野心の剣 ~SWORD OF AMBITION~

ミストーン

01 魔導甲冑

 二重太陽の照りつける草原を、息も絶え絶えに一人の農夫が走ってくる。

 領主の屋敷の門まで行くのももどかしく、鉄柵に顔を押し付けるようにして叫んだ。


「坊っちゃんに伝えてくれ! 森の向こうで魔物の暴走じゃあ! トロールも混じっていて、儂らの手には追えん!」



 領主クリアベル家の次男、ボビィ・クリアベルは勉強部屋で苦虫を噛み潰していた。

 家令のジェイナスが教師役であるだけに、遠慮なく嫌な顔もできる。

 このクリアベル家を継ぐのが兄であるとしても、その際は補佐的なポジションとなるのだそうな。だが、そんな事を言われても、14歳の少年にピンと来ないのは当然だろう。

 人生50年としても、まだ半分も生きてはいないのだ。

 そんな先の先までの事を言って、自分の人生を勝手に決めないで欲しい。

 税の徴収や税率の知識は大事かもしれないが、たとえ兄でも、自分が誰かの補佐をする為に生まれて来たなんて思いたくない。

 たとえ、実際はそうならざるを得ないにしても……。


 突然外から窓が開けられて、叔父であるディーゼルの禿頭がぬっと突き出された。


「おい、ボビィ! お勉強は終わりにしろ。 魔物の暴走だとよ!」

「解った! すぐに行く!」


 反射的に立ち上がり、ボビィはジェイナスを見た。

 白くなったカイゼル髭を指で撫でつつ、老執事は当て付けのような溜息を吐いてみせる。


「仕方が有りません……ですが、魔導甲冑まどうかっちゅうにお乗りになるのでしたら、お着替えを」


 朱染めの皮のジャンプスーツに着替えさせられたボビィが屋敷から出ると同時に、ディーゼルの運転する巨大なトレーラーが横付けされた。


「待たせたな、ボビィ。リリスがルーンを彫り直していたから、マギ・エーテル燃料を満タンにするのに時間がかかっちまった」

「こっちも着替えさせられて、今出た所さ。リリス! 『レグルス』はもう動かせるの?」

「当たり前でしょ! マギ・エーテルを充填してるのに、魔導甲冑の中にいたら溺れちゃうよ!」


 荷台のカバーの内から、ひょっこりと顔を覗かせた少女が言い返す。

 同年代の従姉弟の気安さもあって、リリスのセリフも容赦がない。翡翠色の髪が、陽射しに眩しく映えた。


「もう動かせるのかって、聞いているんだよ!」

「向こうに着くまでには、満タンだよ! ……あれ? ジェイナスも来るの?」


 トレーラーに乗り込もうとする家令に、リリスが目を丸くする。

 初老の家令は執事服のまま、涼しげな顔で言い換えした。


「私がいなければ、戦後のお茶は誰が淹れるのですか?」


 曖昧な顔を見合わせ、笑うしか無い。

 領主の息子としては、戦後に必ずお茶を飲まなけりゃあ、ならないものなのか?


「場所は実りの森の向こうだとよ……。山に妙なモノでも出て、追い出されたんでなければいいが……」

「それなら、そっちも叩くだけだ。クリアベル家の領地を脅かすモノは許すものか」

「坊ちゃま……気負いすぎず、冷静に対処して下さいませ」

「冷静さ。僕はいつでも」

「どーだか……」


 リリスにジト目で見られて、鼻白む。

 ほんの半年先に生まれたくらいで、お姉さんぶって!


「じゃあ、僕は『レグルス』に行くよ」

「気を付けて」


 運転席の後方ドアから、荷台に乗り移る。

 オイルシートのカバーを潜り、開いたままのコクビットに滑り込んだ。

 引っ掛けておいたヘルメットを被り、∪字型の安全バーを頭上から引き下ろして、左右の腰の金具に止め、身体をホールドする。

 肘掛けに取り付けられた左右一つづつの魔石を握り締めると、ぐんと身体から魔力が抜かれる感覚に震えた。

 普段は使い道がなく、意識もしない、魔力の存在を実感してしまう。

 狭いコクピットが虹色に光り、まるで内壁が透明になったかのように、包まれたシートの裏地が見えた。


 トレイラーが急停止する。

 ディーゼルの操作で、魔導甲冑を覆っていたオイルシートが弾け飛ぶ。

 突然の直射日光に目が眩んだ。


「ディーゼル、このまま出る!」

「待たんか! リフトアップの間くらい待てよ……。無理に出られると、リフトが歪んで後の修理が面倒なんだ」

「わかった……早くしてくれ」


 トレーラーのホールドユニットが起き上がってゆく。

 それに伴って、全長10メートル少しの巨大な全身甲冑が立ち上がる。


「よっしゃ! ボビィ行って来い!」

「了解」


 ぐるりと振り返れば、領民たちが懸命に魔物の群れを食い止めているのが見える。

 魔導甲冑サイズと同じ背丈のトロールは2体。腰くらいの巨体のオーガも3ついることを思えば、良く頑張って耐えてる。


「道を開けてくれ! デカいのは僕がやる!」


 剣を抜いて駆け出す。

 途中でオーガ1匹の首を蹴り折って、トロールに向かって剣を吊り降ろした。

 ガツン!

