02 ボビィ・クリアベル

「ずいぶんとまぁ、派手に凹ませたなぁ……」


 金棒を受け、大きく凹んだ左太腿の惨状にディーゼルが顔を顰めた。リリスは機体にホースを繋ぎ、魔導甲冑まどうかっちゅうを満たすマギ・エーテルをトレーラーのタンクに戻している。



「すみません……」

「気にすんな。戦えば、機体が傷つくのは当たり前だろう。……どうせ、こいつはなんだ。内側から叩けば、すぐに元通りさ」


 外装修理用のハンマーを担いだディーゼルの、豪快な笑い声が響く。

 トレーラーを収めてしまえば、いっぱいいっぱいの作業小屋だ。マギ・エーテルが空

になったとのリリスの合図を見て、ディーゼルはトレーラーに駆け上がる。

 左腿のジョイントピンをハンマーで叩いて抜き、クレーンを操って左足を外した。


「本当にがらんどうなんだな、魔導甲冑の中って……」

「そりゃそうよ……。外装はただの鎧。マギ・エーテルこそ本体だもん」


 ただの独り言に、いつの間にか隣りに来たリリスが笑窪を見せる。

 半袖シャツの胸元は、なかなか育たない。オーバーオールの短パンから伸びた脚は、日に日に眩しくなっていくのに……。


「額に固定した黄玉トパーズと、鎧の裏側に刻んだルーンで動く操り人形だからね。大事なのはその甲冑の中に満たす、マギ・エーテルだってことは知ってるでしょ?」

「知っては、いるよ」

「だったら、遠慮なく魔導甲冑をトイレ代わりに使いなよ。それをマギ・エーテルが食って、どんどんボビィに馴染んでいくんだから」

「それって、ちょっと汚くない?」

「10分もあれば食い尽くすんだから、綺麗なものよ。肥料作りに貯めておく、屋敷のトイレよりもずっとマシじゃない?」

「それも、そうだけど……」


 ルーン彫刻師であるリリスが、中に入って作業をすることを思うと……。

 実際に外した左足の中からは、何も臭ったりはしないにしても、気にはなる。マギ・エーテルは、魔導甲冑を動かせば自然に減っていくから、順次補給が必要。

 その度に少しづつ薄まってしまうから……という理屈は解るんだけど。

 そこはボビィも年頃の少年だ。デリカシーとのせめぎ合いになる。


 少年たちの気不味さなどお構いなしに、治具を宛てがったディーゼルが豪快にハンマーを振るう。


「ここにいたら耳が壊れちゃうよ。外にいよう」


 あんな分厚い鋼板を、良くハンマー一つで叩き直せるものだ。

 とはいえ、さすがにこの騒音には耐えられず、リリスに背を押されるままに外へ出た。


「こっちこっち。見つかって、勉強に戻されたくはないでしょ?」


 館からは倉庫の陰になる、花壇の横の芝生に腰掛ける。

 花壇と言っても、まだ土の中から芽が出ているに過ぎない殺風景さだけど。


「今度は何を植えたの?」

「去年のいただきものの赤い瓜よ。甘くて美味しかったから、増やしてみようかと……」

「成功を祈る。あれ、なかなか美味しかった」

「成功したら、領民たちの畑で大々的に作るんだけど。なかなか作物は、本の通りには育たないものなのよ」


 リリスが腕組みをして、顔を顰める。

 ルーン彫刻師なんてやってるくらいだ。ボビィと違って、勉強は苦にならないらしい。

 必要なことなら、王都の図書館に行ってまで調べてくるし、徹夜も辞さない。

 むしろ、勉強が苦手なボビィの方が、一族の中では少数派ともいえる。


「何で僕は、勉強が苦手なんだろうね……」


 つい溜息を吐いてしまう。

 家を継ぐべく頑張っている次期当主たる兄はもちろん、神殿に入ってしまった姉のセイシェルも聖典を読み耽るくらいだ。


「ボビィは多分、自分の将来を迷ってるんだよ。私は畑仕事よりも、ルーン彫刻で農機なんかのマギマシンを修理したいって気持ちがあったから、それに一生懸命になれるけど……」

