着いて地面にうずくまる。

 結果はアコニスの勝ち。


「ほら。やっぱり、わたしの言う通り」


 変化球なんて必要ない。マウンド上の少女は勝ち誇っていた。その眼差しは冷酷。

 何の表情も映さない顔はその傲慢ごうまんさで見る者を威圧した。

 オレは自分のミットに視線を落とす。受けた球の衝撃が痛痒つうようとして残っていた。


(よし――)


 今、オレがやるべきことは一つだけ――


「だいたい、変化球なんて――」

「アコニス。次はオレとやってくれ」

「は――――?」


 彼女は目を白黒させる。

 だが、バッターたる者、こんな熱い勝負を見せられて滾らない方がどうかしてる。

 故に、オレは彼女へと挑まずにはいられない。


「勝って、ください……っ」

「おう。任せとけ♪」


 悔しさに顔を歪ませる幼馴染に、オレは気安く答えた。


(この感じ、本当に久々だ……)


 ピティエと交代して打席に立ったオレは感慨にふける。

 これだけの実力を持った党首との対戦なんて、甲子園ですらまれだった。

 沸き立つ高揚、バットを握り締める手に自然と力が漲る。


「来いッ!」


 気合十分。散々見せ付けられた剛速球に待ち焦がれ、胸の奥で闘志がたぎる。

 口端に歓喜をこぼしながら、オレは構えた。


 〇                                 〇


 関係ない。誰が相手であろうとも。


(わたしは、絶対に負けない……ッ)


 闘志を燃やし、わたしはマウンドの上から相手を見下ろす。さっきの淫魔族サキュバスから見ると、明らかに体格で見劣りする。

 しかし、油断はできない。


(たった一球で捕るなんて)


 それは、オフリオにすら不可能だった。屈強で魔物との実戦経験もある彼でさえ、最初の頃は捕球に苦労していた。


「来いッ!」


 フレーヌがえると、腰を落としバットを隠す。見た事のない構え。


(何、アレ――)


 意図がわからない。片手に持ったバットを、どうしてわざわざ隠すのか。

 これまでも、常識にとらわれない独特な構えで打席に立つ挑戦者は居た。

 だが、目の前の少女は明らかにこれまでの相手とは違う。投手としての本能が、そう告げていた。危険である、と。

 でも――


「どんな構えでも、関係ないっ!」


 わたしは、大きく振りかぶった。上体がムチのようにしなる。

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