第4話 みちみちご用心

 洞窟から出て、おのおのは再び雪の上にやってきた。


「俺だけで行けたのに。ついてこなくても良かっただろう?」

「あなたひとりだと心配だもの。それに、面白そうだから」


 銀竜がひとりでどんどん進んでいくのを、雪女はうしろからついてきた。ビッグフットはまだ怯え気味だが、皆といっしょにいたいらしく、少し離れたところにいる。少年はというと、銀竜の手から離れ、フェンリルの背中の上にいた。


『……って、いつまで我にコレを担がせる気だ!』


 綿雪もやみ、星が見えだした闇夜の中で、荒々しく吠える声が響く。


「銀竜さんが持つと、壊しちゃいそうだから。しばらく乗せてあげて?」


 雪女が口もとに袖を当てながら微笑む。

 実際、銀竜は少年を引きずったまま洞窟の岩場をぴょんぴょんと飛び跳ねていき、何度も少年を岩にぶつけていた。このままでは洞窟を出る前に息絶えると案じ、雪女が少年を取り上げ、フェンリルの背中に乗せたのだ。


『ビッグフットに持たせればいいだろう!』

「ビッグフットは怖がってるもの。それにすぐ潰しちゃう」

『ならば、雪女が持てばいいではないか!』

「私は、イケメン以外はちょっと……」

『意味がわからん!』


 銀竜はふたりの会話を背中で聞きながら、雪の上をスタスタと歩いていく。ビッグフットはさらにうしろからついてきて、人間の様子をチラチラと見ている。

 フェンリルの背にいる少年は、乗るというより、うつ伏せに倒れて手足をだらんと垂らしていた。


「静かな夜だなぁ」


 銀竜が歩きながら、ぽつりと呟く。

 木の一本も生えていない雪原は風もなく、雪を踏む自身の足音が、白く果てしない闇の中へ消えていく。


「本当に、こんなに静かな夜は珍しいわね」


 フェンリルの愚痴に耳を傾けていた雪女は、呟きを拾って言葉を返した。袖で口もとを隠し、目を細める。

 話の腰を折られたフェンリルは、不満げに唸りつつ、前へ顔を向けた。


『それで銀竜、どこまで行く気だ? そもそもコレに帰る家など』


 言いかけたところで、声が止まる。

 銀竜が足を止め、雪女とフェンリルも同じように動きを止めた。


『来る』

「えぇ。やっぱり来ちゃったわね」


 フェンリルが牙を剥きだして身を屈め、雪女も口もとを袖で隠しながら目をすがめる。

 遅れてやってきたビッグフットは首を傾げるが、前を見て白い体毛を逆立たせた。


 ベチャ……。

 ベチャ……。

 ベチャベチャ……。

 ベチャベチャベチャベチャ!!


 前方から、液体のしたたる音が鳴り出し、真っ白な雪をどす黒く染めていく。

 闇の中から現れたのは、形の定まらないナニカ。赤く光る目のような部分がふたつついているが、あとは黒く汚れた胴体があり、蛇がくねっているようにも、人が這っているようにも、機械が前進しているようにも見える。進むたびに体から油のような悪臭を放つ液体が飛び散り、雪を黒く汚していく。人ほどの大きさからビッグフットを超える巨体まで。その数、十。


『魂のない怨念か』

「コレに寄せられてきちゃったのかしらね」


 雪女がちらとフェンリルの背にいる少年へ目を向けた。


《――――! ――――――――!!》


 怨念たちから音が聞こえる。口のようなものはなく、声を発しているのかわからない。機械的な音は、まるで無線機越しで指示を飛ばしているようだ。意味は理解できないが言葉からして、この国の人間が扱う言語だと、雪女は察する。


「もしかして、銀竜さんが食べちゃった人たちの成れの果てかしら?」


 肩をすくめて茶化す雪女に、銀竜はこたえない。

 怨念が現れてから、一歩も動かず、一言も声を出さない。

 怨念たちは白い雪の上に黒い液体をまき散らし、雑音の混じった怒鳴るような音を響かせながら近づいてくる。


「銀竜さん?」


 雪女の気遣う声は、銃声に似た騒音に掻き消される。

 不意に怨念たちから、鉛玉のような黒い弾丸が次々に発射される。無数の弾丸は、銀竜の目の前で形作られた氷の壁によって阻まれた。氷の壁は弾丸が当たっても欠けることさえないが、透き通った色が、瞬く間に黒く塗りつぶされた。


「ッ……」


 銃声と機械越しの会話音がわめき続ける中、小さく鳴ったのは、舌を打つ音。

 銀竜の尾が、激しく一度、雪を叩く。アクアマリンの瞳孔が獣と同じ鋭さを帯び、普段は見せない口の中の牙が剥き出される。

 昼寝の邪魔をし、取り入ろうとした挙句、銃口を向けてきた。よみがえる記憶が、目の前の異物と重なり、逆鱗げきりんに触れる。


「――、っ!?」


 足を踏み出し、言葉を忘れた激昂げっこうが吐き出される直前、頬を冷気が撫で、白い袖が通り過ぎていく。

 ハッと、二歩目を止めた銀竜の視界に、袖で口もとを隠してウインクをする雪女の姿が映った。氷の壁を音もなく乗り越え、怨念たちの前へ躍り出る。彼女に続くように、ビッグフットも長い腕で壁を飛び越えた。


「ビッグフット、あの黒いの、けがれちゃうから直接触れちゃダメよ?」

「ウッホーッ!」


 怨念たちが照準を雪女とビッグフットに合わせる。迫り来る弾丸の嵐に、ビッグフットは両手で雪の地面を叩いて大きく跳躍する。雪女は怯むことなくその場に立ったまま、片手を口もとへ添えて、フッと息を吹き出した。


 襲いかかる弾丸が、一瞬で凍り、動きを止める。吹いた冷気はそのまま先にいる怨念二体を凍り付けにさせた。


「ウホウッホーッ!」


 そら高くから、ビッグフットが落ちてくる。凍った怨念二体に向かって長い腕を振り下ろすと、ガラスの割れるような音を響かせ、それは銀色の粒子を散らして消えた。


『銀竜、先に行け! ヤツらは我らがやる!』


 繰り広げられる光景を見ていた銀竜が、視線を下へ移す。

 フェンリルが身を屈めて今にも飛び出す姿勢のまま、足もとに寄っていた。


『まさか貴様、あんな低俗に我らが手こずるとでも思っているのか?』


 ちらと振り返り、鋭利な牙を見せつける。

 雪女は息で弾丸を凍らせながら優美に歩を進め、ビッグフットは巨体に似つかわしくない俊敏な動きで凍った怨念を叩き潰していく。

 銀竜は皆を見回し、軽く目を閉じて息を吐いた。瞳は澄んだ色を取り戻し、口が弧を描く。


「そんなにじゃれる相手が欲しかったのかい? ワンワンらしいなぁ」

『変な勘違いをするな! あとワンワンと呼ぶな!』


 吠えてツッコむフェンリルの尻尾は、さきほどからずっと左右に揺れっぱなしだ。

 銀竜が空へ顔を上げる。背から生える翼が広がり、身体が淡く光を帯び始めた。


『行け、銀竜!』

「仕方ないなぁ」


 背中に乗る少年が取り上げられると同時に、フェンリルは雪を蹴って怨念たちのもとへ駆け出した。

 銀竜は人間に似た青年から、銀色に輝く竜へと姿を変える。指の爪に少年のまとうボロ切れを引っ掛け、大きく翼を羽ばたかせて夜空へ飛び立った。



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