要注意人物
三年生になった。
小学生としてようやく折り返しだ。ここ一年、二年はすごい勢いで時間が進んでいく気がするが、特別な出来事というのはさほど起きていない。
特筆すべき内容といえば、妹の天音が小学生に上がったことだろう。ランドセルを背負って俺の背中を付いて毎日登校している。
学校で出来た友達と遊ぶようになって、俺の部屋に入り浸るということも減ったのだが、それでも暇があれば前のように甘えてくるのは変わっていない。
最近、家族全員で食べる夕食の場で「お兄ちゃんと結婚する」と言って両親を完全に凍らせていた。
二人とも何とも言えない様子で顔を見合わせた後、悩んだ表情で俺の方に視線をちらりと向けられた。……もしかして俺の教育ミスってことか?
ゲーム――SSFの方はだいぶ楽しく遊んでいる。
このゲームにはいわゆるランクマッチというルールが存在し、そこで算出されたポイントで自分の実力がどの程度か分かる、というものがある。
恵まれたこの身体があれば、このゲームの最高ランクへ簡単に到達できるのかと思ったが、上へ行けば行くほど敵との撃ち合い――エイム勝負以外の部分が求められることになって、下のランクほど簡単に勝てなくなってきた。
チートボディを使っても尚一筋縄ではいかないということが分かって愕然としたが、別に落ち込むとか挫折したわけではなく、むしろ更にのめり込むようになった。とはいいつつも日常生活に問題がない程度で留めているが、気を抜けば一日中ゲームをやってしまいそうになるのは気をつけたい。
それと配信については色々と調べた結果、今のところ手を付けないことにした。
まだ小学生であること、配信環境があまり整っていないこと、そしてゲームを配信できるサイトが整備されておらず、配信のための準備が非常に手間だということが理由だった。
あと数年もすれば大手動画サイトもいくつか出来上がるだろうし、その頃には配信し易い環境になっているだろう。
全ての問題を時間が解決してくれることに期待し、ひとまず配信のことは考えないことにした。
三年生になっても相変わらず茜とは同じクラスだった。
というか席も隣だ。定期的な席替えの時も前後左右どこかの席に茜がいる。
「……なにかおかしくない?」
当たり前のように隣に座る茜に向かってそう問いかける。毎年容姿に磨きが掛かる人形のように整った茜の顔が不思議そうな表情へと変わり、こちらを見て小首を傾げた。
「なにが?」
「なにがって……ほら毎年同じクラスだし……席も隣じゃん?」
「うん」
「いや、うんって……」
三年間ずっと同じクラス近くの席っておかしいだろと困惑する俺を見て、茜は顔を近づけてくる。
耳元に口を寄せた彼女は周りに聞こえないよう、小さく、囁くように、言葉を紡いだ。
「嫌なの?」
あまりに冷たい声だった。
一瞬、言葉に詰まる。
すぐに否定すれば良かった、実際のところ別に嫌じゃない。
茜は、世の中にたまにいる信じられないほど可愛らしい美少女で、そんな彼女と隣の席なんて誰もが望む場所だし、俺だって同じような気持ちだ。
言葉に詰まった理由はそうではない。彼女の、茜の声色が、今まで聞いたことがないほど底冷えした、一切熱の籠らない冷たい声だったからだ。いつも明るく、誰にでも優しい彼女が絶対に出さないような声が聞こえたから、ちょっと固まっただけだった。
「――い、嫌じゃないよ。ホントホント」
回答が返ってこない。俺は彼女の顔を見ない方がいい気がして、気を落ち着かせようと周囲の様子に目を向ける。
本日の授業が終了し、既に放課後だ。クラスにいた生徒たちの殆どは既に帰宅済み、残っていた生徒たちもそれぞれ帰宅の準備などを続けていて、クラスの誰も、俺と茜が会話しているのを気にも留めていない。
「ご――」
「……なーんだ! 別に嫌ってわけじゃないんだね!」
もしかしたら怒らせるようなことだったのかもしれない。重ねて謝った方がいいのかと思考が回り、喉元まで登ってきていた謝罪の言葉を出そうとした瞬間、彼女は俺の耳元から顔を離すと、明るい調子であっけらかんとそう言った。
「……え?」
「私たちがいつも同じクラスで席が近いのはね、テン君が問題児だからだよ?」
「問題児……?」
問題児?
初耳だった。
俺は間の抜けた表情のまま、茜の顔をまじまじと見た。そんな俺を正面から見つめ返してくる茜は柔和な笑み浮かべており、そこには負の感情は一切存在していない。さっきの声が嘘だと思ってしまうほどだった。
茜は硬直した俺の肩を小さく指で小突く。
「テン君って昔は全然落ち着きがなくて、すぐどこかにいなくなっちゃってから、幼稚園では要注意人物扱いされてたんだよ?」
「……あー」
そんなわけないだろと思ったが、幼稚園時代を
幼稚園を好き勝手歩き回ったり、チート練習と称して瞬間移動やら透明化やらを使ってた記憶が数日前のことのように蘇ってくる。
「だから多分……多分ね?
