第3話 この子は誰

 氷柱こおりばしらの影にうずくまっているのは、人間の少年。服とも呼べないボロ切れをまとい、靴もなく裸足だ。汚れた黒い髪に隠れ、うつむいた表情は見えない。


「ウ……ホ!?」


 愉快に踊っていたビッグフットが、皆の見ている方向が気になり近寄っていった。少年を見た瞬間、体が固まる。真っ赤だった顔が急激に青ざめたかと思えば、両手をあげて逃げたし、遠くの柱に隠れた。


「あらあら、ビッグフットは人が苦手だったわね」


 自身よりもずっと小さな相手にもかかわらず、ビッグフットは柱から顔だけ出してビクビクと震えている。


『さっきから人間臭いと思っていたが、アレか。どうしたんだ、銀竜?』


 小心者の巨人に呆れた眼差しを向けたあと、フェンリルはいた。

 銀竜は気にも留めていない様子で、酒の入ったグラスをくるくる回している。


「なんだったかなぁ?」


 いいかげんな物言いに、フェンリルが唸り声をあげる。


『つまみに持ってきたんじゃないのか? 喰ってしまえ』


 雪女はふたりの話を耳で聞きつつ、少年を見つめていた。ボロ切れからは細い手足が露出しており、この雪山まで一人でやってきたとは思えない。息絶えてはいないようだが、生気はかすかにしか感じられない。

 雪女は氷の広場を見回して、銀竜へと視線を移した。


「もしかして、私たちが来る前に、誰か来たのかしら?」


 銀竜がグラスを回す手を止める。雪女と目を合わせると、彼女は袖を口もとに添えて微笑んでいた。細められた瞳が、見透かすように見つめてくる。

 銀竜は小さく息を吐き、片手でグラスを持ったまま頬杖をつく。


「思い出した。人が来たんだ。術者と軍人が、十? もっといたかなぁ。それで、アレはにえとしてもらったよ」


 銀竜から、笑みが消える。口をつけずに、グラスを見つめたまま。中の気泡が、水面に浮いて消えていく。

 その話だけで事情を察し、雪女とフェンリルは互いに視線を合わせた。


『どうせ、「力を貸してほしい」などと取り入って、貴様を手に入れようとしたのだろう?』

「竜さんも大変ね。うろこはあらゆる攻撃を跳ね返し、牙や爪はあらゆる盾を貫き、血肉はあらゆる怪我ややまいを治す。だったかしら?」


 いにしえより伝わる竜の伝説。ほとんどの人間は、竜の存在を含め、お伽噺とぎばなしだとしか思っていない。だが、その存在を信じ、強大な力を求めようとする者は、いなくなったわけではない。

