人生設計
「卒業証書、授与」
卒業式。
六年生となった小学生が行う最後の行事で、今日はそんな卒業式の本番当日だった。
堅苦しい空気感の中、俺を含めたクラスメイト全員が、かしこまった様子で行儀よくパイプ椅子に座っている。
殆どの生徒は卒業証書を既に受け取り、後は残っている数人の生徒が証書を受け取るのを待つだけになっていた。
以降は偉い人たちの話を聞いて待つのみ。そんな状況だから気を抜きたくなってしまうが、周りの生徒たちは気の抜けた様子を一切見せず、とても真面目に座っている。
昔から真面目な雰囲気は好きではなかった。今も気持ちは変わらず、いやむしろ昔よりずっとそういった雰囲気に耐えられなくなってしまった気がする。
「(……あ、そうだ)」
肉体的・精神的に疲れた中、ふと頭の中で妙案を思いつく。卒業式を抜けて一休みする方法があったことを思い出したのだ。
体育館の壇上から流れている先生のありがたい言葉を聞き流すように目を閉じ、人差し指の先に力を集中させる。
集中といってもさほど大した労力ではないが、出力を誤れば容易く惨事が起きてしまう。なので、間違いが起きないよう力を調整し、指先に集まった力を起点に魔法を使用する。
時間停止魔法。
それを発動させれば瞬く間に音が消え、世界からは色が失われる。
周囲を見渡しても動いている生物はどこにも存在していない。俺だけが時間の止まった世界の中を動くことが出来た。
何度見ても惚れ惚れする素晴らしい魔法だ。
時間停止――正確に言うと本当に時間が止まっているわけではないらしい。あまり詳しくないので詳細は不明だが、時間を操作して止めているわけではなく、空間を操作してなんやかんやしているとか。
時が止まった世界では誰も俺を咎めることはできない。
それならば――と、パイプ椅子に背中を預け、両手を天井へと突き上げて大きく欠伸をする。
「ふぁ――」
大きく口を開けて目いっぱい息を吸う。窮屈だった卒業式の最中、欠伸一つ出来ない空気で息が詰まる思いだったが、少し気が楽になった。
足元をちらりと見て、パイプ椅子の下に置かれた卒業証書入りの筒を踏んだり蹴ったりしないようにして立ち上がる。
首を軽く回し、それから全身をほぐすための柔軟体操を始めることにした。もうかれこれ一時間以上座りっぱなしで、流石に体力のある小学生といえども疲れてしまった。
今使っている時間停止の魔法は効果時間に制限があり、自分で魔法を消すか、5分経過すると魔法の効果が切れてしまう。それに魔法を再発動するためのインターバルに時間を要する。
インターバル不要かつ好きなだけ時間を止めることが出来る魔法も使用可能だが、こちらはこちらで魔法を使うまでのハードルが少々高く、平常時の運用などには向いていない。
少なくとも卒業式途中の息抜き程度であれば5分あれば十分だろう。
「……トイレいこ」
◆
卒業式は何事もなく終了し、俺たち卒業生はそれぞれ自身のクラスルームに戻ってきた。
それからは滞りなく最後の挨拶が終わり、呆気なく解散となった。
泣き出す者は数人いたが、それらを除いたクラスメイトは対して気にしていない。というのも、小学校から中学校に進学するとなった時、その多くは近場に存在する公立の中学校へ進学することになる。つまり顔ぶれにさほど変わりがないのだ。
俺も近場の中学校へと進学することになったし、茜も同じ中学へと進学することになっていて、それ以外の友人も皆同じだった。
しかし意外だったのは茜だ。彼女は頭が非常に良かったし、相当な上流家庭の生まれということもあったので、もっと偏差値の高い中学校へ受験でもするのかと思っていた。
蓋を開けてみれば同じ中学校への進学。理由は「みんなと離れたくなかったから」だ。俺が言うのもあれだが、人生設計大丈夫なのだろうか。
少しずつクラスから生徒が減っていく。先生と挨拶などを交わし、軽い足取りで教室から出て帰っていく生徒たち。それを見届ける先生の後ろ姿は若干寂しさを感じさせる。
そういえば、四年生の頃にいた担任の――内川先生は元気にしているだろうか?
五年生に上がる際、別の学校へと移ることになったという彼女に呼び出され、いわゆる声フェチであると告白されたことを思い出した。俺の美声に魅了されてしまったらしく、どうしても記録に残したいということで、彼女が自費で購入したという録音機に声を録音したのだ。
元々考えてはいたが、彼女のおかげで配信者としてやっていけそうだという勇気を貰ったこともあり、なんだかんだ感謝しているのだ。ゲーム配信一本で食っていくのは厳しいものがあると考えれば、キャリアを広げる経験だったと言えるだろう。
そんなことを考えながら、出ていく生徒たちを横目に、俺と茜――数人の友人たちで雑談を続けていると、教室の入口から見慣れない三人組の少女たちが顔を出した。
ツインテールで勝ち気そうな性格をした子と、吊り目がかった子、そしてなんだか根暗そうに髪を伸ばして目元が見えない子だ。
ツインテールの少女はキョロキョロとクラスを見渡し、俺に目をつけた。それから彼女は近くにいる他二人の肩をたたき、興奮した様子で叫んだ。
「いた! いたよ!」
同学年で見たことがない顔だった。下級生だろうか? そう悩んでいると、少女たちはこちらに駆け寄り、俺の前に立つと、三人組の先頭にいたツインテールの少女が話しかけてきた。
「失礼します! 如月先輩……今、大丈夫ですか!?」
後ろにいる残り二人は付き添い……というよりは囚人と看守のようだった。吊り目の少女がニヤニヤ笑いながら、根暗そうな少女を引っ張っている。虐める生徒たちと虐められる生徒の構図にしか見えない。
「……俺? うん、大丈夫だけど――」
「じゃ、じゃあちょっと外に――あまり人がいないところに行きましょう!」
そう言って俺を教室の外に引っ張り出す少女たち。あっという間に引っ張られていく俺が教室を出る直前、呆然とした表情の茜たちが目に入った。
引っ張って連れてこられたのは、クラスを出て少し歩いた先にある廊下の最奥だった。人目につかない場所としては悪くない場所だ。
俺を連れてきたツインテールの少女と、吊り目の少女は一歩後ろに下がり、根暗そうな少女を前へと立たせた。
「ほら、リンちゃん!」
「このタイミングしかないよ!」
そう言って後ろの二人は、リンちゃんと呼ばれた根暗そうな少女をつつく。後ろに両手を組んだまま、一人前に立たされた少女は挙動不審な様子で、遠慮がちに話を始めた。
「わ……私、3-Aの影井って言います」
「うん。俺は如月……って知ってるんだよね?」
「は、はい。天音さんが同じクラスなので」
3-A。つまり三年生で、このクラスには妹の天音がいる。彼女たちは天音の友達なのだろうか?