「結局、兄さんの補佐になるんだから、学ばなきゃいけないんだ」

「それよ。……それが原因」


 リリスは片目を瞑って、人差し指を立てる。

 仕方がないだろう。ボビィはクリアベル本家の次男として生まれたのだから。


「学ばなければいけないって、義務でやってる内は身が入るわけ無いもの。学びたいと思わないと、身に付くはずがないじゃない」

「そんなものか?」

「そんなものよ。私だって、畑仕事は嫌いだけど、美味しい果物は増やしたいと本を調べて、育てようとするじゃない。必要にならないと、なかなか学ぼうって気は起きないよ」

「分家の娘は気楽でいいな……」

「ええ、あのハゲ親父の娘は、父娘揃って魔導甲冑好きだもの」


 そのきっぱりとした笑顔が眩しくて、目を逸らしてしまう。

 別に兄の補佐が嫌なわけじゃない。謀反を起こして、家を乗っ取ろうなんてことは、考えるのも馬鹿らしいだろ?

 この長閑な土地だって、大好きだ。

 だけど、ここで決められた道をのんびり進み、朽ち果てる。そんな人生が面白いとは思えないだけ。

 子供じみた憧れと、笑わば笑え。

 吟遊詩人の謳う英雄譚のように、自分のこの手で何かを成し遂げたい。

 進んで魔導甲冑の操者になったのは、そんな憧れに近づけると思ったからだ。

 でも、現実は……。


「魔導甲冑を使うったって、魔物の暴動を止めるくらいが関の山だもんな。相手もせいぜいトロールやオーガ。ドラゴンスレイヤーなんて、夢のまた夢だ」

「当たり前でしょ? こんな所にふらふらとドラゴンなんかが出るようだったら、牧場の牛なんて、あっという間に全滅よ? みんなドラゴンの餌になっちゃう」

「解ってるよ。……夢くらい、語らせてくれ」


 立ち上がり、尻についた土を払う。

 薄っすらと煙るような春の水色の空を見上げて、ボビィは舌打ちをした。

 本当に、平和すぎる。どこかで楽しげに、ヒバリが唄っている。


「どこへ行くの? ……ボビィ」

「とりあえず、本館に帰るよ。あまりサボっていると、ジェイナスに晩飯抜きにされそうだから」


 肩を落として歩き出す。

 夢見るようにならないからこそ、現実というのだろう。

 屋敷に戻ってみれば、何やら騒然としていて、ボビィの学習どころではないらしい。

 本当に、現実は儘ならない。


 自室に戻ると、ボビィ付きメイドのルチアに手伝わせて私服に着替える。

 南の国から流れてきた一家の娘らしいが、浅黒い肌が珍しいくらいで、仕事ぶりも丁寧だし申し分はない。幼い頃からずっと付いていてくれているが、去年18歳と成人して正式にボビィ付きになった。

 臆病なルチアをからかう、怖い話を仕入れ忘れたのが残念だ。

 お茶の香りを楽しみながら、口元を緩めた。


「魔物の暴走は止めたはずなのに、何でみんな忙しそうなの? ……何か大きな被害でも出たのかな?」

「お手柄でしたね、ボビィ様。怪我人は少し出たようですけど、そちらは大した被害は出なかったと聞いています」

「他に……何かあった?」


 ルチアは身を縮めて、窓の外を恐々と覗き込む。

 どうやら、怖い話らしい。

 震えているルチアに目を細めながら、返事を待った。


「お山で飛龍ワイバーンを見たって人がいて……今みんなで確かめてようとして、人を集めているんです。本当なら、王都から軍を出してもらわなきゃいけないかもしれないし……。そんなものが飛んで来たらどうしましょう? 私、怖いです……」

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