第53話 クレセリアという偽物

 あれから、何日経ったっけ。もう窓の外に雪はない。


 相変わらず立って歩くということができなくて、横で丸くなるリアを撫でていたとき。


 ――不意に、心臓がバクッとして、思わず、起き上がる。


「ラウ?」


「多分、トーリだと思う。何か、すごく、びっくりしたみたい。あー、びっくりした……」


 それからは特にやることもなく、トーリの絵を描いていた。


 ――しばらくして、ジタリオが姿を見せる。ジタリオは恐らく、僕を監視している。大方、ルジに何か言われたのだろうから、ジタリオをいじめないために僕も大人しくしているしかない。


 でも、たまには子どもらしくしておいた方がいいかな。


「あーーー暇で死にそう!ねえ、ジタリオっ、なんでトーリはお見舞いに来てくれないのさ、分かった、ルジのせいだね!?」


「……元気だなあ」


「なんとかしてっ」


 足は動かしたら痛いし、トーリには会えないし、やることがなくて暇すぎる。というのは本心だが、まあ騒ぐほどでもない。


 ただ、手当してもらっていて不満ばかり並べるのもどうかとは思うが、本は貸してもらったけど子ども向けすぎてつまらないし。チリリンとリアは遊んでくれるけど、話せはしないし。チリリンに至っては窓越しで、触ることもできない。


 仕方ないので紙と鉛筆をもらってトーリを描いたり、リアの絵を描いたり、トーリを描いたり、迷路を作ったり、トーリを描いたり、トーリを描いたりしていた。――ああ、トーリに会いたい。


