第62話 捕まえた

「あはは、あはははは、あはははははは!」


 ムーテの高笑いが響く。もう何度目かの出現だ。


「何あいつ!ことごとく先回りするじゃん!怖っ!トーリ、音聞いてるんじゃないの!?」


「聞いてる。だが、この狭い水路で音が反響してうまく位置が掴めないのを、利用されてる」


「――てか僕たち、遊ばれてるよね?」


「まあ、泳がされてるというか、手のひらの上というか」


 いい加減、腹が立ってきた。捕まえればいいのにそうしないし、余裕シャクシャクだし。地理的に向こうが有利だから、当然なんだけど。


「……ムーテに仕返しできないかな」


「オレもそう思ってたところだ」


「仕返しするんだ?」


「「どわあああっ!?」」


 目の前に現れたムーテに叫んでしまってから、トーリが小さな苦鳴を上げ、耳の痛さがほんのり伝わってくる。


「あはは。二人とも、おもしろーい」


「トーリ、こいつ、悪魔だよ!」


「いや人間だろ」


「種族の話じゃない!」


 何か、何かないか。ムーテをぎゃふんと言わせる何かが――そうだ。


 トーリの耳を代わりに塞ぐ。


「ムーテがここにいるよー!大統領の娘がここにいるよーっ!!」


 ザザッと、見張りの騎士たちが現れる。予想通りだ。


「わあ。その手があったね」


「……おい、レイ。どうしてくれるんだ」


「どうって?」


「オレが魔族だって、バレたらどうする……!」


「あ、そっか」


 トーリが魔族だって知らない人もいるんだった。しまったな。どうしよう。


「わたしについてきて」


 ちょちょっと手招きされる方に、ついていくしかない。


 橋の下に水が流れる位置に築かれた、子どもがやっと通れる広さの丸い水路があった。そこにムーテは入っていく。トーリが僕を担いで通るのは、難しそうだ。


 なのでおんぶしてもらって通ることに。肋も治っているみたいだ。ぴちゃぴちゃと、水音が響く。


 ……真っ暗だ。目が慣れてくると、一本道でないのが分かる。


「この通路、どこに続いてるんだ?」


「いろんなところ。水が溢れないように、こういう水の通り道を作ってあるの」


「よっぽど水が嫌いなんだね」


「ね。ほんと馬鹿だよね」


「え?」


「え?」


「ん?」


 ムーテの口からそんな言葉が出ると思っていなかったので、聞き間違いかと思ったけれど、トーリが「え?」と声を上げたので、本当に言ったのだろう。


「あとちょっとで出口だよ」


 光が差し込み、一瞬視界が白く染まる。薄っすら目を開けて、瞬きして。視界が戻る。


「ここは――」


 水路から階段で上がると、門の中で駆け回る子どもたちの姿が目に入った。


「孤児院。わたしも少しの間、ここでお世話になってたの」


「ふーん、そうなんだ」


 ちょっと、びっくり。でも、びっくりされると嫌な思いをするかもしれないから、興味ないふりをする。


「……なあ、ムーテ。その、ごめん。オレ、魔族だって、黙ってて」


 ムーテが魔族を毛嫌いしているわけじゃないのは、なんとなく分かった。僕は背中から降りて、自分の足で立ってみる。


 頭巾を少し上げて、ムーテとトーリが初めて、目と目を合わせる。


「その赤い目、とっても綺麗だね」


 トーリがさっと、頭巾を下ろした。


 ――気に入らない。


「はい、捕まえた」


 ふと気がつくと、足が宙ぶらりんになっていて、どうやら、丸太のように抱えられているらしかった。


 見ると、ルジがいた。


「ありがとう、ムーテ」


「どういたしまして」


「は、はめられた……!」


 あるいは、僕が騎士たちを呼ぶことまで織り込み済みだったのかもしれない。そのために、追いかけ回して焦らしたのでは――いや、さすがにそれはない、か。


「オレたち、とても、お利口さんです。離してください」


 トーリがまた変なことを言い出した。


「トーリは、すごく、お利口さんです。離してください」


「楽しめたようで何よりだ。さて、行くぞ」


「あー」


「いー」


 孤児院に入っていくと、子どもたちが遊ぶ手を止めてじっと、見てきた。――いや、視線は、後ろのムーテに注がれている。顔を知っているのだろうが、ムーテは、誰とも話さない。


「ムーテは、ここで待っててくれ」


「このまま黙って見過ごせると思うの?」


「お前のことは知らない。だが、約束はしている」


「あの人が約束を守るとは思えないけど」


 なんでムーテはこんなに怒っているんだろう。


「――ついてくるな」


「るじだって、分かってるはずだよ」


「それでも、ここが一番安全なんだ。……そうだろ」


 リアがムーテの足元にすり寄り、先に行かせないようにする。それを見たムーテの足は止まり、ルジをそれ以上、引き留めようとはしなかった。


***


 ぽーんと、地面に下ろされる。


「約束通り、連れてきた」


「おお、おぉ……!本当に、お二人にそっくりじゃける……!」


 この、つばの広い白い帽子とえっちな服、それから赤い目。――ものすごく、見覚えがある。


「初めまして。トーリスです」


「な、なんと礼儀正しい子っぱ……!本当にルジ様が育てたのかっち?」


「お前にだけは言われたくない」


 仲は、あんまり良くなさそうだけど。どういう関係だろう。


「……警戒されておるにょ。では、自己紹介じゃ」


 白いとんがり帽子を外して、胸の前に。


「メルワートと申しますじゃ。昔、ルジ様に育てられてっちゃ。今回はその付き合いで二ひ……二人を預かることになったばい」


「ルジに育てられた?」


 そんな話は一度も聞いたことがないけれど。


「三百年も前の話だ」


「三百年来の付き合いぱっける!」


 温度差がすごい。それにこの人――なんとなく、嫌いだ。名乗ってあげない。


「同じ年頃の子どもが多いし、歩けるようになったなら二人揃ってここに預けた方がいいかと思ってね」


「そうなんだ」


「オレたちは、ニーグさんのところがいい」


 トーリがあまりにもはっきりと、そう言った。


「レイもそうだろ?」


「僕は……」


 戻れるなら別に、どこでもいい。トーリがいるところなら。


 でも。ここの子どもたちは、メルワートの赤い目を見慣れている。


 ここならトーリも、変な目で見られないかもしれない。


「僕は、ここがいい」


 トーリが、少し驚いたように僕を見た。


「では、行こうかの」


「メルワート。――くれぐれも、頼んだぞ」


「あいあいさー!」


 トーリが僕を抱えて逃げようとする――が、ルジが首の後ろを打つと、ふっと力を失ってそのまま倒れた。


「いた……」


 床に投げ出されたのとは別に、遅れて伝わってきた痛みに、首の後ろをさする。


「ふむふむ、共鳴感覚というやつじゃか」


「いろいろと特別でな。もう一匹はまともに歩けないから放っておけばいい」


「ういさっ」


 ルジは地面に這いつくばる僕を、冷え切った赤と青の目で見下ろして、問うてくる。


「……今のが見えたのか」


「今のって、首の後ろを叩いたやつ?何が言いたいのか知らないけど、トーリだけでも助けてよ」


「契約を破ることはできない」


 去りゆく背中にほんのわずかだけ、罪の意識があるような気がした。

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