カメレオン

キャニオン

カメレオン

 私は、春休みが大嫌いだ。それはまあ、圧倒的に。

 女子高生となり、全てが未知の環境下で、一年間必死になって作り上げた人間関係を粉々にされ、新しいクラスでも上手くやっていけるのかと、不安を喘ぐ毎日。知り合いと同じクラスになることを祈り、変に浮いてしまうことを恐れ、いっそ、さっさと新学期が来てくれと願うばかり。本当に、この生殺しの二週間ばかりが、最悪の生き心地だ。

 たとえクラスが違くとも、私の元に会いに来てくれる人でもいたならば、こんな苦悩を強いられないのだろうが、まあ、私には不可能であろう。

 そもそも人付き合いが好きじゃない。興味もない、つまらない話に付き合って、不本意にも口を動かさなきゃならない。すぐさま帰りたいのにも関わらず、たらたらと準備をする相手を待たなきゃならない。何をするにも、そう、たとえ用を足す時でさえ、足並みをそろえなきゃいけないのだ。別に、どれも大した苦労にはなりえないし、断ったところでむっとするだけであろうが、そういう、ごく小さな苛立ちの集合体が、一つの巨大な憤慨よりもはるかに憤ろしいことを、私は知っている。ぷつぷつ、ぷつぷつと、日々懸命に鬱陶しいゴミを蓄積していくことの、果たして何が楽しいのか、私にはさっぱり解らない。誰かと共にいるとき、私から出るのは、見苦しい愛想笑いだけだ。

 しかしながら、人間は、人間自身が呆れてしまうほどには、傲慢な生き物なのだ。こんな私でさえ、孤独の恐怖に勝つことができない。孤独ほど自由なものはなく、気が楽なものは無いというのに。それなのに、誰かといないと、悲哀とか羞恥心とかいう名の恐怖が、体の内から外まで漏れ出て、足枷あしかせのように動きを鈍らせてくる。

 結果、私には、知り合いばかりが増えた。友達とか、親友とか、それこそ、クラスが違っても会いにくるようなものは、たったの一つも持ち合わせていない。

 高校生になり、もうこんな惨めな生き方には嫌気が差して、新しいクラスでは孤独でいようと決意した。無理に人に合わせることは無いだろうと、そう思うと、春休みは少しばかり楽しかった。

 新学期が始まって、新しいクラスが発表される。残念なことに、知り合いと呼べる人の全てと、別のクラスになってしまった。ぞく、ぞく、と心臓がわさわさうごめいて、気味が悪い。孤独でいい、孤独でいい、ぴくぴく震えている唇で、そうやって何度も唱えて、心臓を抑えてやる。けれども、簡単に収まってはくれない。私は、この後なにが起こるのか、予想がついてしまっていた。

 一週間も経てば、だいたいグループというものができてくる。初めは席の近い人とか、去年から仲のいい人とか、そんな小規模なもの。小規模でありながら、それは、密林の入り口であった。

 一か月、私は孤独という名の自由を享受した。しかし、その時点で、限界が来てしまった。もう私は、密林の奥の奥で、帰り道も、進むべき道さえも解らずに、ただただ途方に暮れている、ひ弱なニンゲンだった。

 私が自ら、森の中へ入ったわけではない。私は何もしていない。何もしていないからこそ、密林へと誘われたのだ。新しいクラスになってから、だいたい一週間くらいで形成された密林は、だんだんと規模を大きくして、だんだんと私の方に迫ってきて、今となっては、動かない私をすっぽり覆っている。

 辺りには巨木が立ち並び、霧が立ち込めて湿度が高く、非常に薄暗い。吹き抜ける風はじめじめとして、肌を舐める感触が気色悪い。動物どもの声がやけに耳に響いて、すぐそこに脅威がいることをありありと示してくる。早く何とかしろ、と、内なる私が必死に呼びかけてくるのがわかる。そうしているうちに、焦燥感ばかりが膨れ上がり、自由の使い方さえ、解らなくなっていた。


 もう、私は、カメレオンになる他なかった。


 密林に身を潜めるその生き物は、時には草となり、落ち着いて風に揺られ、時には樹木となって、頑固にその場に止まり続け、時には強風となって、森全体を拭き荒らした。

 とにかく、ただ必死に、その場その場を逃れるために、一番適切な、一番生きやすい形を成して、孤独を消し去った。周囲には、自分と同じ形をしたもの共がいることに、ひたすら安心した。

