第11話夜襲
ソラニテの口から衝撃の事実が告げられる。
「ハッキリ言おう。この本は野球を――いや、世界を変える力がある」
そんなバカな。オレは耳を疑った。
いまいちピンと来てないオレたちに対し、ソラニテが説明し始める。
「二人とも、『野球聖典』の事は知っているな?」
『野球聖典』とは、勇者パルフェが著した野球の入門書。具体的には試合のルールなどが
他方、手元にある原本は『聖典』に比して倍以上の文量がある。
「恐らく、我らの『秘伝』以外にも『七家』のそれが記載されている可能性が高い」
となると最悪、その本を巡って争いが起きる。というのがソラニテの見立てだった。
たかが野球で。言葉に出さないが、そんな感想を抱いてしまう。
『協会』の連中に出回っていたことが知られていた場合、最悪争奪戦になる。
ソラニテの進言を受け、祖母が夕餉の支度をクローデットに指示。オレたちは出立の準備に取り掛かった。
その際、
「ひとまず、原本は儂が預かることにしよう」
彼女は戦士としても腕が立つ。祖母の言葉を信じ、万が一の襲撃に備え一時的に預けることにした。
「それと、『邪道流野球』もだ。禁書の所持は犯罪だぞ?」
「はぁい……」
オレは渋々差し出した。結構高かったのに。
もっとも、どちらも内容が頭に入っているので後ろ髪を引かれる、なんてことは無かった。
「まさか。また高校生活を送ることになるなんてな……」
思ってもみなかった。記憶を取り戻した時、既に中退した後だったから尚更。
案外、人生の転機なんてこんなものなのかもしれない。良くも、悪くも。
筆記用具と衣類をまずは詰める。野球教本の類は全て頭に入っているので、持っていくのは練習や試合中に気付いたことをメモしている手帳。あとは旅装。
『近くの森林の探索や、魔物討伐も授業の課程として組みこんでいるからな』
とのことなので、その辺も抜かりなく荷物に詰める。
準備が終わると、丁度夕餉の支度ができたようだ。香ばしい薫りが二階にまで漂って来る。
このデルフィナという国は湿潤冷涼な気候で豊潤な水系を擁し米食文化が主流だ。
パンよりもコメ派のオレにとって、そこは大変ありがたかった。
さらに醤油もあるので、それに鶏とキノコの出汁を加えた雑穀をブレンドした炊き込みご飯が食卓から香ばしい薫りを立ち昇らせていた。
主菜はヤギ乳のシチュー。チーズに近い風味が芳しい。
それと、こんがり焼いたベーコン。少し癖のあるチップと香辛料が渾然となった香りが鼻腔をくすぐった。
山岳ひしめくこの地方は冷涼でそれほど稲作が盛んではない。この村も貯水湖の周りに数件が栽培してるだけ。なので白米を食べるのはお祝い事があった日に限られる。
「二人とも入学おめでと~♪」
クローデットが祝辞を送ってくれた。
「ありがとう、クローデット」
「ありがとうございます」
「えへへ♪」
オレとピティエが感謝の言葉を返すとへにゃりと相好を崩した。
「わたしからもおめでとう。冷めないうちに食べちゃいましょ♪」
祖母に促されるまま、オレはクローデットが腕によりをかけた料理に食指を伸ばす。
まずは熱々のシチューを一口。一瞬で腔内が茹で上がり、クリーミーな味わいの中に鶏肉とキノコの旨味が舌の上で躍る。
ハフハフと外気で冷ましながらイモやニンジンを咀嚼する。
ホクホクとした食感が楽しく、隠し味に使われている味噌のまろやかな塩味も堪らない。
「おいしい……っ」
頬を上気させたオレは二口、三口と急いで
旨い。醤油の塩味を土台としたコクの深い味わい。食感の異なる種々の雑穀が歯応えで楽しませてくれる。僅かに加味された香辛料が味を引き締めクドくない。
それからベーコン。まろやかな味の中に香辛料の鮮烈な辛さが舌を駆け抜けていく。何度でも食べたくなる味だ。それを付け合わせとしてシチューにくぐらせれば、別種の味わいを楽しめた。いくらでも食べられる。