繰り返し仮定の話だと言っているが、いやに具体的な内容だった。そういえば過去、サッカーの練習試合に参加するという話の時も茜が一緒に来たことを思い出した。あの時も似たようなことを言っていた気がする。
あんなの冗談だと思っていたけどもしかして――。
「茜はその……嫌じゃないのか? 常に席が近いとか」
「別に? むしろ安心する、いつも一緒だとね」
「ふーん……?」
割と好意的な反応が返ってくるのが意外だった。ただ、彼女は性格が良いので本心ではなく建前上そう言っているのかもしれない。
「要注意人物……」
どちらかといえば、自分が要注意人物だと思われていることのほうが衝撃的だった。転生してからは他人の評価を多少気にしていると思っていたが、世の中そう単純な話ではないのかもしれない。
俺が落ち込んでいるのを知ってか知らずか、茜はなにかを思い出したように「あ!」と声を上げた。
「そういえば私、前にテン君が言っていたS…SF? ほら、サドンストライクフォースってやつ始めたの」
「……SSFを始めたの!?」
どうやら彼女は、俺が過去にSSFを始めたという話をしていたのを覚えていたらしく、少し前にパソコンを新調したのを機会に始めたのだと言う。
「テン君ってまだやってるよね?」
不安そうに尋ねてくる茜に対して、俺は首を縦に振る。すると茜の表情は明るいものへと変わって、飛びつくように、俺の手を両手で握りしめてきた。
「よかった! 実は……ゲーム自体は面白いんだけど、上手く敵を倒せなくて――良かったら今日、私の家に来て色々と教えてくれないかな?」
そんな会話の少し後、静かな帰路を俺と茜は横並びになって歩いていた。
帰り道は車通り、人通りどちらも少ない住宅街を歩いているため、横並びに歩いていても邪魔になることがない。昔は横並びに歩く人々を嫌っていたが、今は俺がその嫌っていた人々の一員になるとは思っても無かった。
「テン君って私の家に来たこと無かったよね?」
「うん」
茜とは幼稚園時代からの付き合いではあるが、実のところ一緒に遊んだ経験というのはあまり無く、更に言うと俺は茜についてよく知らなかった。
彼女と帰宅ルートは同じだということは知っていたが、彼女の家を実際に見たことはないし、そもそも彼女が歩いて帰っている姿を見たことがない。
風の噂で聞くところによると、かなり大きい家のお嬢様なんだとか。彼女の出で立ちや、話し方、まとっている雰囲気を見るとあながち嘘と言い切れない。
茜は顔を下に向けると、少し恥ずかしそうに言った。
「その、私の家を見て、ちょっとだけ驚くかもしれないけど、あまり緊張とかしなくていいからね」
「……わかった」
彼女が予防線を張った理由は数分後に分かった。
俺の家を通り過ぎて2,3分ほど歩いた場所、住宅街のど真ん中、途中にあったどの住宅よりも二回り以上大きい家に到着した。
豪邸とは言わないが、確かに結構なサイズ感で少し驚かされた。かくれんぼを楽しく遊べそうだと思うほどの大きさだ。
彼女に招かれるまま家の中に入ると、一人の女性が出迎えた。
「おかえりなさい。茜さん」
「うん、ただいま。
綾音という名前の女性は、30代前半くらいだろうか、少し長い黒髪を一つに束ね、眼鏡を掛けている。あまり派手ではない動きやすさ重視の私服を着て、ピンと背筋を伸ばして茜と俺を迎え入れた。
「どっちも紹介するね、この人は綾音さん。お手伝いさんみたいな感じの人なの。彼は如月 テン君。幼稚園時代からの私の大事な友達です」
お手伝い――家事代行か家政婦……いや、使用人とかメイドのような人に見える。
親子にしてはあまり似てないと思ったが、まさかそう来るとは確かに少し驚いてしまった。
綾音さんと呼ばれた女性は俺のことを見て笑顔を浮かべ、小さく頭を下げる。
「綾音と申します。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします……」
固まる俺を引っ張るように、彼女は自らの部屋に俺を連れて行く。連れられるままに彼女の私室に入る。
そこは大きな部屋だった。壁は真っ白で汚れ一つ見当たらない。部屋の中は高級感のあるアロマのような香りに包まれていて、ベッドに勉強机、本棚、二人まで座れそうなソファと、その前にテーブル、更には壁掛けのテレビまで設置されている。これだけ家具があってもまだまだ室内には余裕がある。
勉強机の側には無骨に纏まった大型のパソコンが置かれていて、勉強机の上にはモニターが二台ある。あれが新調したゲーミングパソコンなんだろう。少し羨ましい。
部屋の入口で立ちすくんだまま周囲を見渡す俺を見て、「もう、そんなジロジロ見ないで!」とソファに座るよう誘導されて、隣り合うように茜も座る。
「……」
「……」
少しの沈黙を経て、彼女はポツポツと自らの話を始めた。
茜の家系――木下家はかなりの大金持ちであること、この家が実家とは別に買った家であること、親とは離れて生活していることなど。
玄関で合った綾音さんは、茜が生まれる前から木下家で働いている住み込みの使用人で、茜の親代わりとして色々やっているらしい。
家は結構近いのに今まで一緒に帰ることが無かったのは、綾音さんが車を使って送り迎えしてくれていたからだという。
「なるほどなぁ」
「……あまり驚いたりしないんだね」
「いやー驚いた」
「なにそれ」
それから彼女の話をいくつか聞いたあと、元々の目的であったSSFを教えるという話になった。
俺のパソコンより圧倒的にハイスペック――というよりハイエンドなスペックを持つパソコンを起動し、SSFを始める。
それからフレンドコードを交換して茜とフレンドになり、彼女がゲームをする傍らくっつくようにして色々とあーだこーだ言いながら遊んだ。
「(これ……すごい青春してるのでは?)」
思考の片隅でそんなことを考えながら、綾音さんが持ってきてくれたお菓子に舌鼓を打つ。上手いこと言語化できないが、承認欲求が満たされるのもいいけど、こういう感じも悪くないと思った。
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