「その……」
「……?」
影井と自ら自己紹介をした少女はそれだけ言って顔を俯かせた。
長い前髪が顔の上半分を覆っているため、俯いたのが合っているのか分からないが、視線を下に向けたのは確かだった。
「……」
「……あの、影井、ちゃん?」
続く沈黙に耐えられなくなった俺が、先制して影井という少女に声を掛ける。すると思いきり肩が跳ね上がり、飛び上がるようにパッと顔を起こした。黒く長い前髪の隙間から、大きく見開かれた目が見えた。
「……ゆっくりで良いから、どんな用事だったのか話せるかな?」
「あ、あ……は、はの、はい」
少女は壊れた人形のように、何度も頭を上下に振って反応を示す。それから彼女は、背中に回していた手をゆっくりと降ろす。右手には何か手紙のようなものが握られている。これを渡す気だったのか? 卒業祝い……天音からか?
「……実は」
「うん」
「好きです」
「うん……え?」
影井という少女は、右手に持った手紙をこちらに渡すよう突き出し、根暗そうだと思った風貌からは考えられないほどハキハキと大きな声で言った。
「初めて天音さんを迎えに来た時から好きでした! 付き合ってください!」
手紙――ラブレター? を突き出したまま頭を下げる少女を前に、俺は呆然と固まるしかない。
モテ期……なのか?
◆
「リンちゃんってあんな大きな声出せるんだ~」
「ね!」
「うっ……ううっ」
自らのクラスである3-Aの教室に向かって歩き出す少女たちの背中を見て、何とも言えず頭を搔いた。
嬉しいような悲しいような、言語化しづらい複雑な感情が胸中に渦巻いていた。
「……テンくん」
「……ん?」
背後から声を掛けられ、そちらに視線を向ける。
そこにいたのは幼馴染である茜だった。
彼女が告白の現場を陰で見ていたのは知っていたからだ。
「よく聞こえなかったんけど、OKしたの?」
「してないよ、流石に」
影井 凛という子からの告白は断った。
告白されたことは嬉しい。根暗そうな子だったが美人になりそうな気配もあったし、ああいう子はゲームにも理解があると思う。
……でも小学生だしな。
中学生……いや、せめて高校生だったら俺も青春として楽しめたかもしれないのに、なんで小学生なんだ。
生まれ変わったことによって、感性も肉体年齢に引き摺られて年相応になっているが、理性――というより倫理観的な観点で受け入れることは出来なかった。
告白に慣れたイケメンお兄さんキャラのように、「もしもっと成長しても好きだったら~」的なことを言ってお茶を濁して、ついでに天音と仲良くするように言っておいた。
「なあ、茜」
「――どうしたの?」
「モテ期って人生で三回あるらしいよ」
「なにそれ」
小学生時代にモテ期を消費してしまったのが人生最大の損失かもしれない。悔しいよ俺は。
帰路を歩く天音と俺と茜。
背後には如月家の両親と、木下家の両親が仲良く会話しながら歩いている。対する俺たちの仲はなんだか良くない。茜に対して天音がそこはかとない敵意を向けて睨んでいる。
「私って天音ちゃんに何かしたかな?」
「お兄ちゃんを取った」
「お勉強のこと? それはお馬鹿なテンくんが悪いところがあると思うんだけど?」
「……それは少しある」
何を言っているんだこいつら……!
数年後の俺はネットの人気者だぞ! 勉強なんて要らねぇんだ!
俺を挟んで楽しそうに会話をしている二人を見て、実は仲が良かったんじゃないかと思ってしまう。それほどまでに自然と会話を構築出来てしまう茜のコミュニケーション能力には目を見張るしかない。
彼女たちのことは気にしなくていいだろうと、もう一つの関心事に目を向ける。それは俺のランドセルに入っている、先程受け取ったラブレターのことだった。
ラブレターなんて貰うのは初めてだが、今までに無いくらい嬉しい。久しぶりに承認欲求が満たされて充実している。常日頃から両親へのマッサージなどをして褒められているが、こうやって外部から受ける称賛はそういう日常的なものとはまた違う喜びがあった。
それと同時に、あの時、格好つけて告白を断るべきじゃなかったかもしれないと、心の中で若干の後悔が残っている。告白される機会なんて一生の間にそう多くはない。
……あり得ない話だ。チート能力を持っている俺にとってあり得ない話だが、もしかすると、このまま一生彼女が出来ない可能性だってある。それを考えたとき、小学生時代でも良いから彼女を作っておくべきだったのではないか?
「……はぁ」
現代社会でチートがあっても満たされないものもある。そういうことかな?
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