 重い衝撃を逆に食らって、剣が弾き返されてしまう。


「いけね!」

「……誰が冷静よ? セイシェルが来るまで待ちなさいって」


 魔導通信で聞こえる、リリスの声が冷ややか過ぎる。

 たしかに……『破邪の祈り』が無ければ、魔物相手の剣なんて、ただの鋼の棍棒だ。

 だからといって、始めてしまった戦いを、止められるわけがない。


「みんなが必死で戦っているのに、待てるわけがないだろう!」


 苦しい言い訳をしながら、格闘戦に切り替える。

 まったく、何であののんびり屋の姉が神殿にいるのやら。もしリリスが神殿にいるのなら、ボビィたちより先に飛んで来てるだろうに。

 一匹のトロールの足を引っ掛けながら、もう一匹を殴り倒す。

 コイツラさえ倒せば、恐れをなして暴走は止まるはず。

 乱戦になっている領民たちに気を使いながら、少しづつ戦場をズラしていく。足元を気にしていては、戦えるものか。


「お待たせ~。あら、もう始まっちゃってるの~?」


 トコトコと、愛用のマギスクーターを転がしてきた女性神官が首を傾げる。

 我が姉ながら、なぜこうも呑気なのだろう?


「姉さん、それより早く……っ!」

「ボビィ? 私は家を出て、神殿に入った神に仕える身ですよ? いつまでも、姉のつもりで甘えてはいけません」

「いや、そういうことじゃなくて……様子を見てよ!」

「お小言は後にして、セイシェル……とりあえず、神官としての義務を果たしてよ」

「仕方のない子達ねぇ……」


 リリスにまでせっつかれて、渋々とセイシェルは跪き、身体の左右に伸ばした掌で大地に触れた。


「豊穣なる実りをもたらす母なる女神よ。慈しみ育む生命の緑を踏み躙る、魔を滅する力を我らに与えん……【破邪の剣】を彼の手に!」


 大地より浮かび上がった金色の光が集まり、鋼の刀身を金色に変えた。

 待ってましたとボビィが振り抜く。

 受け止めようとしたトロールの金棒を切り裂き、そのまま肩から右腕を斬り飛ばした。

 魔物たちには、魔物たちの理があり、守護する神がいるのかもしれない。

 だからこそ、神の許しが無ければ魔物を斬れないのだろう。唯一の例外は、大地を耕す農具だ。大地を耕し、実りを収穫する農具は、新品を卸す時に神殿で清められる。


「だからと言って、農具で戦う魔導甲冑じゃあ……様にならないよ!」


 1匹の首を斬り飛ばす。

 逃げ腰のもう1匹に、ワイヤーフックを絡めて引き寄せた。

 闇雲に振り回す金棒をうっかりと太腿に受けてしまい、ベコッと外装が凹む。

 グワンと打撃音が反響して、耳が痛い。


「いけね……後でディーゼルに、どやされそうだ。ええい! お前が悪い!」


 トロールの喉笛に剣を突き立てた。

 剣の金色の光が失われてゆく。エディは剣を抜いて、鞘に収めた。

 霧のような血を吐き、喉から噴き出す血に噎せて、喉を掻き毟るようにしてトロールは窒息して、息絶えた。

 首魁とも言えるトロールを討ち取られ、魔物たちの暴走は勢いを失い、敗走を始める。

 それを見ながら、リリスがはしゃぐ。


「ボビィ! ミノタウロスもいるから、逃がしちゃ駄目っ! 今夜はステーキ食べ放題だからね!」

「まったく女ってのは! あれが食い物に見えるってんだから不思議だよ!」


 足で進路を塞ぎ、たじろいだ牛鬼ミノタウロスの牛頭を斬り落とした。

 食用にする相手なら、祈りが無くても斬れるのだ。2頭、3頭と狙い討ちにする。


「そのへんで良いだろう? 戻ってこいや」

「はいっ」


 興奮した領民を踏まぬよう気をつけて、リフトに戻る。


「この格納だけは、ちょっと締まらないんだよなぁ……」


 ボビィはボヤきながら落ちているオイルシートを拾い、リフトのフックに掛ける。

 そのまま、毛布を被るようにして頭部まで覆い、頭上のフックにシートのリングを接続して、直立不動の初期姿勢に戻した。

 リフトが倒れきるとコクピットから抜け出して、シートの周囲の縄のループをトレーラーのフックにかけて回る。

 こうしておかないと、雨風にやられてすぐに腐食してしまう。

 魔導甲冑の巨体を固定したリフトが、ゆっくりと水平に戻されて行く。

 リフトが停止して、ようやくボビィはトレーラーの外に出る。


「お仕事が済んだなら、いらっしゃいボビィ。ジェイナスが美味しいお茶を淹れてくれましたよ」


 白いパラソル付きのテーブルについて、一足先にお茶を楽しむ姉の姿に、ボビィは大きなため息を吐いた。

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