第63話 脱走経路
メルワートに連れられて、研究室へ向かう。その光景を見て、トーリが逃げ出そうとした理由が分かった。
「ウ、ウゥ……ア……ア…ァ……」
肌がグズグズに腐って緑色になった生命体が、強化ガラスの筒に入れられていた。何事か呻いているのが聞こえるのは、内部に設置された集音器を使って中の音声を外に流しているからだろう。
「これは?」
「人間でも魔族でもない、魂を入れ替えた人じゃ。ワシの一番新しい研究じゃる」
「魂を入れ替えた――」
「それはさておき、魔力圧じゃ!」
魔法使用時における計算を楽にするためにメルワートが考えた単位がある。
魔力はマレット、魔力圧はフォード、魔力抵抗値はオミル。
メルワートはその基準――つまり、一マレットの魔力を流すのに一フォードの魔法圧が必要となる物質の魔力抵抗値を一オミルと定め、基本単位である一マレットの定義を決めた。
まずもって、世の中には基礎単位――長さや重さ、時間などの、計算で求めることができない単位が存在する。だが、そのどれにも、一となる基準が存在する。
魔力もその一つであり、その基準を決めたのがメルワートだ。
とはいえ、魔法は多種多様なことを起こせる力であるため、物を動かす力、という観点だけで定義することはできず、定義づけには苦心したと聞く。
「今年の魔法科学の主流はの。『生まれた日を〇日として、八年〇日生きた人間の一センチ角の擦り傷を治すのに必要な魔力』を一マレットとしておる」
「それだと、定義として不十分だな」
体内に保有する魔力によって、魔法の効きやすさというのは変わってくる。一般に魔力が弱いほど魔力抵抗値も低くなり、魔法が効きやすい。
例外として、魔力をまったく持たない八歳未満の子どもには効かない。
「やはりそう思われるか……。そこで、じゃ」
「新たな定義を考えたのか?」
「うむ。これまでは、原初の魔法を基礎として考えておったっぴ。しかし、実際の魔法の使い道として一番多いのは、原初の魔法ではないっぴ」
原初の魔法というのは、簡単に言うと、「修復、創造、破壊」の三つだ。だが、世界に魔法が現れてもっともよく使われているのは、その三つのうちのどれでもない。
「強化、だな」
「そのとおりっしし。要は、移動手段じ。速度を上げることで世界を狭くしたのが、魔法の最たる功績と言える」
世界全体の速度が上がったことで、これまで以上に貿易は盛んになり、適切な医療を迅速に行うことが可能となった。人の往来も活発化し、知識の共有や住居の選択など、あらゆる面で、自由になった。
「のわりに、自作自動車作ってるよな」
「趣味っち!……ともあれ、わそは時速と結びつけて考えることで定義が可能だと考えておるっぴ」
「いい線いってるんじゃないか」
止まっている物質を動かすのではなく、動いている物質の速度を変える。
強化魔法で炎は生み出せないが、同じくらいの魔法圧、となれば、おおよその感覚は掴めるのではないだろうか。
「そこで!ルジ様には、定義付けのための協力をしてほしいっぴ!」
「実験なら、機械でやった方がいいんじゃないか?」
「機械よりも職人が勝ることは往々にしてあらりら。老化と忘却のない千年の積み重ねに勝る機械などなししっし」
同じ魔法圧――それもかなり強い圧を絶やさず送るのに、魔力の定義すらあやふやな世界で生み出された機械よりも、俺の方が正確だという話だ。
そして、彼女の思考実験においては、結果は見えているんだろう。
「報酬はきっかり払えよ」
「まかせっち!」
この二週間でそこそこ魔力が回復していても、あまり気は進まなかった。
***
「大丈夫ですか?」
「えっと……」
銀髪のお姉さんが手を差し伸べてくれて、その手を取り、なんとか立ち上がる。
「メルワート様の助手、みたいなものですかね。ハミラスと申します」
「そう。じゃあ、僕たちの敵ってことだね」
「はい。そうなります」
ハミラスは意識のないトーリを少し重そうに抱っこした。
お姉さんが歩みを合わせてくれるので、壁に手をつき、なんとか、ついていく。
「ルジ様からは、二人には手を出すなと言われています」
「ねえ、人間と魔族の双子って、そんなに珍しいの?」
ハミラスは答えない。けれど、答えないという選択からも読み取れることは多い。
「この世にあなたたちだけでしょうね」
「え……そうなんだ」
「自分たちが特別だとは、思っていなかったようですね」
ハミラスは僕がただの七歳の子どもだと思っているらしい。確かに、それ以上でも以下でもないが。
とはいえ、さすがの僕も、ルジに教えられなくたって、人間と魔族が一緒にいることがどれだけ珍しいのかくらいは分かっている。
僕たちみたいな双子は多分、この世に僕たちしかいないことくらいは、分かっているつもりだ。
「うちのルジがそういう教育方針だからね」
「ふふっ。難しい言葉をよくご存知ですね」
――そうか。研究施設ではあるけれど、孤児院の子どもたちの面倒も見ているのか。
それで、僕を他の子と同じ眼鏡で見て、ちょっと背伸びした子どもだと判断したのだろう。
子どもらしくしておいた方が動きやすそうだ。
「ねえねえ、ハミラスさん。僕、外にいた他の子たちと遊びたい!」
「それは、ごめんなさい。聞いてあげられません」
「えー。遊びたい遊びたいー」
「わがままばかり言っていると、メルワート様みたいになってしまいますよ?」
「えっ、それはやだ」
おっぱいはあんなにおっきいと動きづらそうだし、露出狂にもなりたくない。別に、僕の肉体的な性別を示唆して言ったわけじゃないだろうが。
そんな子どもらしさを見せつけつつ、いくつか扉を開けて進んでいく道順を覚えておく。
同じところを何度か回って混乱させようとしているみたいだが、大丈夫だ。砂漠よりは分かりやすい。
進んでいくと、これまでと雰囲気の異なる部屋にたどり着く。ここが終着点なのだろうが、罠にかかったフリをするしかなさそうだ。
トーリを床に下ろし、ハミラスが一歩、遠ざかる。
――ガシャン!
上から檻が降ってきてその間を分ける。
「しばらく、こちらで大人しくしていてください」
すぐに危害を加えるということもなさそうだが、ここは――。
「ちょっと、何するのさ!開けてよ!」
「あなたたちは、実験のために生かされているだけです。約束さえ守れば何をしてもいいと、ルジ様からも言われております」
「何をしても……!?トーリだけでも逃がしてよ!」
「それでは。ごゆっくり」
踵を返すハミラスが、悪そうな笑みを浮かべる。完全に振り返ったところで僕はいよいよ、にやにやが抑えられなくなる。
姿が見えなくなるまでは、我慢だ。
「ぷっ、くくっ……はー。笑った笑った。トーリ、もう寝たフリしなくていいよ」
赤い瞳がぱちり、と開かれる。
「いつから寝たフリだって気づいた」
「起きたときから。それで、脱走経路だけど」
「ふっ、くくっ……もう脱走しようとしてるのか。最高だな」
「何もしないって言われて、信じるわけないじゃん?」
こんな怪しいところからは、できる限り早く出た方がいい。
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