ナイス~
「失礼しまーす」
抱き抱えた茜を連れて、彼女の部屋へと足を踏み入れる。
部屋の中は想像通り、とても丁寧に整理された内装をしていた。フローラルな香りが部屋を漂い、室内にはベッドにデスクとチェア、大きなクローゼットなどが配置されている。
数ある家具の中で一際目を惹いたのは、クローゼットにも負けないほど大きな本棚と、デスク横に置かれたデスクトップパソコンだ。
本棚の中には漫画や小説といったものは殆ど入っておらず、辞典や参考書、様々な分野の専門書や経済・経営に関する書籍などが上から下まで隙間無く並んでいる。
ここにある大量の本は張りぼてかと言うとそうではない。彼女は非常に聡明で、様々な物事に対する知識も多く、学校での学力も高い。
ついでにその片手間で俺に勉強を教えてくれたり、ゲームを一緒にやったりしてくれているのだ。
「ほら、ベッドに降ろすぞ」
そう言って茜の背中をトントンと叩くと、首の裏に回った腕がギュッと締まった。
「やだ……まだ、もう少しだけ」
彼女の言動や行動がまるで昔の
とはいえ彼女をこのまま放置していると、予定していた今日の配信が出来なくなってしまう。だからしょうがないのだと、断腸の思いで茜を引き剥がすことに決めた。
抵抗する茜を無視してベッドの前まで向かうと、俺はベッドの上に身体の半身を乗せ、彼女をベッドに押し倒すような体勢を取った。
これで彼女は自らの力で俺にしがみつくしかなく、掴んでいることが出来ずに彼女が俺から離れて落ちたとしても、ベッドに転がるだけで安全だ。
そもそも茜は回復魔法の副作用によって半ば放心状態であり、手足は弛緩して満足に力が入らないような状態になっている。そんな状態でぶら下がることが出来るはずもない。
「あっ……やだ、やだ」
腕を掻き抱くように動かして必死にしがみ付こうとするが、手足がもじもじと動くだけに留まり、遂には殺虫剤で死んだ虫のようにベッドへと落ちた。
ボフッと音を立てて落ちた茜は縋るように俺を見つめるが、俺はそれを努めて無視し、茜をベッドの上に綺麗に寝かせて、そこから離れた。
「じゃ、ゆっくりしてな」
「……いかないでよ」
「配信があるから。あと明日の食事は俺がやるよ――って言っても朝は余りのカレーだけど」
◆
「……よし、カメラの準備完了!」
茜の移動が終わった後、配信の準備が完了した俺は、いつものように
配信用に作成したアカウントには四桁近くのフォロワーがいて、そこで開始報告を投稿すると、即座に10を超える
お気に入りの数字がポコポコ増えるたび、「へへへ……」と馬鹿みたいな笑いが込み上げてきた。
これよこれ。学校で必死に勉強なんかしなくたって俺にはネットがあるんだ。
ソフト側の準備は問題ない、後はハード側の調子だ……とパソコンの方へ意識を向ける。
モニターの隣に設置されている自身のパソコンをチラリと見て、景気よく回るファンの音に惚れ惚れとする。高校入学のタイミングで新調したパソコンのため、外観・中身どちらもピカピカで、スペックだって申し分ないものだった。
……そうだ。新調したパソコンを見て、茜のことを思い出した。
茜――というより他人に対して魔法を掛けた際、俺が想像している以上に効果が出過ぎてしまったり、副作用や悪影響が出てしまうことがある。
先ほど彼女に使用した精神不調を治療する魔法。
これも単体で使用する分にはさほど効果がないが、他の回復魔法と併用して使用することで、手足に力が入らなくなるほど気の抜けた状態、つまり放心状態になるほど強く魔法の影響を受ける。
手足に力が入らないとか放心状態とか危ないのではと、当初は俺も思っていた。
しかし、数分から30分ほどで放心状態は収まるし、鬱病にならない程度の精神状態であれば快調にまで持っていけるほど効果が発揮されるため、色々と実験をした結果、現在は重宝している。
過去、同じように茜が放心状態になった際、一抹の不安を覚えた俺は、自身にも同じように魔法を掛ける実験を行ったことがある。
それから実験を何度か試して分かったことは、俺を除いたこの世界の生物には、魔法に対する耐性が存在しない。それゆえ、俺の使用する魔法が
魔法に対する耐性。なんだかゲームによくある耐性という概念に似た感じだが、実際それと近しいものだと思っている。
この世界にいる生物の多くは、その魔法という超常的な力に対する耐性がない。
そのため、受けた魔法の影響を軽減することができず、魔法を使用した際に本来想定される効果以上に強い影響が出てしまう。
簡単な回復魔法であれば、効きすぎたとしても悪影響自体はほぼ無い。しかし強力な回復魔法などを適切に使えなかった場合、過度に影響が出てしまう危険性がある。
今まで完全無欠だと思っていた魔法に存在する以外な弱点だった。
配信管理を行うアプリケーションを操作し、残りは配信開始ボタンを押すのみとなった。
配信サイトに設置された自身の配信URLを覗いてみると、すでに百人近くのユーザーが待機状態となっている。
さあ押すぞ押すぞと意気込んで、予め準備しておいたペットボトルの水を一口飲んだ。
「……ふぅ」
一息ついて、それから配信開始のボタンをクリックする。配信のランプが赤くなり、配信が始まったことを表示している。
少しの間待機をすると、画面確認用に開いていた配信サイトの画面も動きだし、コメントがポツポツと流れ始めた。
“おつ”
“待ってました!”
“おつおつ”
「お、見てくれてる」
“今日もランクマ回すの?”
