第55話 とんでもなく悪いこと

「ごくり」


「レイのこと、すっごく心配してたぞ」


 心配――?


「うっそだぁー。だって、あんなに怒ってたし」


「怒ったのは、怖かったからだろ」


「怖かった?自分の顔が?」


「レイのそういうところが、だ」


 トーリに優しく言われる方が、ルジに怒られるより何倍も、染みる。僕だってそこまで馬鹿じゃない。ただ、トーリほど純粋にもなりきれない。


「でも、僕はトーリが好きだし、トーリを一番に考えることをやめるつもりはないよ」


「……そこじゃないだろ」


 てっきり、トーリを好きすぎるのをやめるよう言われたと思っていたけど、違うらしい。


「レイが反省したら会いに来るんじゃないか」


「反省って言われても……」


 僕はピスパクと仲良くなりたかっただけだし、あのままじゃみんな危なかったし。結果的には生きてたんだから、別にいいじゃん。


「難しい顔になってるぞ」


「むにゅっ」


 頬を両手で挟まれる。すぐ顔に出てしまうのが僕の悪いところだとは思っているんだけど。なかなか直らない。


「それにしても……レイが生きてて、本当によかった。すごく心配したんだからな。もう、ああいう危ないことするなよ」


「トーリ……」


 それでも僕は。やっぱり、僕がこの世界にいる意味がただ一つしか――トーリしか、見つけられない。


 そして、トーリがこの世界にいるんだから、それより何もかも劣った僕は、必要ない。


 この命を何に使おうと、いつ死のうと、誰も困らない。僕のやることは全部、トーリにもできることなんだ。


 僕にはトーリしかいなくても、トーリは僕じゃなくていい。


「――そういえば、ピスパクは?」


「ああ、そういえば、ルジも何も言ってなかったな」


「……殺しちゃった?」


「そんなことはしないだろ。レイが欲しいって言ったものを、許可なくどうこうなんてルジはしない。それと、さっきの話だが」


 さっきの話とは、どれのことだろう。


「レイはオレがお利口さんだと思っているらしいが」


「うん。事実だし」


「実は今日、オレはニーグさんに黙ってここに来た」


「えぇ……!?トーリがそんなことするの?ジタリオはそれ、知ってるの?」


「知らないだろうな。ルジの許可が出たって嘘ついたからな」


 ちょっとドヤ顔で言うトーリがかわいすぎて。


「ふっ、ははっ、ふふ、あはっ、ははは!……いててて、めちゃくちゃ悪い子じゃん、トーリ」


「――そしてな。お迎えがきてしまったようなんだ。今、ジタリオと話してる。ぐすっ」


「また雪が降っちゃうね!」


 普段いい子すぎて怒られ慣れていないトーリが、ちょっと涙目で縋りついてくる。そもそもルジはほとんど怒らないから、僕だってたまに怒られると泣きそうになるくらいだ。絶対に泣かないけど。


「レイ、なんとか言いくるめてくれ。そういうの得意だろ」


「それやろうとしてこの前、激おこされちゃったんだよ。もう一回同じことで怒られたくないし、僕はお部屋で反省してようかなー」


「いいのか?お前の足はオレが握ってるんだぞ」


「僕、どうしようもないじゃん!」


「ああ。内緒で来てるのが、バレちゃった……」


 トーリの耳では察知しているが、僕にはまだ見えない。


「……なあ、レイ」


「何、トーリ?」


「とてつもなく悪いことがしたい気分なんだ」


「うん?」


「――逃げよう」


 トーリの口から、そんなに悪いことが出てくるとは思わなくて、すごくビックリして。


「……ふっ、ふははっ。いいよ!行こう!」


「よし来た。掴まってろ!」


 また僕を担いだトーリは、壁から少し離れたところから、助走をつけて――壁を跳び越え、走り出す。


 振り返ったときの表情を見るに、もう後戻りはできないらしい。


「わほほーいっ!逃げろーっ!」


「逃げるぞーっ!」


 僕たちは逃げる。行く宛もなく、怒られるから逃げるという名目で、ルジを困らせて楽しむためだけに。


***


「逃げた?……怒られるのが怖いからか?」


「目撃者の証言によると、二人ともはっちゃけていたそうです」


「はっちゃけ……。まあ、大体分かった。トーリのせいだな」


「トーリスくんが、ですか。いい子そうに見えましたが」


 レイはああ見えても、人を困らせてはいけないと、分かりすぎている。


「じゃあ、レイが逃げそうに見えるか?」


「しないでしょうね」


「よく見てるじゃないか。まあ、捕まえるのは簡単だが」


 とすれば、優しすぎるトーリが大方、レイを元気づけようとして連れて行ったのだろう。


 レイを担いだトーリの全速力くらい、一瞬で捕まえられる。だが。


「私が捕まえてきます――」


「いいや。それじゃあ、面白くない」


「え?」


「逃げるっていうのはね。楽しくないといけないんだ」


 要領を得ないジタリオが首を傾げる。


「そうでないと、嫌なことから逃げられなくなってしまうからね」


「では、どうされるのですか?」


 本当はこのままメルワートのところへ連れて行こうと思っていたが――その前に、ひと遊びしてやるか。


「いい相手を呼んでこよう」

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