第13話夜間飛行

 ほうほうの体で逃げ出したオレたちは、ベニュレの街で一息ついていた。

 疾鳥ガストルは射殺されていたので、身一つとわずかな所持品くらいしか残っていない。


「全員無事なようだな」


 オレたちのことを見回しながらそう口にした。負傷したピティエは現在、オレの背中で静かに寝息を立てている。それだけで、少し心が軽くなった。

 だが――


「原本は、どうするんですか?」


 それだけが気掛かりだった。


「詳しい話は、この地を離れてからだ」


 その後で考えるとしよう。それだけ答えると、決然と立ち上がって関所へと向かった。


「…………」


 反論しようにも有無を言わせない背中はかたくなで、仕方なく彼女にしたがった。


「すぅ、すぅ…………」


 彼女の寝息が心に安らぎを与えてくれる。陰鬱な気分が少しはマシになった。

 眠っているピティエを起こさぬように抱えながら街中を歩き、関所手前の駅逓局えきていきょくで再度、疾鳥ガストルを手配。大人二人は先導と護衛のため、幼馴染の事は任せられなかった。


(どうやったんだ……?)


 こんな時間にもかかわらず、難なく疾鳥ガストルを借り受け、さも当然のように関所を通過できる身分とは?

 この世界は前世の近代みたいな文明水準で、政体は貴族制。ソラニテは学校の長なだけあって、結構身分が高いのかもしれない。


 先頭を往く老婆について、オレは余りにも何も知らない。改めてそう思った。

 ベニュレからエルヴァサードへは特に襲撃もなく、街の関所をくぐり抜けて一路、騎竜ランフォスの発着場へと向かう。深夜の町は静まり返り、雑踏のにぎわいも今は夢の中。


 エルヴァサードは大きな都市で、ベニュレと違い疾鳥ガストルやそれが牽引けんいんする羽車専用の道路が整備されており、人口の多さと商業の盛隆が窺えた。


 沈黙を貫く街の道路を縦断し、オレたちは騎竜ランフォスの舎房へと足を踏み入れる。

 堅牢な造りの内部は天井が高く、翼竜ワイバーンの舎房としては申し分ない。


「うおっ」


 眠ったピティエを抱え、舎内を見渡しながら歩いていると、麦稈むぎわらが敷き詰められた独房で羽を休める騎竜ランフォスが視界に飛び込んで来た。

 特徴を一言で言うと、猫っぽい翼竜。生体金属の鱗が発達した鋼殻は黒。


 大きさは三メートルくらいで前肢は翼だが、四足歩行が可能なくらい発達しており丸太のように力強い腕から赤黒い皮膜の雄壮な翼が生えている様子だ。首は割と短く、顔もネコ科、鋼殻に覆われた耳は後ろに尖っていた。尻尾は長く、先端は菱形をしている。

 そして、胴体や背中を包み込む柔毛。胸や腹部は白く、ふかふかで柔らかそうだ。


「エルネスト、モーリス」


 ソラニテが呼び掛けると、二人の男が近付いて来た。有角人アントルの偉丈夫と、髭を生やした筋骨たくましい鉱人ドワーフ

 彼女の紹介によると、彼らはエヴェイユの教員なのだとか。


 舎房の職員に話を通し、手綱と鞍を装着した後で独房を開放。手綱に曳かれる形で屋外の発着場へと向かった。

 発着場は転々と松明が灯されており舎房内よりも広い。騎竜ランフォスが何体も並んでもまだ余裕があり、そこらの野球場よりも広かった。


 有角人アントルのエルネストに促されるまま、オレとピティエは伏した騎竜ランフォスの背中に乗る。長い体毛はやはり柔らかい。靴底からほんのり体温を感じた。


 落下防止のため、オレたちはハーネスを装着。

 鞍は二人用で両側には長いハンドルが付いており、留め具のついた索具さくぐも備え付けられていた。

 オレはハーネスを着けたピティエを鞍上あんじょうに乗せ、脇のハンドルから伸びる索具に自身を固定して彼女を支えると、ハンドルに手を掛ける。


「では、先に行くぞ」

「了解!」


 手綱たづなを鳴らし、ソラニテが先発。騎竜ランフォスが羽ばたいて風が荒ぶる。翼竜は一瞬で夜空に舞い上がった。


「では、行くとするか」

「はいっ」


 エルネストが振るう手綱の合図で騎竜ランフォスがくすんだ茜色の両翼を雄々しく広げた。唸る風が地面に叩き付けられると、両肩に重力が圧し掛かり、次の瞬間には胃の腑が持ち上がるような浮遊感に襲われた。


