第14話野球賭博

 鳥のさえずりで目覚めるなんて、我ながら優雅なものだと思った。

 目を開けると飛び込んで来たのは白い天井。ハッキリ言って見覚えがない。

 驚きを隠せないオレは上体を起こして辺りを見渡す。首を横に振って視界に入ったのは壁一面の窓。

 既に太陽は頂点に近く、部屋には日向が居座っている。随分と上等な屋敷だ。


「ん?」


 ベッドの縁でして寝ているのはピティエ。三角帽子や法衣ローブを脱いだ格好で穏やかな寝息を立てていた。起こすのも悪いので、今はそっとしておこう。

 この様子なら、毒の後遺症とかも心配無さそうだ。嬉しさに目を細めて彼女の頭を優しくでる。


「んぅ……」


 わずかに身じろぎして声を漏らすも、一向に起きる気配はない。

 脇のサイドチェストに目を向ければ、返却された二冊の原本。少し見開いても本物であることがわかって安心した。


 携帯していた雑嚢ざつのうから懐中時計を取り出すと、ふたを開けて時刻を確認。既に十一時を回っていた。到着が深夜の賛辞だとしても、かなり寝ていたことになる。


「かなりの距離を移動したからな……」


 それに戦闘もあった。気付かないだけで、疲労は蓄積されていたようだ。


「んあ?」


 間抜けな声を漏らしてピティエが顔を上げた。


「おはよう、ピティエ」

「あ、おはようございます……」


 寝ぼけまなこの彼女に笑い掛けると、もしょもしょと口を動かしながら返事をした。

 次第に意識が覚醒するにしたがって、驚愕を浮かべ目を瞠るピティエ。


「お嬢様っ」

「ぐえっ」


 ピティエが飛び込んで来た。その反動で後頭部が壁に激突。鈍い音がした部分に疼痛とうつうが走った。


「あっ ご、ごめんなさい……」

「いや。無事で、なによりだ……」


 痛みにもだえながらも苦笑を浮かべ、彼女の回復を言祝ことほぐ。


「はい、お嬢様に護って頂きましたから……っ」


 涙ぐむピティエ。話によると、気絶した後のことを屋敷のメイドから聞いたようだ。

 不意に響く、ノックの音。返事をすると、メイドらしき森人エルフの女性が部屋に入って来た。森人エルフだけあって、長身痩躯で精巧な人形のように整った顔立ちをしていた。


「おや? お目覚めになられたのですね」


 おはようございます。少し違和感を覚えながらも会釈した。


「初めまして、フレーヌ様。わたしはドロテア。フレーヌ様の身の回りのお世話を任されました」

「改めて、フレーヌ・アベラールです。よろしくお願いします」


 うやうやしく礼を尽くした相手に対し、オレもお辞儀じぎを返した。


「いえいえ。そんなお気を遣われなくても。わたしのことは気軽に何なりとお申し付けくださいませ」


 苦笑を浮かべるドロテア。


「ありがとう、ございます」


 こちらが礼を尽くすと逆に少し困惑したようだ。記憶が戻ってからというもの、村人や町人、冒険者だけを相手にして来たからこういう使用人との接し方がよく分からない。

 ただ、変に上から目線で接したら横柄になってしまいそうだから戒めとして、下手にへりくだって相手に気を遣わせない程度に礼を尽くそう。そう心に決めていた。


「それで、お食事はどうされますか?」

「あ、はい。お願いします」


 丁度お腹が空いていた。素直に頂くことにする。

 昼食に出された料理は、肉料理を中心に結構な量だった。さすが貴族。


 〇                            〇


 窓のない薄汚れた部屋。

 ドアが開けられ、暗い密室にひんやりとした夜気が入り込む。


「アコニス。準備しろ」

「…………」


 男の声に寝覚めたわたしは、もぞもぞと布団の中でうごめく。

 やがて顔を出すと、開き切らない目で声の方を向いた。


「今日も仕事だ。早くしろ」

「うるさい……」


 急かされたことに口をとがらせ非難し、しかたなくわたしは上体を起こす。布団がずり落ち、背中に掛かるブロンドと華奢な肢体が露わになった。それから、整った鼻筋に掛かる金髪を指先でき、でつけた。


