第5話添い寝

 敵に目を向けると、尻尾が伸長しているのが分かった。

 禍々しい鈍器が三つ、視界の外の頭上から圧殺しに掛かる。


「ふんぎ…ッ」


 歯を食い縛って身を翻し、辛うじて危機から逸出いっしゅつした。少しでも遅れていれば餌食だった。酸欠に肩を上下させ青色吐息。恐怖で皮膚があわ立つ。

 慄いている暇はない。自信に喝を入れ、反撃に転じた。


 蒼月流抜刀術『弓張月ゆみはりづき』。上体を弓なりに反らし、引手で身体を撃ち出す。逆手に持った脇差をスローイングの要領で全力投擲とうてき。梟熊がそれに気を取られている隙にオレは左腰にいた大太刀に闘気を籠める。風撃ウィンドブロウで塵埃が舞うのを、身を低く保ち頭を下げてやり過ごした。


 風が止んだ直後。顔を上げて敵の位置を確認し、満を持して抜き放つ。

 蒼月流抜刀『伊綱月(いづなづき)』。闘気を纏った斬閃の衝撃波を飛ばし、無形の刃で相手を斬り裂いた。


 返す刀で二発目。三撃、四撃と、相手が頽れるまで斬り刻み続けた。

 やがて、噴き出した血溜まりの底に敵が沈む。梟熊オウルベアの死亡を確認すると、オレは少年に駆け寄った。


「大丈夫か?」


 片膝を着き、顔を覗き込む。無言で頷く様子にオレは胸を撫で下ろす。


「魔物を前にして、よく泣かなかったな。スゲーじゃん」


 破顔したオレは、わしわしと少し乱暴に頭をなでた。すると、


「うわあああああああああああああああああああああああああんっ!」


 何故か泣き出した。


「えぇ……?」


 なんかオレ、やっちゃいました?


「ほら、泣くなよ。よ~しよし」


 声を上げてむせび泣く少年を優しく抱き締めながらポフ、ポフと背中を軽く叩く。

 全く泣き止みそうになかったので、数人が駆け付けて来るまであやし続けた。


 〇                            〇


 梟熊オウルベアたおした後、事前に解放したオレの魔力を察知したピティエが真っ先に駆け付け、次いで山狩りに参加していた他の冒険者や村の大人たちも何事かと集まった。


 皆、オレみたいな少女が一人で倒したのが信じられないといった感じで驚愕していた。

 そんなこともあり、今日の晩餐は大盛り上がり。慰労会も兼ねたそれは食事も豪勢だった。


 人狼と梟熊オウルベア。肉食獣の両者は兎や鹿などを捕食するため食糧で人間と競合する。

 だからこそ、梟熊が冬眠明けで腹を空かせたこの時期を狙って大規模な山狩りを展開し、これを叩く。


 肉は食えたものではないが、毛皮や獣脂、爪といったものは服や装飾品の素材として売れる。骨も薬としての用途が確立されていた。

 特に梟熊の胆嚢たんのうは薬の材料になるので高く売れる。この地域を代表する特産品だった。


 それと、魔石。

 生体結晶であるそれは擬魔法デミキャストを操る魔物の体内に宿り、加工して魔法使いの杖に使われる。


 人間もまた、魔石を使わないと魔法が使えない。

 強い魔物は大きな脅威であると同時に、人々に富をもたらす資源でもあった。

 それらが手に入ったこともあり、今宵の饗宴に列席する大人たちは終始機嫌がよかった。


 食事の後で村長の家に泊めてもらうことになり、風呂をもらってアッシュブロンドの長髪をいたオレは満ち足りた気持ちで床に就く。


「なんか、色々あったな……」


 枕に頭を横たえ、今日一日の出来事を思い返していた。

 毒が回った時は生きた心地がしなかった。本当に肝を潰した。

 それと、村に帰還してからの野球は楽しかった。


 魔物相手に大太刀回りをするのが嫌い、という訳ではないが。やっぱり、野球をやっている自分が一番しっくり来る。

 街に戻って草野球に興じるのが今から楽しみだ。瞼の裏にその光景を思い浮かべ、一人ほくそ笑む。


 布団の中で笑みをこぼしていると、枕元に人の気配。見上げると、寝間着姿のピティエ。


「? どうした? 寝れないのか?」

「……はい。ですから――」


 一緒に、寝させてくれませんか?


