第8話野球教本

 サークルチェンジ。別名、OKボール。親指と人差し指で輪っかを作って球を握るその指遣いがOKサインを彷彿とさせるので、それが俗称として定着した。

 直球と同じ軌道から打席の直前で利き手側に少し沈む球種。


 つまり、直球と併用することで威力を発揮する変化球。

 今回はこれとスライダーを中心にストライクゾーン、特に外角低めへの枠の出し入れで凡打の山を築いた。


「それとツーシーム。ホント、面白いように打ち取れたよ」


 しみじみと話す口振りから、とても感慨深そうだ。


「へへっ 気に入ってもらえたようで、何よりだよ」


 気恥ずかしくて鼻の下を指先でこする。

 ツーシームストレート。球を覆う縫い目のU字の部分を前にして握る。こうすることで通常の直球、フォーシームストレートよりも空気抵抗が増し速度が出ない緩い球になる。


 軌道としては、緩い直球から打者の手前で利き手側に曲がりながら沈む変化球。投球では肘や肩が伸展の際に内旋の回転が掛かるため、それが球に伝達してそういった軌道を描く。

 球速差のある球を連続で投げることで幻惑し、いかに球とスイングとの拍子タイミングを外させるか、これがピッチングの醍醐味だいごみだ。


「よくそんなこと知ってんなー」


 ダヴィドがジョッキの琥珀こはく色を飲み干して感心する。

 そう。この世界ではチェンジアップやツーシームは一般的ではない。

『邪道流野球』といったこの世界での野球の教本にも、基本的には載っていない。


(実際、オレも記憶を取り戻した後でもかなりうろ覚えだったしな……)