太々ふてぶてしいのは、マウンド上だけにして欲しいんだがな」


 軽口に対して無言で抗議の視線を向けると、野太い腕を組む黒豹の男が呆れたように肩をすくめる。

 獣魔族バルバロイのオフリオ。小言がうるさいのが玉にきず


 着替えるために、しっしと手を振ってドアにもたれかける彼を追い出し、あくびを噛み殺すとわたしはゆっくりとベッドから立ち上がって肌着を脱ぎ始めた。

 赤のチェック柄に黒いレースのフリルが飾り立てるスカート。上着も同じようにレースがあしらわれた黒のノースリーブブラウス。腰背部が大きく開いており、そこから赤黒い蝙蝠こうもり羽を出す。


 吸血族ヴァンパネラ。頭と腰背部に赤黒い羽を持ち、犬歯が発達した魔族。それがわたし。

 身支度を済ませたわたしは扉の向こうにいるオフリオに話し掛ける。


「おわった」

「おう。それじゃ、仕事場までデートとシャレ込みますか。お姫様プリマドンナ?」


 毛皮の腰巻きに屈強な半裸姿で差し出された手を無視して歩くと、すぐさまオフリオに追い抜かれた。大柄の背中を見ながら、静かな夜空の下で無言で仕事場へと向かう。


 元は冒険者だったらしく、恵体けいたいで腕も立ちケンカ慣れしている。お陰で面倒な奴に絡まれないから安心だ。仕事の相棒兼用心棒と一緒に、夜帳の降りた貧民街スラムの中を進む。道端に座り込む物乞ものこいや、はえにたかられる行き倒れ。突き刺さるよこしまな視線を無視して。


 わたしは、こんな奴らのようにはならない。押し黙って決意を胸に秘める。

 路地裏から入る狭くて薄暗い一室。その床を開け、明かりのない階段を下り切れば辿り着く。


 地下闘技場コロシアム。あらゆる違法な賭け試合が行われる掃き溜めの、唯一まともな場所。

 楽屋裏に通され、わたしは用意された衣装に着替える。


 黒いレース地のフリルがふんだんにあしらわれた真紅のドレス。ふんわりと広がるスカートは見るからに豪華。一方で状態は布地が半分もない。形や胸元、背中が露わ。

 ただ、体幹部はコルセット状になっているので急激な動きにも耐えられる。

 グローブをめ投球動作に入る。問題はない。


「それで。今日の対戦相手だが――」

「必要ない」

「へいへい」


 準備を済ませ合流したオフリオの言葉をさえぎると、呆れたように肩をすくめた。

 そう、相手が誰だろうと関係ない。

 今日もわたしが勝つ。ただ、それだけ。


 薄暗い闘技場の中央、砂が敷き詰められたアリーナだけは照明が集中してまぶしい。

 照明を浴びていると、ドレスで飾り立てられた自分がこの舞台の主役だということを改めて実感した。


 司会がなにやら熱弁しているがどうでもいい。わたしの仕事はただ、投げるだけ。

 グローブで受けた白球を、オフリオが構えるミットに全力で投げ込む。立ちはだかるバッターなんて、どうでもいい。


(どうせ、手も足も出ない)


 勝負開始。

 背筋を伸ばしたわたしは左手に球を持ち大きく振りかぶる。それから片脚で立ち、オフリオに背を向けるまで身体をひねる。


 ひざかがめてから始動。筋肉同士の反発でねじった身体がほどけ、旋回する事で加速を帯びる。踏み込んで捕手と正対、その時弓なりに張った左腕の肘を跳ね上げる。


 そこから肘の重さに任せて振り抜き、てこの原理で腕を伸ばしながら最後、指先で球を弾き出す。

 砲声にも似た大音響が闘技場に轟く。渾身の剛速球は、オフリオの構えたミットの中でも暴れ狂う。


 その球威に観客がどよめく。この瞬間が、たまらない。

 しゃがんだ姿勢からの返球。それを受けながら、初めて打席の相手を見た。

 薄汚れた戦士崩れの格好。そして伸びきった鉄色の髪と、体表を覆う鈍色の皮膚は鋼鉄質。鉄魔族グレンデル。体格はオフリオと同じかそれ以上。


「…………」


 そんな偉丈夫が、ひざから崩れて驚愕きょうがくの表情を浮かべている。それを見るのは気分がいい。

 最高だった。

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