 やはりと言うべきか、またもや、知り合いばかりが増えた。



***



 いつしか私は、自分の本来の形を、思い出せなくなっていた。家に帰り、一人になった時、途端に不安が押し寄せる。私は何をすべきなのか、私は何をしたいのか、解らなくて、胸の内に不安を抱かせたまま、ただ茫然を立ちつくす。阿呆みたいに口を開け、夕日の熱を浴びせられ、今にも干からびそうなのに、一切動けないで、じわじわと内側から浸食する黒いものに侵されていく。たしか、私はカメレオンだったんだよ、そうは言っても、何色のカメレオンだったのかが、思い出せない。だから、やっぱり、立ち尽くすしかない。

 そこで、私は、春休みに感じる不安が、今の感情と同じものだったことに気がついた。ずっと前から、私はカメレオンなのだ。何もしたい事がなく、やらなきゃいけないことがあるわけでもない。何者にもなれなかった私は、周囲の人間の形を真似、何者かになって、自らを生かしてきた。

 けれど、春休みになれば、周囲の人間とは一度離れてしまう。そういう時、私は、形を失ってしまう。さらには、次に出会う森でも上手く擬態できるのか、なんて問題にも直面する。それはまさしく、今後一年間の生死に関わる問題であった。

 私は、今この瞬間をなんとかして生き永らえるため、勉強をし始めた。その時だけ、私は、真面目な女子高校生に擬態することができた。春休み、やけに勉強に身が入っていた理由が、とてもよく解ってしまった。

 定期テストでは、そこそこ良い結果が出せた。知り合いたちは、すごい、すごい、とわめいている。喜びがなかったと言えば嘘になる。しかし、それ以上に、あまりの自分の滑稽さに、涙が出そうだった。



***



 密林に飲まれたまま、擬態を続ける。そこで、ふと、高木のてっぺんに上って、辺りを見渡した時があった。開けた視界には、一面に森が広がって、本当に多種多様な生物が、それぞれ、不規則なままに動いていた。

 その最中さなか、密林を抜けたずっと向こうには、があった。密林とは完全に隔てられ、こっちからも、あっちからも、一切の干渉をしない。それでいて、そこには、同じような生物しか、住んでいなかった。

 クラスに、オタクグループ、なんて呼ばれている人たちがいる。一日中、同じような人達とつるんで、一日中、同じような話をしている。クラスからは少し浮いている人たち。

 そんな人たちに、私は、憧れていた。あの人たちは、きっとカメレオンじゃない。密林の気味の悪い風に吹かれたりとか、いつもいつも、何者かになろうと必死になったりとか、そういうことをしない。自分の形も、自分のいるべき場所も、自分が何をすべきかも、全てを熟知している。そんな風に思うと、それは、どんなに素敵な人生なのだろうかと、希望を抱く。そうして、それは希望の範疇から抜け出すことは無いのかもしれないと、絶望してしまう。

 私は、何者かに擬態するたび、なんとかその形を保とうと、新しい事を始めたりもする。しかしながら、そのどれも私の人生を変えることは無く、やはり私はカメレオンのままであり、あくまでそれは、皮脂の一部分にしかなりえないのだった。

 そういう事が何度も続くものだから、いつしか、私が本当にやりたいものなど、この世には存在しないのだと、そんな気がし始めた。だから、一生、密林を抜け出すことはできない。色も形も失った、価値の無いカメレオンを続ける人生なのだろう。それは、ほとんど確信だった。

 でも、それなら、私の抱いている希望は、なんなのだろうか。あの人達は、どうして、カメレオンじゃないのか。どうやって、自分の住むべきを、見つけたのだろうか。

 仕方がないので、私は、聞いてみることにした。少しばかり他愛のない話をしてから、どうやってそんなに好きなものに出会ったの、っと。


「うーん……まあ、簡単に言うと、運命だった、みたいな?」


 そう答えてから、事細かに、出会いの経緯を話してくれたのだが、正直、そこはどうでもよかった。

 運命。この言葉を聞いた途端、薄暗い森の中に、木漏れ日が照り込んで、ぱっ、と一面を明らめた。

 なるほど、つまり、結局のところそれは、偶然の出会いなわけだ。だから、きっと、誰しもが出会うものであり、遅いのも早いのも、運命のいたずらに過ぎない。当然、私だって、いずれ出会い、この森を抜け出せるのだろう。それが、どんな出会いなのか、どんなまちへ連れていくのか、全く想像はつかないのだが。

 いや、むしろ、想像のつかない方が、楽しい気すらした。私は、可能性の塊なわけだ。これほど光栄なことはないでしょう。

 森林の奥に差し込んだ光は、とても単純な光ではあったのが、確実に、一匹のカメレオンをとらえ、その形を、露わにした。



 それは、無色無形のカメレオンだ。

 

 それでいて、虹色の、カメレオンなのだ。

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