 にもかかわらず、これらの知識を得ることができたのには理由がある。


「ああ、実はさ。骨董品こっとうひん屋で掘り出し物を見つけたんだよ」

「掘り出し物?」

「ああ、そうなんだ」


 ――そう。焚書ふんしょ指定されていた『邪道流野球』を購入した骨董品屋を、たまたま冷やかしに行った際。相変わらず胡散臭い笑みを浮かべる店主に勧められた。


 こちらの世界では普及していない言語、日本語で書かれた勇者パルフェの野球教本の原本。

 結論から言えば値段通り。いや、値段以上の価値があった。


 あらゆる知識が集約されていたその本は系統立てて書かれておらず、とにかく内容があちこちに散乱しており読みにくかった。

 どちらかというと備忘録といった趣のそれはとても分厚く、それに伴い実に膨大で幅広い知識が詰め込まれていた。


 ピッチングや変化球、バッティングは勿論、具体的なトレーニング方法やケガの応急処置の仕方まで。

 野球から数年離れていたことでぼやけていたオレ自身の知識が、原本によって解像度が上がり、更にアップデートもされた。


 ピティエがスモーキー投法で本格左腕になれたのも、ブリアックに変化球を伝授できたのもこの本の存在なくして実現し得なかった。

 勇者パルフェは本当にいい仕事をしてくれた。今でも心から感謝している。


「勇者の教本、ねえ……」

「正確には備忘録な。かなり高度な事が書かれてるから、一概にオススメはできねえけど」

「ふ~ん……」


 ダヴィドの反応は薄い。だが、それも仕方のないことだろう。

 この世界で野球は「女がするもの」なのだから。極めようと考える男なら、そもそも冒険者になっていない。


 〇                            〇


 宴もたけなわになった所で解散となった。まだ日は高いが、酒が入っているのでこれから魔物退治とはならない。あとはそれぞれが違った形で休日を満喫するようだ。


「じゃあな、お二人さん」

「また助っ人よろしく♪」

「元気でな」


 トライホーンズの面々と別れ、オレたちは酒場を後にする。

 宿屋に戻り、私服から旅装に着替えて荷物を纏め終えると部屋を後にした。


「さぁて。久々に、ばあちゃんの所に帰るか」

「はい、楽しみですね♪」


 待ち合わせたピティエと頷き合う。

 オレたちはこれから、絶賛セカンドライフの謳歌おうかに忙しい祖母の元へ里帰り。


 記憶を取り戻す前。素行不良で退学処分を受けたフレーヌは親から勘当され、遊学という名目で同盟国であるこのデルフィナに放逐。田舎に住む祖母の元に預けられた。


 だから、今はあそこがオレの実家だ。

 きっかけは、祖母からの手紙。

 街に戻り、山狩りの成果を冒険者組合ギルドに報告した際、オレはそれを受け取った。


『貴女に会わせたい人がいるから、帰ってらっしゃいな。あ、べつにお見合いという訳ではないからね?』


 そんな旨の内容だった。

 三角帽子に法衣ローブを着たピティエを連れて関所に向かって歩いていると、後ろから呼び止められた。

 振り返るとそこに立っていたのは、ブリアック。


「……あ、あのっ フレーヌ!」

「ん?」


 声色がいつになく緊張した様子。怪訝けげんに思いながら振り返ったオレは首を傾げた。

 だが、彼の言葉はそこで終わった。

 振り返った直後。建物の陰から冒険者たちが六人姿を現し、俺たちを取り囲んだ。


わりぃな。俺たちも、そこの嬢ちゃんに用があるんだ」

「え――――?」


 気弱な鉱人ドワーフは顔を青ざめ絶句する。

 使い古された重厚な戦斧は、歴戦の風格を感じさせた。

 武装した身なりから冒険者だと分かるが、コイツらの顔は知らない。何故、呼び止められたのか理由が謎だった。心当たりが全くない。


「何の用だ?」

「さっき話してた教本とやら、譲っちゃくれねぇかい?」

「あ?」


 オレがたずねると話を切り出して来たのは、振り返ったオレの後ろにいるガタイの良い男。その脇には、その男よりも逞しい体躯の有角人アントル

 オレは顔をしかめた。下卑た笑いから見るに、面倒事に巻き込まれたようだ。


 男の要求はこうだ。オレの持つ勇者の備忘録を寄越せ。素直に言うことを聞けば、今回だけは特別に乱暴しないでおいてやる。馬鹿馬鹿しい。


「断る」


 結論は決まっていた。腰にいた大太刀に手を掛け、ピティエを庇って臨戦態勢。


「お、いいのか? 六対三だぜ?」


 男は鼻で笑う。明らかに見下していた。


「黙れ。アレは、単なる小遣い稼ぎに使っていい代物じゃねぇんだよっ」


 おととい来やがれ。憤怒ふんぬに顔を歪めてオレは吐き棄てる。

 あの原本。備忘録だけあって、技術論だけでなく日々の心情もそこにはつづられていた。


 人族と魔族、骨肉の争いで深まった溝に架かる橋。勇者パルフェは野球をその様に位置づけようとしていた。

 だからこそ、異世界に作った甲子園で行われる大会は平和の祭典でなければならない。


『種族を問わず、男女の別間なく。野球よ、いつまでも自由であれ』


 この言葉に込められているのは、平和への祈り。平和を希求する心。

 そんな切実な思いが書かれているアレを、自分たちのことしか考えていないような輩に渡すわけにはいかなかった。冗談じゃない。


「そうか、残念だ。だがまあ、安心しろ。世の中の厳しさってヤツを分からせたら、ちゃんと娼館に売っ払ってやるか――」


 オレは魔力を解放した。身体から漏出した魔力が大気と感応して『魔風』を舞い上がらせる。更に噴き出した魔力を体内に収斂させ、『闘気オーラ』を錬り上げた。

 華奢な身体から放たれる、圧倒的な存在感。回りの冒険者たちは驚愕を浮かべ後ずさる。


「失せろ。二度は言わん」


 ドスの利いた低い声。顔を引きらせた眼前の男は完全に位負けしていた。


「今日のところは見逃してやる」


 捨て台詞を吐いて踵を返した。それを見た彼の仲間たちも脇道の奥に消えていった。

 魔風を舞い上がらせる程の魔力は、一流の魔法使いくらいしか持ちえない。

 戦士の中では、物凄く珍しい部類に入る。


 しかしオレは『あの事件』で死にかけて以来、魔力量が跳ね上がった。

 何でも、生命の危機に瀕して生存本能が潜在能力を引き出すためらしい。

 お陰で今は、ガラの悪い冒険者たちから絡まれても無傷で生還することができた。小遣い稼ぎに命を懸けるほど。彼らも馬鹿でもない。

 気配が完全に去ったのを確認して一安心。改めてブリアックに向き直る。


「で? なんだったんだ話って?」

「――――え? あっ いや、その……」


 話を振られるまで呆けていたのか、途端に慌てだした。そして最終的に、


「なんか、ゴメン……」


 背を向けて去って行ってしまった。


「? 何だったんだ……?」


 よく分からない。頭に疑問符を浮かべたまま首を捻る。


「さあ? 私にも、ちょっと……」


 困惑気味な顔を浮かべるピティエ。分からないのは一緒らしい。

 知るよしもないことは考えても仕方が無いので、オレたちは再び帰途に就く。

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