第2話 飲み会だよ

 洞窟の急な岩場を進んだ奥には、広間がある。床も壁も氷に覆われ、天井からは無数のつららが垂れ下がる。いくつかのつららは地面にまでつき、巨大な柱となっている。透き通った氷は互いに光を反射し合い、外のように明るい。


 そんな氷の広間の隅で、仰向けに倒れる毛むくじゃらのビッグフット。ピクリとも動かない巨人の腹の上には、銀髪の青年。うつ伏せになり、顔を白い毛に埋め、全身を大きな腹に吸い付かせている。


『……アイツはなにをしている? 喰っているのか?』

「雪だるまを壊されていじけたから、モフモフしてなぐさめてもらっているのよ」


 毛に埋まった手足が、ときおり上下左右に動き回る。撫でているらしいが、端から見ると虫が脚をばたつかせているようにも見え、広間の中央にいるフェンリルは引き気味に顔を背けた。


『機嫌を損ねて喰わないとは、銀竜にしては珍しいな』

「あの触り心地を気に入っているみたいだから。我慢しているのよ」


 隣にいる雪女は、銀竜たちに目もくれず、風呂敷を解いて準備を進めている。フッと床に息を吹きかけると、氷でできた丸い卓袱ちゃぶ台が形作られる。さらに息を吹きかけ、机の上に氷の皿をいくつか作る。風呂敷に入れられていた和紙の包みを開け、皿の上によそっていく。


「ウ……ウ……ウォックションッ!!」


 くすぐったさに耐えられなくなったのか、ビッグフットの大きなくしゃみが響く。腹の上にいた銀竜が突風のようなくしゃみに飛ばされ、氷の柱に頭をぶつけた。


『……アイツは大丈夫なのか?』

「平気よ。あれもモフモフを味わう一貫だから」


 雪女は机の上に酒瓶を並べつつ、フェンリルの疑問に返した。

 銀竜は怪我もなく、背に生える翼を羽ばたかせ、卓袱台の前に降りて座る。


「モフれた」

「機嫌が直って良かったわ。もう、毛だらけじゃない?」


 満足げに微笑む銀竜に手を伸ばし、雪女が頭についた白い毛を優しく払い落とす。

 銀竜の向かいに座るフェンリルは、フンッと呆れたように鼻息を鳴らした。


『あんな低能なヤツ、中身を喰って毛皮にすればいいだろう?』

「あの絶妙な温もりは生きていないと味わえないからなぁ」


 片肘を机につき、頬杖をしながら銀竜は視線を移す。

 ビッグフットも起き上がり、皆のもとへやってきた。


「さっ、準備できたわよ。フェンリルはなに飲む?」

『果実酒だ。果実酒をくれ』


 尻尾を振りながら吠えるフェンリルの前に、ワインのボトルが置かれる。


「銀竜さんは?」

「パチパチするの」

「発泡酒ね」


 銀竜の前にも、スパークリングワインと書かれたボトルが置かれる。


「ビッグフットは、なんでもいいわね」


 雪女は向かいにいるビッグフットの前に、三本の酒瓶を置いた。

 銀竜は自身の鉤爪でコルクを抜き、ボトルを左手に持って傾ける。口から流れる液体は、机に落ちる前に、右手に形作られた氷のグラスへと注がれた。弾ける気泡を奏でるようにグラスを軽く回し、口につける。


『おい、銀竜! 我より先に飲むな!』

「乾杯っていうのを知らないんだから……まぁいいけど」


 雪女はフェンリルのためにワインのコルクを抜き、深皿にいでいた。

 端ではビッグフットがラッパ飲みをして、すでに一本を空けている。


「うん、不味だなぁ。来るまでにパチパチが抜けている」

「そんなこと言うなら、あげないわよ」

「おっと」


 取り上げようと伸ばされる雪女の手をかわすように、銀竜がボトルを持って膝の上に置く。左手で守るようにボトルを抱えながら、右手に持つグラスを傾ける。


 雪女が袖で口もとを隠しながら肩をすくめた。彼女の前には、上等な清酒が入れられた氷の徳利とっくりが置かれている。氷でお猪口ちょこを形作ると、少しずつ注いでたしなんでいく。


「ウッホ~!」


 上機嫌なビッグフットの叫びとともに、ガラスの割れる音が響く。机から離れ、広場の中を踊りながら酒瓶をあおっている。足もとには、氷の柱にぶつけて割れた瓶の欠片。すでに顔は赤く染まっている。


「あとで片付けてくれよ?」

「わかってるわよ」


 騒がしい巨人を尻目に、銀竜と雪女はそれぞれ酒を楽しんでいく。

 フェンリルはビッグフットに目もくれず、机に置かれた果実酒を舐めている。深皿に入った酒がなくなりそうになると、雪女がすかさずぎ足してくれる。お座りの姿勢で前脚を机に乗せて、尻尾を振りながら夢中で舐めている。


 ペチョペチョペチョ。ペチョペチョペチョペチョ……。


「かわいい」

「食べたくなるなぁ」

『なんだ!? 見世物みせものではないぞ!』


 ふたりの微笑ましい視線にようやく気づき、フェンリルは牙を剥きだして吠えた。


「はい、おつまみもどうぞ」


 雪女は怒りをそらすように、氷の皿によそったジャーキーをつまむ。

 フェンリルは口もとに差し出されたジャーキーの匂いを嗅ぐと、すぐにくわえてかじりだした。尻尾はまた、嬉しそうに揺れている。


「雪女のつまみはいつも独特だなぁ」


 銀竜はグラスを傾けつつ、視線を机の上にやった。

 ジャーキー、チーズ、アタリメ、えいひれ、漬物……。それぞれが氷の皿に盛られて、卓袱台に並べられている。

 銀竜は伸ばした手をさまよわせて、輪切りにされた丸く茶色い食べ物をつまんだ。


「どれもおつまみの定番よ。あなたの好みが独特なだけ」

「これは?」

「それはいぶりがっこ。大根を燻製した漬物よ」


 説明も聞かず、銀竜がつまんだ漬物をひとかじり。パキリと小気味の良い音を鳴らすも、眉を寄せて沈黙する。なにも言わないまま、手につまんだままの残りをもとの皿に戻した。


「食べかけを戻さないの」


 雪女が唇を尖らせてたしなめる。

 銀竜は漬物を皿ごと、避けるように机の端に寄せる。ビッグフットがおぼつかない足取りでやってきて、その漬物を皿ごと大口に放り込んだ。ボリボリと盛大に音を立てながら、また上機嫌に広場の中を踊り出す。


「もっと旨いつまみはないのかい?」

『むしろ銀竜は何なら満足するんだ?』

「そうだなぁ……。なまの牛」

「手提げに入らないものを要求しないでよ」


 食べたつまみの味を上書きするように、銀竜がグラスに入った酒を一気に飲む。

 フェンリルが呆れたように息を吐き、雪女も袖で口もとを隠しながら苦笑する。


 清酒の入ったお猪口ちょこを傾け、アタリメをつまんで口に運ぶ。酒ばかり飲んでフェンリルをからかって笑う銀竜を見ながら、雪女は目を細めた。その視線を、おもむろにうしろへやる。


「ねぇ、アレは食べないの?」


 ここに来た時から気づいていた。

 背後にあるひとつの氷柱こおりばしら。柱の影に隠れるように、人の子が一人、膝を抱えて座り込んでいた。



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