第5話 月刊「シナリオ」誌

 少し話を戻す。「シナリオ」の1974年6月号である。

 この専門誌では、『氷雪の門』をめぐっての「騒動」が取り上げられた。『緊急特集=「氷雪の門」上映中止事件』と銘打たれ、前半は新聞記事の転載と二人の識者の見解、後半はシナリオ作家四人(松田昭三、国弘威雄、田坂啓、松本孝二「シナリオ」編集長)と吉田憲二監督の座談会になっている。

 座談会ではまず吉田が誤解を解き、「日本の映画会社に対する上映中止要請だとすれば当然、ソビエトの映画委員会(映画省)を通じて、文書で云ってこなければ正式の効力もないわけでしょう」と指摘した。国弘も「東宝に対してソビエトから外務省を通じての正式な中止要請があったかどうか、今もって明確ではありません」と言っている。 

 これに対して、松本は、東宝営業本部副本部長・後藤進のコメントとして「ソ連側が神経質になっているのは確かで、先方に刺激を与えるのはまずいと思う」とあることを指摘、ソ連側から意志表示はあったと結論づけている。


 さらに、この座談会は、東宝の興行者としての見識不足を批判している。 『モスクワわが愛』のほうが客入りはいいし、『氷雪の門』を切ったっていいだろう――なんて甘いものじゃない」と手厳しく言っているのが、ほかならぬ吉田であった。

 吉田はこうも指摘した。東宝としては、黒澤明の『デルス・ウザーラ』もあるし、東宝東和の川喜多長政がソビエト映画を買い付けることもある。ここで『氷雪の門』をやるのはマズいと判断して、「危険な火の粉は全部取りたい」という興行的な考えもあったのではないか、と。

 

 国弘威雄がこうも言っている。JMPは特定の思想があって出来ている会社ではなく、前売券を捌くにあたって右も左もお構いなくというところがある。

 しかし、自身が引揚者である国弘にはソ連を攻撃する意図はなく、樺太の終戦記録をもとに真岡の電話交換手の話と、戦争の悲劇を描こうとしたわけだという。


 新聞記事の転載では、まず3月23日付けの「日本向けモスクワ放送」の記事が目立った。これは、モスフィルムとは異なる次元での公式放送で「ソ連国民とソ連軍を中傷し、ソ連に対して非友好的」という論評を流していた。

 その一方で、山本薩夫(映画監督)と山田和夫(映画評論家)の「見解」も載っている。

 山本の『戦争と人間』三部作は、大塚和のプロデュースによる。また第三部にはモスフィルムが協力していた。ちなみに第一部には丹波哲郎と田村高廣も出演していた。

 山本は談話で、「作品は観ていない」と断ったうえで、シゾフが安武に話した言葉を「ソビエト側からの正式見解とするのは間違いだ」としている。

 そして、JMPが「30万人なりの観客動員」を東宝に約束しておいて、それが出来なかったというから、東宝としては「配給をよす気になって手を引いたと思われる」と口頭によりコメントした。つまり、この問題を「外国からの侵害」という視点で捉えるのは不適切であり、「映画の不出来による商業的判断と解すべき」というのだ。

 山本は、東宝とJMPの間に『氷雪の門』の配給契約があったと誤解しており、「30万人なり」という情報の出所も明らかにされていない。

 山本薩夫といえば、国弘の師匠の橋本忍のシナリオによる映画『白い巨塔』が有名だが、「作品は観ていない」と断ったうえでのコメントには、さすがに国弘もあきれている。


 山田和夫の「見解」はさらにおかしい。

 『氷雪の門』は、軍国主義を担った高級軍人を美化しているので支持できないと思ったという。

 山田は先の「AVジャーナル」1973年11月号を読んでいて、八木稿のような「反戦色の強いもの」でも、松山稿のように「今日的視点から1945年の悲劇を見つめ直したもの」でもなく、国弘稿が「往時ありのまま、素直に描きたい」としたので、防衛庁基準に「合格」したのは明らかだという。

 だが、八木稿も松山稿も、今の時点で読めるはずがないのだ、それなのに、「反戦がテーマゆえ防衛庁に嫌われた」とはどういうことか。

 そして自民党代議士の三池信を会長としてJMPがつくられ、1億8000万円の製作費は、「東京建設協会が協力券を買ってもらう形で調達し」たことから、狙いは明らかだという。


    *    *    * 


 これに対して、国弘威雄は猛反発している。

 1997年に刊行した著著『私のシナリオ体験 技法と実践』(映人社)の中で『氷雪の門』について取り上げている。

 「ソ連だとか中国だとかいうと、盲目的に追随するジャーナリストや人々」を「尻馬に乗った親ソ派」と非難、彼らの攻勢が東宝の翻意につながったとしている。

 映画の出来はいま一つだったが、国弘の引揚者体験を初めて具象化できたシナリオだったという。 

 

 その一方、東宝系での公開中止の主因として、「前もって観客動員数を約束をせねばならず、つまり前売券は何十万枚売れるという確約をせねばならず、その条件が整わなかった」ことがあったのは認めている。

 そして、東宝が求めた製作協力券の保証枚数や、それに対するJMPの実売枚数についての具体的な記述はない。

 山本のいう「30万人なりの観客動員」を認めているのだろう。


 片や山田和夫は、その著書『偽りの映像 戦争を描く眼』(1994年、新日本出版社)の中で、『氷雪の門』を非難しているが、その同じ誌面で今井正監督の『海軍特別年少兵』を持ち上げているのだから、何とも扱いに困る。

 山田が予科練あがりであり、『海軍特別年少兵』の世界を実体験していることを計算に入れても、やはりおかしい。


 言うまでもないが、『海軍特別年少兵』も『氷雪の門』も、プロデューサーは望月利雄である。

 『氷雪の門』での島田正吾や丹波哲郎の描き方が「高級軍人を美化している」というが、ソ連の圧倒的な兵力の前では「無力な軍人」としか見えない。

 東宝の8・15シリーズ『激動の昭和史 沖縄決戦』での小林桂樹、仲代達矢、そして丹波哲郎の描き方と「違っている」とは思えないのだ。

 念のため断っておくが、『氷雪の門』で丹波哲郎が扮した第88師団参謀長は実在の人物をモデルにしており、抑留体験もあるその人物に取材しているのだ。


 また、民社党と同盟は、1978年度に『氷雪の門』の全国上映運動を組織したとあるが、これと前後して『忘却の海峡』が上映されたことには触れていない。

 『忘却の海峡』は松山善三の脚本・監修により、樺太在住韓国人帰還問題を描いており、『氷雪の門』と好一対をなす作品である。

 ただ、この上映運動を通じて、「ソ連のクレームがついて、大手映画会社が手を引いたとかいわれる幻の映画」という不正確な情報はさらに広まり、『氷雪の門』が幻の映画となった真因の確認を怠る結果を招いている。

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