第47話 宣戦布告

 メルワートとの交渉を終えた俺とリアは、少し明るくなり始めた空の下、ラスピス山に登り、怖い顔をした魔族たちと対峙していた。


「早まるなよ、ネイザー。……って、もう遅かったか?」


 今しがた動き始めたばかりの魔族全員が俺を見て――否、俺を見たネイザーからの魔法を介した指示で動きを止めた。


「少しだけ。だが、惜しい。たった今、勅は下された」


「俺抜きで勝手に下すなよ。やめやめー。戦争はよくないから、みんな、やめだー……って、無理やり止めてもいいんだけどな。まあ、気持ちは分からないでもない」


 玉座も、仰々しい衣装もなくとも、王には王たる風格がある。ネイザーはまさに、そんな王だった。


「遅かったな、ルジ」


「ごめんごめん。本当は間に合うつもりだったんだけど、子育てしてると色々あってさあ」


 ――空気が、ひりつく。作戦通りだ。


「あいにく、我が国は魔法降天時より子の生産を禁止している。その手の話題は控えてもらいたい」


 やはり、そうか。とすれば、今戦争を起こすだろうという俺の読みは正しかった。


「生産言うな。工業製品だったら俺にも子どもの一人くらいいるわ」


「なんだ。子育てしてるのか子どもがいないのかどっちだ」


「そりゃあ、人それぞれいろんな事情があって然るべき――っと」


 ネイザーの横に立つ金の長髪の男から風刃が飛んでくる。


 人間の騎士よりは強いそれを短剣ですくい、回転させて勢いを殺して空に返す。


「なるほどな。リンシャクか。魔族たちの意思を統一させたのは」


「何のことやら。私はただの側近です」


 王であるネイザーは三十年前の戦争で人間たちが提示した条件――領地の一部を割譲する代わりに、砂漠を捨て民族ごと移動せよ、という条件を飲んだ男だ。


 誇りや故郷より、魔族たちの命を大切にしている。そんな彼がそう簡単に戦争を起こすわけがないとは思っていたが。


 それに最後まで反対したのが、この、側近であるリンシャクだった。


「まあいい。戦争が起ころうと起こるまいと、人間と魔族の争いなんて、俺にはどうだっていいことだ。……が、残念ながら、今回ばかりはそうもいかなくてね」


「と言うと?」


「お前らが戦争を起こすと、俺の目的と相対するんだよ。できれば、お前たちの意思で引いてくれ」


「……できない。もう、遅い」


 ネイザーの反応を見る限り、覚悟を決めたつもりではいるのだろうが、心が隙だらけだ。


「そうか。あと半年待ってくれればよかったんだけど、まあ仕方ないね。俺は今回、人間の側につくことになる。結果は見えているし、第三者である俺の介入によってお前たちが望む戦いは得られないと思うが、それでも、今やるんだろ?」


 それほどまでに、今でなければならない理由があるということ。


「……ヘントセレナに、砂漠の番人がいるだろう」


「砂漠の番人?」


「巨大サソリのことだ。誤魔化さずとも、ここから見ていればすぐに分かる」


 上にいる彼らに見えるなら、下にいた俺にだって、彼らが見ていたということが見えている。


「命の石の番人であるあのサソリを、どうして連れてきた。――まさか、その約束すら破ったわけじゃないだろうな?」


「まさか。俺が置いたわけじゃないんだから、見つけられるわけないだろ。それに、あんな広い砂漠で石ころを探して回るほど、あいにくと、暇じゃないんだ」


「――砂漠に命の石を置くことで、土に深く水を満たし、人が住むことのできる環境へと変える。それまで別の地で待っていてほしい。そういう約束だったと思ったが?」


 現在、砂漠には水場がいくつか生まれているのを確認済みだ。もう十分に、水は満たされている。表層には出てこなくとも、種さえあれば、植物を育てられるだろう。


「ああ、そういう約束だ。間違いない」


 最後まで折れなかったリンシャクを説得したときの約束だ。あのときも音楽では止まらなかった戦争を、交渉で止めたのだから。


 忘れなどしない。だが、時には何をしてでも事態を動かさねばならないこともある。


 今回は、俺が蜂起の時機を調整したかっただけのこと。確実に今、起こってほしかったという、ただそれだけのこと。


 だからこそ、命の石を回収し、砂漠の番人を呼んだ。時機さえ正確に分かれば、リアの見た未来に対しても勝ち筋があると判断したからだ。


「……その言葉が信じられるかどうかはさておいて、重要なのは、国民の意識が今すぐに戦う方に向いていることのみ。そのくらいは、分かってくれるだろう?」


 原因が大事なのではなく、それがきっかけとなったというだけの話。もはや、番人がいることに深い意味はない。


 どのみち、砂漠の奪還を本気で望むなら、彼らも争いではなく、話し合いを選んだはずだ。


「分かったよ。行けばいいさ。だが、もっと分かりやすく言おうか。――ここより先に進んだ者およびヘントセレナに向けて魔法を使った者は、全員、殺す。数はネイザーを含めて二六七だな。取り逃がしはしない。地の果てまで追いかける。今、生かしてやっていることに感謝してほしいね」


 息をのむ、小さな気配がする。


「その覚悟ができていない者は、我が軍にはいない」


「果たして本当にそうかな?」


 まだ八歳になったばかりと思われる子を見れば、震えていた。その赤い瞳が、夜中に泣いているトーリと重なる。


「怖かったら、目を瞑るんだ。そうすれば、きっと大丈夫」


 子どもの頭を撫でれば、少しほっとしたような表情になった。


 どうせ、歌や言葉に力はないのだから、理論や脅迫、そして敵う者のいない、圧倒的な暴力でもって交渉するしかない。俺には幸い、圧倒的な力がある。


「一つだけ言っておく。――ラスピスは今、病にかかっていて、療養中だ。文字すら書けないほど弱っているらしい」


「陛下、これはまたとない好機です。やはり、進軍するべきかと」


 リンシャクが食いついた。予想通りだ。


「どう使うかは任せる。少し、待ってやるよ」


 平和を望むネイザーであれば、手紙くらいは送っているだろう。その返事がないこともきっと、今回の判断に繋がっているはずだ。


 リアを抱き上げて、山を下りる。少し待つ、その数日に、やらなければならないことを済ませなくては。

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