 フェンリルは不快そうに鼻息を鳴らし、歯ぎしりをした。


『この国のオモテも、また物騒になってきたらしいな。剣から火薬に変わっても、人間のすがるものは、結局なにも変わらん』


 町すべてを破壊する道具を持っていながら、竜の力を欲している。それだけ戦況は厳しいのか。人間の都合など考えるのは止めて、雪女は銀竜へ目を移した。


「それで、銀竜さんはどうしたの?」

「食べたさ。一人残らず」


 グラスから視線を離さず、さらっと、なんでもないように、銀竜が言う。

 銀竜たちが座っている氷の床。普段は透き通った淡い青色をしているはずの氷に、染みのように別の色が広がっている。


『それで、床がこんなに赤いのか』

「舐めたんだが、残るんだ。雪女が来たら綺麗にしてくれると思っていたから、ちょうど良かった」

「私は飲み会の片付けをするだけよ? お掃除屋さんと違うんだから」

『まさか、貴様、雪だるまに使っていたあの白い棒は……』

「あぁ、あれは骨だ。う○こからちょうどいいのが出てきたからな」

『貴様っ! そんな汚物を我にくわえさせたのか!?』


 フェンリルが机に身を乗り出し、今にも飛びかかりそうに牙を剥き出す。

 雪女がつまみのジャーキーをフェンリルの口もとに差し出してなだめる。グラスを見つめたままの銀竜を見て、またうしろの少年を見る。


「アレ、いつからいるの?」

「いつ? 来てから吹雪が二十回くらい過ぎたかぁ」

『貴様は日付感覚がないからな。七日以上はいるらしいが、飲み水も食べ物もない場所で人間がよく生きているな』


 身を乗り出したまま、もらうジャーキーだけでは足らず、皿に盛られたものまで食いつきながら、フェンリルがぼやく。

 雪女は少年の足もとへ目を凝らした。折った膝の下に隠すようにして、なにかが落ちている。薄橙色のものは、先が細く五本に分かれており、人の手に似ていた。

 雪女は眉をしかめ、銀竜へと視線を向ける。


「どうするの、アレ? このままここで死なせる気?」

「うーん。身体に毒を塗られているから、食べる気になれないんだ。かといって、死んだものをここに置いておきたくないなぁ」

「だったら、なんとかしなさいよ。あなたがもらったんでしょ?」

「えー」

「そんな顔しないの」


 机に顔を突っ伏して、 心底嫌そうに表情を歪める。わがままを言う子どもを叱るように、雪女は語気を少し強めてたしなめる。

 シャンと座って見つめてくる雪女の視線を受けて、銀竜がしぶしぶと言った様子で顔を机からあげる。後ろ髪を掻いて、重い腰をあげた。


「仕方ないなぁ……」


 銀竜が少年のもとへのろのろと歩き出す。雪女とフェンリルは黙って見守る。

 少年は、頭から二本のつのが生えた異形がそばに立っても、ピクリとも動かない。

 うつむいた姿を見下ろすアクアマリンの瞳は、つららのように冷たく鋭い。鉤爪のついた手が伸ばされ、棒のように細い腕をつかむ。


「立て」


 雪女たちと談笑していた時とは異なる、感情のない声。腕を強引に引っ張り、少年を立たせようとする。

 銀竜が引き上げた分だけ少年の身体は浮いたが、足は膝で折れたまま。


「その足、凍傷になっているわよ。それに、そんな身体じゃあ、もう動く体力もないかも」


 うしろから雪女の助言が入る。

 銀竜は首だけ回して、もう嫌だと言うように顔を歪ませた。

 雪女は毅然きぜんと首を横に振る。フェンリルも同意するようにうなずく。

 銀竜の顔はもう泣きそうで、空いている手を腰においてため息をひとつ。


「あ」


 ふと、服の物入れに手を突っ込んで、なにかを取り出した。

 手助けをしようかとやってきた雪女が、銀竜の手のひらにのせられたものを、肩越しから覗き込む。小さい玉状のものがひとつ、星柄の包装紙にくるまれている。


あめ?」

「あぁ。前に人でなしからもらった」

「『人でなし』って、あなたの気に入っているね」


 雪女は袖で口もとを隠して、納得したように笑みを浮かべる。

 銀竜は一度少年から手を離し、包装紙を解く。透明な飴玉の中には、星がまたたくように輝く黄色の粒がいくつも浮いている。

 銀竜は片膝をつき、だらしなく座り込んでいる少年と目線を合わせた。親指と中指でつまんだ飴玉を、口もとへ持っていく。


「口なら動かせるだろう? さもなくば、舌を食いちぎる」


 紫色の唇に、飴玉を押しつける。物のように動かなかった少年は、ようやく口をかすかに開け、飴玉を口内に入れた。

 銀竜が満足したように、小さく笑う。だしぬけにまた少年の腕をつかむと、立ち上がった。


「さぁ、行こうか」


 そう言って、歩き出す。飴玉ひとつで身体が治るわけもなく、少年は氷の床を引きずられていく。

 雪女は袖で口もとを隠したまま、楽しそうに肩をすくめる。

 フェンリルは理解していないようで、首を傾げて唸った。


『どこへ行く気だ?』


 隠れていたビッグフットは、銀竜が人間を捕まえてくれたと安心したのか、恐る恐る身を出して近づいていく。

 銀竜は少年を引きずったまま歩くのを止めず、軽く首を捻って皆に告げた。


に帰すのさ」



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