第2話春の山狩り

 初春。根雪も溶け、芽吹きを待つ閑散とした森の中。

 枯れた巨木が立ち並ぶ中で、オレは油断なく大太刀を構えて居た。

 白刃の向こうで相対するのは人ならざる異形、魔物。

 

 人狼ワーウルフ

 人型といっても熊みたいに時折二足歩行になるからであって、獣であることに変わりはない。魔族ですらない。


 異常に発達した前駆。その巨体は立ち上がった熊ですら優に見下ろす。両脇からは巨大な角が上に伸びて急所を覆う。腕は丸太のように逞しく、指先から伸びる鉤爪は禍々しい。


 その腕も現在は一本。強襲による咬撃こうげきを躱しざま、抜刀によって斬り捨てた。

 蒼月流抜刀術、『双月ふたつづき』。抜刀に続く鞘の追撃で敵を前方にぶっ飛ばした。


 それによって背中から幹に激突したにもかかわらず、今もさしたる損害は見られない。

 大きく隆起した背中の筋肉と、寒さをしのぐ分厚い脂肪に皮膚。それから体を覆い尽くす長い剛毛。これだけ揃えば、ノーダメージなのも頷けた。


「グルルルゥゥゥ……ッ」


 低く唸る獣声。獣臭と血の匂い、そして怒りを孕んだ殺気が辺りに充満している。人狼が放つ底冷えする程の殺意に肌がひりついた。緊迫した空気に汗が吹き出し、頬を伝う。息が詰まった。


 深呼吸。一旦左手を握り直すと、人狼が動いた。その場を飛び退くと、先刻激突した幹に両足を掛け地面と平行に跳躍。風を切って別の幹へと飛び移る高速移動。これによって冬期間も難なく兎や鹿を捕食することができた。


(喰われてたまるかよ……っ)


 森林という空間を広く使い、大きく迂回うかいしながら敵はオレに近付いて来る。構えて腰を深く落とし、油断なく正対するように足を捌いた。


「――っ⁈」


 振り返った時、接地の場所が悪かった。過去の戦闘でえぐれ、そこだけくぼんでいた。それに気付かない程、自分は動揺しているらしい。

 視線を落とし、足を引き上げ後退。その隙に人狼が中空に身を投げ出す大跳躍。巨体が頭上を舞っていた。そこから斬り飛ばした方の腕を振った。


 突然、鮮血が視界を覆う。


「チィッ」


 目潰しとは知恵が回る。横手投げ《サイドスロー》気味のソレにいち早く反応したオレは、すぐさま回避。跳び退った場所は泥のぬかるみ。雪解け水を多分に含んだそこは、オレのり両脚を地面に縫い付ける。本当についていない。跳ねた泥でアッシュブロンドの長髪が汚れた。


 至近距離で巨体が着地。震える地面がオレの身体を上から押さえ付ける。見上げれば人狼。既にもう片方の腕を振り上げていた。

 しかしオレは諦めない。両手で大太刀をフルスイング。攻撃を逸らした。


「グワァァァァァァァッ!」


 間髪入れず唸りながら牙をいて突進と同時に咬撃。咄嗟に刀身で受け防御。白刃を砕かんと牙を立てるが拮抗、吶喊とっかんの余勢で身体が浮き上がり、ぬかるむ地面から足が離れた。着地した人狼は顎を振り上げ、オレの小柄な身体を吹っ飛ばした。


「お嬢様っ」


 飛来する火球が敵の背中で爆ぜる。衝撃でよろけた人狼はその場で蹈鞴たたらを踏む。

 好機。敵の注意が後方に向いている隙に着地しざまに急接近。身を屈め、フルスイングで片脚を切断。上がる悲鳴。


 うつ伏せに倒れた相手に油断なく心臓を一突き。決定的な致命傷を負わせる。

 最後の抵抗とばかりに隻腕を振り回して来た。右腰の脇差を逆手抜刀。斬って捨てる。

 開けた口から血が噴き出していた。やがては痙攣も治まり、動かなくなって死亡を確認。


 深閑としていた森に再び静寂が戻って来た。


「フレーヌお嬢様っ」


 濃紺のミニスカートの裾を揺らして遠くからオレの名を呼ぶのは 杖に三角帽子といった魔法使いの装束に身を包む銀髪の少女。


「むぐっ――」


 駆けて来た彼女の豊満な胸が飛び込んで来た。柔らかいものに顔が埋まり視界が塞がる。


「大丈夫ですかっ⁉ どこかお怪我はっ」

「ぷはぁっ」


 全力の抱擁から解放され、窒息ちっそく気味の心臓に空気を送って漸く人心地。


「大丈夫だから。心配すんなって」

「本当、ですか……?」


 俺の顔を覗き込む紺碧の瞳は潤んでいた。可愛い。思わず口が綻んだ。


「ほら、見てみ? どこにもケガなんてないだろ?」


 腰元の鞘に納刀してから両手を広げてターン。異常がないことをアピール。


「はいっ 流石です、お嬢様♪」

「へっ 伊達に鍛えてねえぜ」


 照れくさくなって鼻元を手袋の指で擦った。

 上気した頬で笑顔を弾けさせる彼女はピティエ。側頭部から上に突き出た双角と腰から生える蝙蝠こうもり羽、スカートから伸びるヒモみたいな尻尾はいずれも漆黒。耳も尖っていた。


 淫魔族サキュバス。その昔、魔王討伐を経て人類側に寝返った魔族の末裔。

 肉感豊かな肢体と豊満な胸元は防寒着に隠れて解らないが、オレより十センチは背が高い。

 べ、別に羨ましくなんかないんだからね!


