第10話勧誘

 背中まで伸びる白髪を揺らし、四球目が放たれた。直球の針路は俺の胸元を抉る外角高め。相変わらずタイミングは掴めない。が、問題なかった。

 蒼月流抜刀術『明月あけづき』。上に向かって抜刀しながら左を引手。小指から強く握り込んで掌でバットをスライドさせて加速。来た球をブッタ斬る――――!


 打球は相手の頭部側面を駆け抜け、後方の石垣に突き刺さった。老境の有翼人女性は目を瞠って背後を振り返る。

 そして、空を仰ぎ大笑した。

 とりあえず、オレは一礼してから打席を後にすると、途端に村の子供たちに囲まれた。


「スゲー! カントクですら打てなかったのに」

「フレーヌお姉ちゃん、スゴい!」

「今の、どうやってやったの⁉」


 フレーヌより少し年齢の低い少女たちが口々に賞賛を浴びせて来た。悪い気はしない。

 祖母の方を見ると、にこやかに頷いていた。それは子供たちの称賛よりも嬉しいものに感じられた。何だか少し、認められたようだ。


「素晴らしい逸材だな、フレーヌよ」

「はい。対戦、ありがとうございました」


 マウンドを降りた彼女から差し出された手を、オレは両手で恭しく握り締める。


「そこで、フレーヌよ。一つ提案がある」

「提案、ですか……?」


 ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる老婆にオレは聞き返した。

 そして、次の言葉にオレは絶句する。


「私と一緒に、甲子園優勝を目指さぬか?」

「甲子、園……っ」


 願ってもない申し出だった。

 有翼人セイレーンの老婆の名前はソラニテ・ラグランジュ。

 世界初の野球教本である『邪道流野球』の著者。


 フレーヌの出身国である『黎明』で野球草創期から存在する『七家』の一門、アンジェリーク流野球道宗家の一人。

 祖母の家でその名を聞いた時、オレは興奮を抑えきれなかった。


「邪道流野球見ましたっ お会いできて光栄です!」


 両手でガッチリと相手の片手を包み込む。


「なら、儂は今から貴様を『協会』に突き出さねばならぬのぅ?」

「あ――――」


 長身で見下ろしながら不敵に微笑むソラニテ。しまった、とオレは絶句した。

『協会』は創世の女神プルミエルを主祭神とする『女神教』教徒が運営する宗教団体。


 救世の勇者パルフェのスポンサーでもあり、『女神教』が世界で広く信仰されているのもあって野球の普及にも尽力した組織でもある。

 邪道というのは『七家』や『協会』から糾弾された野球人の事を指し、そんな彼女の著作は所持する事すら禁止されていた。


「冗談じゃ。まあ、大方どこぞの骨董品屋から手に入れたのであろうな。特別に今回だけは見逃してやろう」

「あ、ありがとうございます……」

(あっぶねえ――――!)