“もっと喋って”
「今日もランクマ回すよ。そろそろ最高ランク到達できそうだし」
配信の視聴者数が少しずつ増え、それに比例するように流れるコメントも多くなっていく。
俺の配信は現在三桁の視聴者を持っている。これはSSFを配信している同業者の中でも中の上、上の下といった程度の人気でしかない。
SSF自体は人気ゲームで間違いないが、昔から何年も続くゲームだけあって、いわゆる古参の配信者が強い。だから俺がどれだけポテンシャルがあろうとも、数か月程度配信をしただけで天下を取るのは厳しかった。
「――あ」
“い?”
“う”
“え”
「そうそう。いつも俺をチート扱いしてくる一部視聴者がうるさかったから、その証明をするためにWebカメラを用意したんだ、ほらこれ」
アプリケーションを操作して、Webカメラが映す手元の映像を配信画面に反映させる。画面にはWebカメラを通してマウスパッドの上に置かれたマウス、それと俺の手が映った。
「これで俺がチートしてないって証明できるでしょ」
画面に映る右手でサムズアップをすると、今まで以上にコメントの流れが速くなるが、その内容は俺が期待しているものとは若干違った。
“良い腕してんね!”
“マジで本物?”
“男?”
“嘘まじで男だったの?”
“手綺麗~”
“その…なんというか、いいですね”
“手若いね”
「前から男だって言ってた気がするけど? まぁいいか、これでマッチ回すよ」
現在SSFにて、俺は最高ランクの一歩手前のランク帯に位置している。
前までは最高ランクに到達したうえで、更にそこから上位プレイヤー1000人の中にいつもいる常連だった。
しかし高校の進学に伴うスパルタ気味の勉強により、俺は満足にゲームが出来るような状況ではなくなっていたため、しばらくの間ランクマッチをすることが出来ず、定期的なランクリセットを受けた影響でランクが著しく落ちてしまっていた。
コメントと戯れつ五分ほど経過したタイミングで、ようやく試合がマッチする。高ランクになると試合のマッチング時間は長くなってしまうが、これは上位プレイヤーの総数が少ないために仕方のないことだ。
順当に試合が始まり、ようやくキャラの操作画面へと移行した。
“訓練所とか行かなくていいの?”
「俺最強だからそういうの要らないんだ」
そう言うと、クソみたいなコメントが当たり前のように流れてくる。
“訓練所より学校行ったほうがいいんじゃねwww”
“www”
“wwwwww”
そそくさとコメントを通報してからBANし、ゲームの操作に意識を移した。俺の手が乗ったマウスの動きに合わせてゲーム上のキャラの視点が動きだす。クソコメントを視界に入れたことで嫌な気分になり、溜め息が漏れてしまった
「……はぁ。これで見える? 俺の手の動きに合わせてキャラ動いてるんで、よく見ててね」
ラウンドが始まり、各々のキャラも好きに動きだす。流石に高ランクの試合だけあって、俺以外の味方は非常に洗練された動きだ。
しかし長年やっている俺もそれに続いて動きだし、味方と共に行動を始める。
ドンッという大口径の銃弾によって、先頭に立って先導していた仲間の一人が一撃でやられてしまう。
「あー味方どんまい」
そう言いながら、味方の落とした武器を拾って俺が先導を始める。とは言いつつも無策には出ない。死ぬから。
少し待っていると味方の一人が裏取りに向かい始めたので、味方の移動時間を稼ぐべく、こちらに視線を向けさせるため、持っていたグレネードを幾つか放り投げる。
その合間を縫い、先ほど倒れた味方から拾った武器を見る。
「味方がくれた武器DEだから、ヘッショ一発か。良いスキン付けてんな」
“味方がくれた(死亡)”
“お前にあげたわけじゃないぞ”
DE。そんな名前を持つ大口径の拳銃は、このゲーム内においてハイリスクハイリターンな武器として知られている。
弾数が非常に少なく、連射系武器と比較しても無駄撃ちができない。しかし頭に当てれば一定距離までは必ず一撃で倒せる。
下手なプレイヤーほどこういう難しい武器を使いたがるが、高ランクプレイヤーが初期ラウンドに持つ武器は大抵このDEだ。
それ以外の場合――つまりグレネードなどを持とうとすると、これを持つことが出来なくなってしまうが、その場合でも先に倒れた味方から拝借すれば使用可能だった。
味方が裏につき、挟み撃ちができる状況へと移行する。
そうなるともう我慢の必要もなくなる。俺は最後に残ったスモークグレネードを放り投げて弾の射線を塞ぎつつ、一気に敵陣へと飛び込む。
画面内に相手プレイヤーが三人映る。スモークグレネードによって発生した煙に視線を奪われ、こちらを見るのが一瞬遅れている。ほんの一瞬の隙だが、このゲーム――特に俺のような最高ランクの更に上位プレイヤーにとって、一瞬のフレームレートで勝負が決まってしまう。
いつものようにマウスを動かし、流れ作業のようにカチカチカチとタイミングよく左クリックを押した。するとマウスクリックのタイミングに合わせ、ゲーム画面上でも操作キャラがリズミカルに攻撃のモーションへと移行し、ドン、ドン、ドンと、DEから弾が発砲される。
右、左、左。
ハエ叩きでもするかのように、相手キャラクターの頭部に弾丸が叩き込まれた。
「裏取りナイス~。ついでにトリプルヘッショナイス~」
画面上部にはトリプルキルの表示と、倒れる三人の相手キャラが映っている。どうやら裏取りのプレイヤーが残り二人をやったのだろう。
“は?”
“きも”
“チートじゃん”
“マウス振ってるだけじゃん”
“???”
「これで俺がチートを使ってないって証明できた?」
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