「うお――」


 地上が遠い。力強い羽ばたきで騎竜ランフォスが上昇を続ける。

 発着場の灯火が砂粒ほどの大きさになった頃合いで前方に滑空。高度が下がった分、再び羽ばたいて上昇。それを繰り返す。飛行機と違って高度が上下した。浮遊感が味わえるアトラクションみたいだ。


 夜風が頬を撫でる。下に視線を落とせば、漆黒の闇が地上を覆っていた。

 デルフィナは森林が多く、丘陵地帯も大体が山林。それに加えて内海や外洋に接続しており、起伏に富んだ地形にも豊富な水系が注ぎ湖を湛えていたりする。

 それらが一望できる空の旅は壮観だった。


「すげぇ……っ」


 吸い込まれそうな夜の絶景に、オレはすっかり心奪われていた。


 〇                             〇


 騎竜ランフォスによる都市間飛行を終え、オレたちは迷宮都市イスラスクに着いた。

 城壁を抜けて郊外にあるソラニテの屋敷に着くと、彼女が抱えるメイドに出迎えられた。


 私室として宛がわれた一室に眠りに就くピティエを横たえ、オレはソラニテの部屋へと案内された。

 ほの暗い空間。光源は机に置かれた蝋燭ろうそくだけ。

 そしてよく見ると、見覚えのある本が二冊。


「え――――?」

「敵をだますにはまず味方から。とはいうが、本当に覿面てきめんだったようだな?」


 驚愕するオレに、ソラニテはクツクツと楽しそうに喉を鳴らしていた。


「では、貴様に返そう」


 手のひらを向けられ、机の上で黒の装丁を開く。目に飛び込んで来るのは書き込まれた日本語の羅列。間違いなく本物だった。


「え? じゃあ、あの時投げた本は――」

「貴様が買った我が禁書と、前に読了したアンジェリーク流の野球教本だ」


 つまり、敵が持ち帰ったのは偽物。目の前の女傑はしたたかなことこの上ない。


「そういうことか……」


 安堵したオレは全身から力が抜けた。


「――さて。そろそろ本題に入るとしようか?」

「――っ はい」


 彼女が机上で両手を組むと、真剣な眼差しに眼光が宿る。反射的に背筋を伸ばし、居住まいを正した。

 ソラニテからの要求は二つ。一つ目はエヴェイユの甲子園優勝に協力する事。


「貴様ら二人の実力は、必ずや戦力となろう」


 期待しているぞ。蝋燭ろうそくに照らされた顔で不敵に笑った。

 もう一つは、本の翻訳。それはただ単に、彼女が勇者の残した知識に興味があるという理由だけではない。


「儂は甲子園で優勝したら、その本をおおやけにするつもりだ」

「どうして、ですか?」


 この本に書かれている知見は、オレが前世で学んだ以上の専門知識が眠っている。

 本に記されている知見の正体は、前世における最新技術。

 と、同時に。恐らく、代々野球の知慧ちけいを継承して来た野球道宗家の秘伝をも意味するだろう。


 ソラニテの血族が継承して来たアンジェリーク流の秘伝が、クロスファイヤーだということで確信した。

 他にもこの世界には知識として普及していない、ジャイロボールやスモーキー投法、トルネード投法といった技術が、それに当たるのだろう。


 もし、そうなら。また今夜のようなことが起きてしまう。

 知識の暴露ばくろを恐れ、野球道の大家がこぞって手勢を自分たちに仕向ける。

 そんなことになれば――


「安心しろ。そんなことにはならんよ」

「は――?」


 不安に押し潰されそうなオレの胸中を知ってか、呵々かかと声を上げて笑った。


「貴様の言う通り、野球の知識を巡って人が死ぬ現状は、儂も苦々しく思っている」


 一転して真剣な面持ちを浮かべる。


「だからこそ、野球道の宗家や協会の連中が秘匿している知識を広く普及させ、今の権威主義を打倒する。それが、儂の大望だ」


 そうすることで秘伝が有名無実化し、権威が形骸化けいがいかして人命が軽んじられる事も無くなる。それが狙い。


「そして。我が校の優勝のためにも、その知識が必要なのだ」


 知識は、武器だ。それは、冒険者稼業を続けていく中で痛感したことだ。

 一撃で即死させる攻撃力を持つ精強な魔物。

 オレたち冒険者がそれらと互角に渡り合えるのは、相対する魔物に対する知識があるから。


 敵がどういう攻撃をして、どういう習性を持ち、どんな弱点があるのか。

 それが敵を倒すための武器となる。

 野球でもそれは変わらない。


「わかりました。明日からやります」

「そうだな。今日は疲れただろう」


 ゆっくり休め。その言葉を受け、オレはソラニテの部屋を後にした。

 扉のそばで待っていたメイドに先導され、宛がわれた客室へと足を踏み入れる。

 ベッドの上に用意された寝間着に着替え、シーツを被ってオレは眠りに就いた。

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