 カラカラと楽しげに笑うソラニテ。理解のある御仁で助かった。頭を下げたオレの背筋には大量の冷や汗が噴き出していた。


「始めまして。コルネリウスと申します。今日は学長の付き添いできました」


 彼女と入れ替わるようにして、同行していた獣人の男性が名乗り出た。背が高い彼は微笑を湛え物腰が柔らかい。


「フレーヌ・アベラールです。よろしくお願いします」


 作法に則り礼を交わした後、求められた握手に応じた。

 清貧を旨とする祖母の家には応接室なんてものはなく、食卓に使っているテーブルで話を聞くことになった。ピティエも同席する形で。それが祖母の指示。

 ソラニテは単刀直入に本題を切り出した。


「儂は『エヴェイユ三峰学習院』とい学校の校長を務めている。甲子園優勝のため、手を貸して欲しい」


 それから、彼女は学校の概要を話し始める。

三峰さんぽう』とは、武術、魔法、神呪セイクリッドの知識、その最高峰を指す言葉。

 この学校には入学に際し身分の貴賤はないが特待生制度というものがあり、能力に応じて授業料が免除されるらしい。


「貴様は先の対戦でその能力を示したからな。特待生として迎え入れよう」

「特、待生……っ」

「左様」


 まさに渡りに船。記憶を取り戻した際、学校を中退して親からの資金援助がない現状ではすっかり諦めていた。

 特待生、懐かしい響きだ。かつて前世でもそうやって県外に野球留学したものだ。


 この世界の『甲子園』は、勇者パルフェが造らせた世界初の野球場。

 毎年夏、高校球児たちはこの地で優勝を争う。それが『甲子園大会』。

 祖母もかつてこの大会に出場し、ベストエイトまで進んだらしい。

 ただ、気になる事が一点。


「あの……」

「なんだ? 待遇に不満でもあるのか? 因みに全寮制で、特待生には専用の寮が割り当てられるぞ? 与えられる個室も他の寮と比べると広くなっている」


 オレが懸念しているのは待遇面ではない。


「ピティエも、編入させてもらえませんか?」

「お嬢様……」


 当の本人は目を丸くして驚くばかり。

 かつて通学していた学校は貴族御用達の学校で、使用人は同行させてもいいが授業は受けられなかった。


 家族同然のピティエが同じ授業を受けられないのを、フレーヌも気に病んでいたらしい。

 その事をオレは素直に話した。加えて、彼女のピッチングの腕前についても。

 甲子園を目指す上で、ピティエは必要不可欠な戦力だ。


「……ほう。なるほど、では早速見せてもらおう」


 話はそれからだ。ソラニテは即座に席を立った。


「ありがとうございますっ よし、やるぞピティエ」

「お嬢様……っ」


 感極まる幼馴染の肩を叩き、庭先へと促す。

 ソラニテの指示通り、早速ピティエのお披露目。

 投げる球は直球、クロスファイヤー。


「来い」


 見極めるため、ソラニテ自ら打席に立つ。


「行きます」


 ワインドアップから放たれる、渾身の全力投球。オレはミットを動かすことなく、風を唸せる直球を受け止めた。乾いた破裂音が響く。注文通りの内角高め。

 更には外角高めと低めに投げ分け。

 それから変化球。ツーシームやシンカー、スローカーブにフォーク、チェンジアップ。


「ふむ。合格だ」

(よっしゃ!)


 ソラニテの判断は早かった。オレは内心ガッツポーズ。


「ありがとうございます!」


 破顔したピティエが頭を下げた。


「おめでとう、ピティエ」

「お嬢様ー!」


 嬉しさを身体全体で表現し、ピティエはオレの胸にダイブ。勢いが強く、一回転して衝撃を受け流した。


「これで一緒に登校できるな」

「はいっ♪」


 ピティエは喜々として頬を上気させる。護りたいこの笑顔。


「貴様ら。クロスファイヤーという言葉は知っているか?」


 尋ねるソラニテは不敵な笑みではなく、真剣な面持ちだった。


「はい。教本に書いてあったので」


 オレは屈託なく答える。何か新鮮だった。野球の専門用語を異世界で語り合うのは。

 野球監督を長年勤めていた祖母でも、クロスファイヤーまでは知らなかった。


「教本? 『邪道流野球』に記述した覚えはないが?」

「はい。勇者パルフェの原本? に、書いてありました」

「今すぐそれを見せろ」


 オレの両肩を掴み、至近距離で声をひそめて。その剣幕は、ただ事ではなかった。


「そういうことか……」

「ええ」


 ソラニテはにこやかな祖母の方へ顔を向け、互いに頷き合う。話が見えない。

 オレは言われるがまま自室へ原本を取りに行き、テーブルの上に置いた。

 羊皮紙製の本。題名は『私の雑記帖』。原本は二冊だった。


「これ、は……?」


 上から覗き込むコルネリウスが怪訝な顔を浮かべる。それはそうだろう、本の題名からして日本語。この世界の人語でも無ければ魔族の言語でもない。文法も違う。


「読めんな……」


 ソラニテがパラパラとページをめくりながら呟いた。読解しようと視線を四方に飛ばしつぶさに観察。やがて音を立てて本を閉じた。顔を上げると彼女は全員に着席を促す。

 まず、この本の入手先を尋ねて来たので、『邪道流野球』と同じ骨董品屋だと明かした。


「結論から言おう。この本に書いてあるであろうクロスファイヤーとは、我がアンジェリーク流野球道の秘伝なのだ」

「え?」


 野球道。この世界では剣術と同じように野球スキルも累代で継承されている。

 その際に『野球道』という名称が使われるようになったらしい。

 中でも特に技量が要求される物は『秘伝』として、文字通り秘密裏に継承されていた。

 一子相伝、それ以外の誰の目にも触れる事も無く。


「クロスファイヤーについて、他に口外しているのか?」

「いえ、別に……」


 この場にいる人間にしか話していないことを説明した。


「ふむ……」


 顎に手を当て、考え事に耽るソラニテ。黙して神妙な面持ちに、誰も口を挟める雰囲気ではない。無言で彼女の結論を待った。

 やがて――


「よし、分かった。フレーヌ、そしてピティエよ。今夜、ここを発つ。準備しろ」

「は?」

「え?」


 あまりにも唐突だった。

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