おまけ

銀竜の歌声1

 飲み会は締める者もなくぐだぐだと過ぎ、夜が更けた頃。


 銀竜はひとりで、氷のグラスを傾け、酒をたしなみ続けていた。周囲の三者はいまだに眠りから覚めない。斜め隣にいる雪女は卓袱ちゃぶ台に突っ伏し、フェンリルは机の上で枕にされ、ビッグフットは背後で動かずソファー代わりになっている。


 どれだけ飲んでも、銀竜の顔は赤くならない。蟒蛇うわばみである。


 酒を飲みつつ、周囲の静けさを目で確認し、グラスを氷の机に置く。手を伸ばし、人差し指で、だしぬけに雪女の白い髪をつついた。


 フェンリルの腹に頬をのせ、銀竜から顔を背けた姿勢で寝ている雪女は、反応しない。規則正しい寝息が聞こえてくるだけ。


 銀竜は悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべ、もう片方の手で頬杖をつくと、目を閉じた。


 思い返すのは、人でなしの人の子の家を訪れた日のこと――。



   *   *   *



「Lalala――」


 困り事を解決し、人の子の家でアイスを食べていた時。ふと背後から声が聞こえてきた。人の子が歌っている。台所で洗い物をしながら、上機嫌に歌を奏でている。

 アイスを食べ終えると、洗い物を済ませた人の子が、紅茶のポットを持ってやってきた。


「そういえば、シルドラ。身体の調子は、大丈夫なのか?」

「俺が不調に見えるかい?」

「元気そうなら良かったぜ」


 そう言って笑顔を浮かべ、テーブルに置かれていたカップに紅茶を継ぎ足す。

 自身のカップにも紅茶を注ぎ、人の子は向かいに座った。

 銀竜は紅茶を一口飲み、「不味だなぁ」と零して、人の子に目を向けた。


「なあ、ついでにもうひとつ、頼みを聞いてくれないかい?」

「なんだ?」


 人の子は首を傾げる。


「俺に、歌を教えてくれないかい?」

「歌?」

「お前さん、得意だろう?」


 きょとんと丸くなった目が、恥ずかしそうに視線をそらし、頬を掻く。

 コロコロと変わる表情は、見ていて飽きない。


「オレは、そんなに上手くないぜ?」

「さっき歌っていただろう?」

「あれは、口ずさんでただけで……。歌っていっても、自分で考えたのか、師匠に教えてもらったのしか知らないからな……」


 肩をすくめて苦笑いを浮かべるが、嫌そうな顔ではない。紅茶を一口飲むと、まっすぐに見つめ、問いかけてきた。


「シルドラは、どんな歌が歌いたいんだ?」

「……そうだなぁ」


 ひょんな気を起こして頼んだ話だ。改めて訊かれ、銀竜はしばし考える。


「たまには雪女に、俺が出来る姿を見せてやりたいな……」


 ぽつりと呟いた言葉は、向かいに座る人の子の耳に届いた。


「雪女?」

「人でなしには言っていなかったか。俺があの住処すみかで暮らし始めてすぐに出会ったあやかしだ。この姿を教えてくれたのはあいつで、人の言葉を教えてくれたのもあいつだ。お前さんと会えたのも、あいつのせいになるだろうな」

「そうなのか。『雪女』ってことは、日本に住んでいるんだろう? だったら、オレも会ってみたいぜ」


 無垢むくに笑う人の子を、紅茶を飲みながら一瞥する。銀竜はあらぬほうへ視線を向け、手をあごに添えて考える振りをする。


「さあ。ここから離れた土地に住んでいるそうだからな」


 人の子は小首を傾げるが、それ以上は訊いてこない。

 代わりに、銀竜の顔をじっと見つめてから、口もとを緩めた。


「シルドラにとって、雪女は大切な存在なんだな?」


 不意の言葉に、銀竜はまばたきをひとつ。目の前の人の子と同じように口もとを緩める。


「どうだかなぁ」


 言いつつ、肘掛けに垂らした尾の先がくねる。

 人の子は紅茶をテーブルに置くと、勢いよく立ち上がった。


「じゃあさ、その雪女に、『大好きだぜ!』って想いを伝える歌はどうだ?」

「俺にそんな恥ずかしい歌を歌わせる気かい?」

「えっ!? じゃあ、『いつもありがとう』って感謝を伝える歌はどうだ?」

「同じことを何度も言わせるな?」

「えぇっ!? じゃ、じゃあ……えっと……、これならどうだ?」


 片手を胸に添え、人の子は軽く息を吸うと、その場で歌いだした。

 外は真夏だが、深々しんしんと降る雪を想起させる曲。かといって凍てつくような暗さはなく、弾むように軽やかに流れるメロディ。人の子は楽しげに身体を揺らしながら歌いあげ、閉じていた目を開ける。


「悪くないなぁ」


 銀竜はそう零し、目を閉じた。

 口を閉じたまま、聞いたばかりのメロディを奏で始める。

 人の子は驚いたように、立ったまま、その音色を聴いていた。

 最初から最後までのメロディを鼻歌で歌いきると、人の子がテーブルに手をついて前のめりに声を上げる。


「シルドラ、すごいな! 一回聞いただけで、完璧だぜ!」

「俺を誰だと思っている?」


 興奮気味に近づく顔面に、得意げな笑みを見せる。

 人の子は嬉しそうにソファーに座り直した。


「これは雪をイメージした曲で、シルドラにぴったりだと思ったんだ。シルドラは声も良いから、歌えばきっと、最高にキレイな歌になると思うぜ!」


 まるで自分が褒められたように、人の子が満面の笑顔を見せて言う。

 銀竜は尾の先をくねらせながら、小さく息を吐く。テーブルに片肘をつくと、人の子を覗き見るように頬杖をついた。


「それじゃあ、もう一回歌ってくれないかい?」

「えっ? でもシルドラ、さっきメロディは完璧に……」

「人の言葉はなかなか覚えられなくてね。歌ってくれないかい?」


 人の子は「それなら」と、再び立ち上がって歌いだす。銀竜は目を閉じて、その歌詞を聞く。

 ひと通り歌い終わっても、目は開かない。


「もう一回」

「えっ!?」


 人の子が再び歌い始め、歌い終わる。


「もう一回」

「えぇっ!?」


 立ち上がったはいいものの、座り直すことができず、人の子は嫌な予感を覚えた。


「シ、シルドラ……? 歌詞を紙に書いておこうか?」

「俺が人ごときの文字が読めるとでも?」

「えぇーっ!? なら、どうすれば……」

「俺が覚えるまで歌っていればいい。お前さんが。何度でも」


 人の子の顔が、サーッと青ざめる。


「シ、シルドラ……。オレ、そろそろ夕飯の支度を……」

「もう一回」

「シルドラも、そろそろ帰ったほうが……」

「もう一回」

「そんなーっ!?」


 情けない声をあげ、歌い続ける人の子。

 そんな彼を、背後から見守る存在がふたつ。


「これは徹夜コースね。弟子も断ったら食べられちゃう状況に気づいてないんだから」

「キューン……」


 サンタクロースの座るロッキングチェアの肘掛けに、透明な羽を持つ妖精と、白黒の模様をしたカラスがとまっている。下手に口出しをして銀竜の機嫌を損ねればどうなるか察しているため、見守る、というより、見ているしかできない。


「もう一回」

「シ、シル……ドラ……、オレ……声が……」

「もう一回」


 夜が更けても、声が枯れても、人の子の歌はむことがなかった――。 


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