「は?」


 突然の申し出に、思わず目が点になる。


「失礼します」

「ちょ――」


 彼女は有無を言わせずベッドに入り込み、オレのことを抱擁しながら布団を被った。


「ピティエ、さん……?」


 オレは戸惑いを隠せない。彼女の胸に顔を埋めながら、上目遣いで覗き込む。彼女の顎が自身の肩に乗っているので窺い知れない。


(近い近い近い近い近い近い近い)


 女性と密着するなんて、前世では殆どなかったので耐性がない。耳まで紅潮し、脈拍が加速する。鼓膜の中でうるさく響く心音がピティエに聞こえてない事を祈るばかり。

 火照った顔で困惑していると、彼女の身体が小刻みに震えていることに気付く。


「すごく、心配しました……っ」


 紡がれる言葉はどこか湿っぽい。


「泣いてる?」


 無言で首を振る。


「私のことを庇って負傷した時。私、また同じ過ちを犯してしまって……っ」


 胸が締め付けられる思いでした。彼女はそうやって苦しい胸の内を吐露する。


「別に、そんなに自分を責めなくても――」


『あの事件』の事を言っているのは、聞かなくても解った。あの時もこの身体フレーヌはピティエを庇った。

 親から野球を禁じられ、剣術で鬱憤うっぷんを昇華するも評価されず。


 不貞腐れた先に学校の野球部に嫌がらせをしたのがバレて退学。

 そして遊学の名目でこの地に隠棲する祖母に預けられ、不貞腐れながら鬱屈する毎日。


 剣術の腕を買われて、魔法への適性があるピティエと参加した魔物狩り。

 山麓の森で奇襲され、襲われる彼女をかばった。

 せめてもの贖罪として。


 記憶が戻る前。フレーヌは燻ぶる不満を自分が拾い世話係にしたピティエにぶつけていた。

 だからこそ、フレーヌは彼女を助けた。

 その際に致命傷を負ったから、そのショックでオレは前世の記憶を取り戻すことができた。


「でもっ 私は、いつもお嬢様の足を引っ張るばかりで……っ」


 悲嘆の彼女は目を合わせる。紺碧こんぺき双眸そうぼうは今にも泣きそうなくらい儚く揺れていた。

 怖いのだ。親しい人間が自分の元からいなくなるのが。


 不安に苛まれるピティエ。オレのことを包み込む肉感豊かな身体が、ひんやりと冷たい。

 オレは、独り盛り上がって劣情を催した自分を恥じた。


「そんなことない、そんなことないから。いつも助かってる。ありがとう、ピティエ。さすがはオレの相棒だ」


 温かみのある声色を意識し、よしよしと頭を優しく撫でてやる。それだけで、悲壮感を漂わせていたピティエが急にしおらしくなった。


「ほんとう、ですか……?」


 潤んだ瞳で甘えたような声音。幼馴染が抱える不安を払拭させるため、オレは破顔して力強く頷いた。


(わかるよ)


 前世で家族を失った自分だからこそ、喪失の痛みとそれに対する不安が理解できた。


「当たり前だろ? 今日の戦闘だって、ピティエが居なかったらと思うと……本当に助かってる」


 嘘じゃない。励ますように柔らかい声音で語り掛ける。

 事実、解毒用の回復薬ポーションを口移しで飲ませてくれなければ死んでいたかもしれない。そう言う意味では、ピティエはオレにとっての恩人だ。

 そのことを率直な言葉で彼女に伝える。


「ありがとう、ピティエ」

「えへへ♪」


 哀切なピティエが顔を綻ばせた。安堵してくれたことが嬉しくて、オレも微笑み返す。

 感謝の言葉は素直に口に出した方が良い。届かなくなった後では、遅すぎるのだから。


「……そろそろ寝ようか?」

「はい♪」


 ぎゅっと、両手を背中に回しオレのことを抱き締めて来た。豊満な胸が柔らかさを激しく主張する。全く心が休まらない。


(ったく、しょうがねえなぁ……)


 まったく、甘えん坊の妹君様だこと。前世の頃にいた妹が一瞬脳裏に過ぎる。しかし、それをすぐさま頭から追い出し、目の前で甘えて来る妹に意識を戻して微笑み掛けた。

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