オレは食レポなんてする余裕もなく、脇目も振らず一心不乱に食べ続けた。
そして、食後のデザートはリジィ。この世界特有の胡麻みたいな穀物のポラともち粟を粉状にして卵とヤギ乳を混ぜてクレープ状に焼き上げたもの。蜜漬けの果物やジャムをつけて食べるのが一般的。
しっとりとした生地にはほんのり甘く、僅かな塩加減もいい塩梅。シナモンパウダーと蜜漬けのリンゴがよく合う。
普段食べられない甘味にほっぺを蕩かせながら、オレは舌鼓を打った。
食べ終わるのがもったいない。
〇 〇
ささやかなお祝いを堪能した後、いよいよ出立の時間が迫っていた。
日が落ちた空を夜色が包み、星明りがほのかに瞬く。今宵は三日月。
既に支度を済ませ、オレは簡素な皮鎧と旅装に身を包んでいた。ピティエは魔法使いの格好だ。
玄関先には祖母とクローデット。祖母は何やら渡したいものがあるそうで、オレは両手を差し出し、それを受け取った。
「はい。貴女たちの無事を祈っているわ」
おそろいのペンダントには、赤い魔石が嵌め込まれ、小さな宝石が散りばめられていた。
魔石には防御術式が組み込まれており、身に付ければ首から上への攻撃が防げる。
術式の強度にも限界はあるが、暫く経てば再使用可能なので兜が要らない。便利だ。
「ありがとう、おばあちゃん」
「ありがとうございます。オリヴィエ様」
頷くオレとは対照的に、ピティエは恭しく礼を返した。
「では、
「ええ」
また会おう。ソラニテは祖母に再会を誓って
ソラニテ。オレが背を向け数歩進んでから、祖母が彼女を呼び止める。
「あの頃みたく、また貴女と勝負ができて。本当に楽しかったわ」
「そうか。私も同じ思いだ」
老いには勝てんかったがな。優しく微笑む祖母に対し、ソラニテは苦笑を返す。
「それでも。貴女は私にとって、眩しい存在だったわ」
あの頃と同じで。その一言に、老境の麗人は鼻を鳴らす。
「五十二年前のあの試合。お前に対し全力をぶつけた事は、今でも後悔はしておらん」
夕日に照らされ思い出を語る彼女の顔は、とても晴れやかだった。
「そう。私も、本当に楽しかったわ♪」
心からの笑顔。二人の間に、オレは時を超えた友情を見出していた。
今度こそソラニテは決然と背を向け、祖母の家を後にした。
オレたちは
「エルヴァサードに行けば『
『
速度を上げて来た道を戻る。途中、森林を突っ切るため、
やがて闇の帳が、行く手の空に落ちた。
切り出した山肌を横目に見ながら、やがて鬱蒼とした森の中へ。夜ということもあり獣の姿は見えず、鳥も寝静まったのか音がしない。
「来るぞ。準備しろ」
「――ッ⁉」
息を潜め、緊迫した低い声。オレは反射的に魔力を解放し、
突如、森の中に殺気が充満する。肌が
オレは腰に
「各自、自分の身を守れ!」
「チッ」
発光のせいで夜目が利かない。視界を潰された状況にオレは歯噛みした。
だから、自然と身体が動いた。蒼月流抜刀術『
相手の攻撃を
「うおっ――」
寸での所でオレは跳躍し、地面に投げ出されるのを防いだ。片膝を着き、大太刀を逆立てて防御の構え。横でピティエの悲鳴が上がる。オレは声の方へ駆け寄った。
「大丈夫かっ⁉」
「はい、何と――」
弾ける火花。助け起こそうとした所を狙って斬撃、
「貴様らが欲しいのはこれだろう? オリヴィエより譲り受けた勇者の手記。誰に雇われてやって来た⁉」
前に視線を向けると、立ち上がったソラニテが堂々と分厚い本を掲げていた。
攻撃が止まる。少しの間、沈黙が流れた。
争奪戦。本当に、彼女の懸念通りになってしまった。
「そんなに欲しければ、くれてやる。そらっ」
二冊、高々と宙に投げる。そして、思いもよらぬ一手が視界の外から来た。
「なっ――――」
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