 ピティエは五歳の時に浮浪児だった所を拾い、それからは世話係として仕えてもらっている。そして二年前。彼女を庇って致命傷を受けた『あの事件』以来、過保護になっていた。

 ぐいぐい来るようになってスキンシップが激しいのは、ハッキリ言って心臓に悪い。


「それで。大丈夫だったのか? あっちから抜けて来て」


 自分たちがやって来た後方に視線を移せば、既に静寂が訪れていた。

 今回、山狩りで巨木が立ち並ぶ山麓さんろくに来たオレたちは、人狼ワーウルフの群れと会敵した。


 数は五。擬魔法デミキャストを使えないから与しやすい。

 だが、突如として伏兵が強襲。状況を俯瞰し、回復役ヒーラーを無力化しようとする狙いに気付いた俺が伏兵の前に躍り出、逆に分断してやった。

 その敵が今、ピティエと一緒に倒した敵。


「あの後。小鬼ゴブリンが五、六体現れましたが、すでにたおし終えたようですね」

「そっか。なら、よかった」


 小鬼ゴブリンは最弱の魔物と呼ばれているが、油断できる相手ではない。

 奴らは自身の弱さに自覚的な分、卑怯な手段をいとわない。更に集団戦を基本とするため冒険者が単独で相手にするには骨が折れる。多勢に無勢でかさにかかって襲われると最悪、命を落とす可能性だってあった。


 加えて、毒。盗んだやじりやナイフに糞尿を塗り込んで雑菌塗まみれにすることで破傷風など引き起こさせるという狡猾こうかつな手段まで講じて来るからあなどれない。

 なんにせよ、戦闘が終わったなら問題ない。


「じゃあ、戦利品を頂いて帰るとするか」

「はい♪」


 ピティエが嬉しそうに破顔する。


「さっさと帰って、野球がしたいぜ」

「ですね♪」


 オレの台詞に、幼馴染は目を細め微笑みを返してくれた。

 そう、オレが転生したこの異世界は。


(野球が、できる―――――――――!)


 かつて魔王を倒した伝説の勇者が広めたらしい。

 今は大衆娯楽として親しまれているお陰で、市民球場とかあるから試合場所にも困らない。

 おかげで、前世でやり残した野球が全力で楽しめる。まさに勇者様様だった。


「じゃあ、まずは毛皮からだな♪」

「はい、お嬢様♪」


 人狼ワーウルフの分厚い毛皮は素材としてそれなりに人気がある。骨とかも、粉末にすれば腹痛に効く薬となるので外せない。持参したナイフ片手に手分けしてそれらをぎ取っていく。


 まだ温かい身体。致命傷の胸からナイフを差し入れ、皮に付いた脂肪を削ぎながら肉と乖離かいりさせていく。

 学校を中退し、冒険者稼業を始めてから既に一年が経過しようとしていた。

 もはや獣臭に塗れることに対する抵抗もなく、解体作業にも忌避感がない。


「何とか終わりましたね」


 ふう、と一息つくピティエ。


「ああ、そうだ――」


 考えるより先に、身体が動いた。ピティエを抱えて上に跳躍。自分たちの居た場所を高速で飛ぶ何かが通過していった。鈍器が背中にブッ刺さる。


「え――――?」

「……ッ」


 呆気に取られているピティエを他所よそに、オレは身体を回転。服の上から刺さったとげを強引に引きがす。えぐれた引っき傷から走る激痛。背中が焼けるように熱い。毒が含まれていたようだ。


 人狼を超す巨体が反転し、音を立てて大地に軟着陸。地面に爪を突き立て、土砂を抉って飛ばしたのは新たな敵。

 梟熊オウルベア。この地域一帯における最大の捕食者。


 翼みたく扁平へんぺいで巨大な腕と、白雲のようにふわふわした体毛。猛禽もうきんくちばしの中には鋭い牙。細長い尻尾は先端にとげの付いた球体が枝分かれして三つ。そのうちの一つにやられた。


 滑空攻撃パラグライダー梟熊オウルベアの得意戦法。両腕を広げて滑空、音も無く飛行して敵を襲撃する様はまさしくふくろうのソレ。運が悪ければ即死も免れない。


「ぐっ………」

「お嬢様っ!」


 着地したは良いが、耐え切れず膝を着く。け付く背中の感覚がぼやけている。身体は寒いのに、全身から汗が噴き出て止まらない。毒の巡りが早い。

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