「暇っ、ヒマヒマヒマっ。トーリ不足で死ぬ!トーリを出せー!」


「いいのかなあ、大声出して。足つんつんしちゃうよ?」


「ごめんなひゃぃ静かにしまつおまつ」


 足つんつんは本当に痛そうだからやめてほしい。トーリが可哀想だから。でも、どのくらい治ってるんだろう。いつ歩けるようになるんだろう。はあ。


「とは言えもう二週間だし、レイノンくんも限界だろうね。――そんなレイノンくんに朗報があるんだ」


「ローホー?」


「いいお知らせ。今日から外に出ていいって」


「歩ける?」


「少しずつ歩いて、慣らしていこうってことになったんだ」


 嬉しくなりかけたけれど、気持ちは沈んでいく。


「……でも、外に出たって、トーリもいないし。結局、何もできないじゃん」


 言ってしまってから、ぱっとジタリオの顔を見上げる。しまった、と思った。


 こんなことを言ったって、ジタリオが悲しい顔をするだけなのに。


「ラウラー」


 リアにネコパンチされるかと思ったけど、唯一無事だった右手にすり寄ってくるだけだった。


「ごめん、ジタリオ。その、ずっとここにいるよりはマシだと思うし、それってつまり、治ってるってことだから、よかった」


「……いや。それが本来、あるべき姿だと思うよ。安心した」


 不満をぶつけてしまったのに、ジタリオにはなぜか安心されるし、よく分からない。


「でも、誰が僕を運んでくれるの?チリリンは結構滑るから、さすがにまだ乗れないだろうし」


「しばらくは私が運ぶ。ただ、今日だけは、特別な子が来てくれたから」


 誰だろう、なんて呑気に考えていると――ジタリオの後ろからちらっと、頭巾の少年、否、トーリが顔を覗かせた。


「トーリ!」


 反射的に寝台から飛び降りて、トーリに抱きつ……こうとして、足が重く、思ったように動けない。


「大丈夫かっ?」


「うん。なんか重いけど、もう痛くないし、大丈夫!トーリこそ元気だった?」


「ああ、まあ……。久しぶりだな、レイ。――ところで、あれだが」


 ふんわりと、目の裏に光景が浮かび上がる。言葉がなくとも、トーリが言わんとすることはなんとなく分かる。


「あーあれね。これこれ」


 落書き用の紙に書いたトーリの絵を、枕の下から取り出して見せる。ほぼ一冊まるまるすべてトーリだ。


「ふっ、ふ、ふふっ……。描きすぎだろっ」


「トーリへの愛が収まらなくて」


「ほぇ」


 風でペラとめくれた前の頁には、トーリを描く前の練習用ムーテが描いてある。


「――本当に上手いな」


「わーい、トーリに褒められたー。あ、トーリも、あれは?」


 トーリに、暇つぶしの何かをお願いしていたのだ。まあ、言葉でお願いしたわけではなく、トーリが察して持ってきた、という方が感覚的には正しい。


「ああ、あれな。ジタリオさんに没収された」


「なんでぇ?」


「ルジ……的なのが、オカリナ、って名前の楽器を用意してくれたんだが、ジタリオさんが調べてから渡すって」


「的な?あ、ねーねー、ジタリオ、それ僕の楽器――っていないし」


「……そう言えば、リアもいなくなってるな」


 いつの間にかジタリオとリアは、部屋から姿を消していた。


***


「ラウ!」


「おお、リア!元気だったか」


 胸に飛び込んでくるリアを抱きとめて、二週間ぶりの毛並みを味わう。


「ちょっとごわごわするな。あとで梳いてやるからな」


「ラ〜」


 二週間分のなでなでをしていると、


「……捜しましたよ」


 リアを追って、敷地の外で俺を見つけたジタリオは、二週間ぶりの再会だというのに、あまりにも、嬉しくなさそうだった。


「すまない。二週間の間にどこまで行けるか、試してたんだ」


「へえ――どちらまで?」


「二週間あれば世界を一周できる。さっき帰ってきたところだ」


 ジタリオがぽかんと口を開けていた。雪は、とっくの昔に消えたらしい。


「俺の計算では、普通の人が歩き続けて十四年かかる。俺は走り続けて十四日だ」


「それは、何かに必要だったのですか?」


「――昔はこれでも、世界一周なんて夢のまた夢だと思っていた時代があってな。最初は三年かかったんだ。今じゃ、息一つ切らさない」


「はあ……?」


 何を言いたいのか、分からないのだろう。分からないように話しているのだから、当然だが。


「まあ、レイも少し歩けるようになった頃だろうし、そろそろ、レイを連れてここを出ようと思う」


「その前に。お伝えしたいことが」


「うん?」


「ラウ、ラウラーウ!」


 ジタリオより早くリアが説明してくれる。


「二週間前、ここに私の偽物が現れたんです。それで――」


「クレセリアが、ここに」


「え?……ええ。目的は達成したと。そして、レイノンくんを見ながら、彼――あなたによろしく、と」


「どうして……」


 頭が真っ白になり、数分遅れて、なぜ、の疑問が湧いてくる。


 魔法陣は完璧だったはずだ。あれがなければ俺がレイを治したごときで魔力不足になんてならないし、二人に触れることも苦ではなかっただろう。それなのに、無意味だったというのか――。


 どうして、今なのか。あと半年。あと半年で、二人は魔法が使えるようになるのに……!


「ラーラー!」


 リアが落ち着くよう言ってくれて、なんとか、理性と思考を取り戻す。飲まれてはいけない。


 魔法と精神の結びつきは強く、精神の揺らぎによってこの前のように天候を変えてしまったことも、数えるほどだが、確かにある。


 努めて、冷静に。それは、俺がこの世界に現れたときから科せられている、大きな力に対する代償だ。


「その偽物は、今どこにいる」


「……申し訳ございません。取り逃がしました」


 ――やはりそうだ。メルワートがラスピスを裏切った原因は、あいつだ。


 全部、あいつの手のひらの上だとでも言うのだろうか。早くここを離れなくては、いや。


 それすら計算だとしたらどうする。今は、リアの見る未来を変えることに専念するべきだ。



 冷静になれ。



「私の実力不足です。なんと、お詫びしたらいいか」


「相手が悪すぎる。仕方ないさ」


「その、クレセリアというのは、何なのですか?」


「あれは、二人の親の――」


 言いかけて、口を閉ざす。自分の言葉と、感情と、記憶に違和感があって、何が変なのか、分からない。


 二人の親の、なんだと言うのか。俺たちの旅の目的は、二人の親を捜すこと、のはずだ。


「ラウ」


 腕の中のリアが、俺の頬を舐める。


「リア――」


 その紫水晶の瞳に、冷静さを取り戻していく。自分の息が上がっていることや、やけに、気持ちが悪いことに気がつく。


「……吐きそう」


「世界一周なんていう無茶をするからでは?」


「ははっ、言えて――うっぷ」


 喉元まで出かかった胃液を、無理やり飲み込む。二週間、飲まず食わずだったから、固形物は出てこないだろうが、リアの前であまりにも粗末な姿は見せられない。


「……あいつと俺なら、どっちが強いと思う」


 ジタリオが道端のアリを見つめる。


「正直、分かりません。あのときのクレセリアが本気を出していたのかどうかも。アリに擬態して、攻撃をかわされてしまいましたから」


「――この世には、絶対に勝てない相手が存在する。そうは思わないか」


「思います」


 道端のアリは、ジタリオが足を少し動かせば今すぐにでも、殺せる。


 けれど、アリがジタリオを殺すには、数をそろえるか、口や鼻から侵入して中を食い破るか――。どちらも、現実的ではないし、そもそもアリは結構、強いからあまり例えにはならないか。


「そうだろう。……だがこの世界では、それを、乗り越える必要があるんだ」


「それは、一体、どういう――」


「さあな。もし、お前が俺を超えられたら、そのときに教える」


 ジタリオは頷き、


「元より、目指せるところまで目指してみるつもりです」


 と返してきた。


「さて。レイを預かろうと思うが、今もあの療養室に?」


「ええ、トーリスくんと一緒に」


「待て。トーリがここにいるのか?」


「はい。ルジ様が連れてきたのではないのですか?トーリスくんが、そう言っていましたが」


「……トーリがここにいると知ってて、この話をするわけないだろ」


 わずかなヒントも与えないようにしてきたというのに。


 ここにいるということは、ニーグの目を盗んできたとしか考えられない。俺はニーグに、二人を預かるよう命じたのだから。


「このオカリナという楽器は、トーリスくんがあなたに託されたものだと言っていましたが」


 オカリナ――鳩琴か。


「そんなものを渡した覚えはない。俺はずっと、ここにはいなかったんだ」


 となると、クレセリアは二人ともに接触したことになる。……大失態だ。


「まあいい……。とりあえず、二人を連れて帰る」


「これから少しずつ、レイノンくんに歩く練習をさせるようにと言われているのですが」


「それを待っている時間はない。大丈夫だ。魔法でどうとでもできる」


「承知しました。――では、こちら、請求書になります」


 ――あれ〜なんか出ちゃった〜うふふ〜。ジタリオさんもにっこにこだ〜。


「紙なんて燃やせばいいだけだ……!」


「記録には残してありますよ」


 当然、この二週間は走っていただけなので、資金など用意できているはずもなく。


 恐る恐る広げれば、恐ろしい金額が目に入る。この国の相場はだいたい理解した。だからこそ、恐ろしい。


 青い右目で見ても、赤い左目で見ても、不思議なことに金額が変わらない。おかしーなー。うーん、これはー、メルワートへの協力金をふんだくるしかなさそうだぞー?


「どうされますか」


 冗談を考えている場合じゃないなこれは。


「ツケておいてくれ。そのうち、ちゃんと返すから……」


「ハハッ。承知しました」


 笑える金額じゃない……。

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