第46話 未来視

「それに、チリリンが俺のところに辿り着いたってことは、未来の俺は命の石を持ってんだろ?だからついさっき、石をメルワートのところに預けたじゃないか。大丈夫だ。すでに未来は変わってる」


 大丈夫と言いつつも、手は震えている。ここでは確認ができないから、不安なのだろう。けれど、自分が何に対して不安なのか分かっていないのだ。


 ――まったく、この人は……。大きな子どもみたいね。


「言ったでしょう?最後にはレイがその石で自害するって。本気で変えたいなら、持ってきてはならなかったのよ」


「命の石の本来の使い道、知ってるだろ」


「――不老不死」


 メルワートが作成した伝説級の秘宝、命の石。不老不死を可能とするそれは自然発生するものではなく、人工的に偶発的に生み出されたもので、同じものはこの世に二つとない。


「そう、この石は、取り込んだ者を不老不死にするんだ。これがあれば、レイが死ぬからって理由でトーリが泣かなくて済むだろ」


「私は、不老不死がいいことだとは、思わない。他ならぬ貴方を見ていてそう思う」



 それに、貴方の目の奥には、何か別の目的がある。暴くことはしないけれど、言わないということは、私が怒りそうな、ろくでもないことなのでしょうね。



「俺は不老なだけで、不死ではないよ。……多分」


「千年以上も生きているくせに、よく言うわね」


「千年生きてたって、次の一年は、ないかもしれないだろ」


 まるで、人みたいなことを言うのね。それだけ、七年前の事件が響いてるってことなんでしょうけど。


「というか、その予言を見てるのに、ムーテのことは警戒しないのか?」


「しないわね。する必要がないから」


「でも、トーリが殺されかけてるんだろ?」


「結果的には死んでない。それがすべてよ」


「そうか。リアがそう言うなら、信じるよ」


 この未来を見る目は、未来の私に見える範囲のことしか教えてはくれない。それに、この人がいなければ、誰かに伝えることすらできない。


 ――この予言を見たのは、七年前。二人が生まれてすぐのこと。


 七年もあれば当然、対策くらいしているけれど、やはり、未来を見る力と言うからには、その対策すら内包されているとしか思えない。現に、西へ向かっていた足を東に向けられてしまっている。


 だからこそ。ムーテに強い意思があれば、やり遂げているはずなのだ。それに、


「個人的に、あの子のことは気に入ってるの」


「やっぱり、ムーテは動物に好かれる才能が段違いだよなあ」


「それとは別。私を他の動物と一緒にしないで。……それよりも。強いあの子が母親を殺めるほどに追い詰められるのだけは、なんとかしないと」


「母親探しに協力してって、頼まれたしな」


 殺めることができるということは、居場所を知っているということ。だから、初めから違和感はあった。


 肩の上でなんとなく、顔を洗う。一度気になると、ずっと気になって、くしくししてしまう。


「ちなみに二人が死んだ後で、あの黒い蝶が死体は骨ごと全部食べちゃうの。ガブッ!ってね」


「うわぁ……。あの蝶、潰していいんじゃないかな……。でも、レイの大切なものだしなあ」


 間違いなく怒るからやめなさい、なんて、言うまでもないと思うから言わないけれど。


「今のところ、川が氾濫してる間は脅威にはならなそうだし、水が苦手というのはあるかもしれないわ。ほら、羽が重くなると飛べないんじゃないかしら?」


「それはあるだろうな。まあ機械だし、さすがに完全防水までは進んでないだろうから」


 水が弱点の戦争兵器。こんなにも水があるところで戦争すると言うのに、それは、致命的な弱点だ。


「でも、国中水浸しなのに、死体を喰らい尽くす――最後まで蝶が生き残ってるってことは、つまり」


「メルワートの研究所はよほど、いい環境にあるみたいね」


「やっぱり、そういうことだよな」


 何気なく頭を撫でられる。気持ちいい……。ずっとこうしていてほしいくらい、幸せにゃ……。


 そのとき、


「うおおおお!!」


 山の上から雄叫びが上がり、夢心地から一気に引き戻される。


「よし、間に合ったな」


 日の登り始めた暗い朝。私の目はきっと、魔族よりもよく見えていた。


 言葉とは裏腹で、いつも飄々としている貴方の横顔に、焦りと緊張の色が濃く浮かんでいるのがはっきりと分かった。


 ――まるで本当に、人になったみたい。


***


「ネイザー様、調査はすべて完了いたしました」


「そうか――」


 すべての赤い瞳が同じ方を向いている。俺を見て、俺とは異なる方に揃っている。


「分流を堰き止める準備は」


「整っております」


「地下の通路は」


「開通済みです」


「爆弾は」


「必要最低限。ですが、最も効果的な配置にしてあります」


「――水は」


 人工物では、ヘントセレナを沈められるほどの水の重さに耐えられない。


 そのため我々は魔法降天後七年に渡り、川の水と魔法水を空間収納に溜め続けた。魔法降天後、水路の整備がさらに進んだのは上から見れば一目瞭然。その間中、川の水を溜め続け、水位の変化が現れないようにした。


 空間収納を開け、その水を川に流し込めば、七年分の大洪水により、東ヘントセレナは沈む。


「ご命令さえいただければ、直ちに放水いたします」


 平和ボケした人間たちは気づかない。こちらが負ける理由など一つもないほど完璧に、戦争の準備が整っていることに。


 否。このままでは、ただの蹂躙だ。


「陛下。ご指示を」


 我が国民は総勢、二六六名。対する東ヘントセレナ国民は、今や、五百万を超えると聞く。


 単純計算で二万倍近くの差。いくら人間が我々の三分の一の能力しか持たないとしても、簡単には埋められない。それを七年かけて緻密に埋めてきた。


 それに、こちらは全員が軍であるのに対し、向こうは緑の騎士団のみが矢面に立つこととなる。何より、想いと覚悟、受けた恨みの大きさがまったく異なる。


 俺にかしずく二六六名の魔族たちに、ただ、やれ、と命じれば、東ヘントセレナは陥落する。


 だが――。


「そう焦るな。まだ首相からの返事が来ていない」


「陛下。お忘れになったのですか?三十年前のニーグ首相の返事を」


 ――水を分け与えることはできない。


 待ち望んでいた手紙の裏切りをきっかけに、我々は、崩壊した。


 気が狂うほどの水不足から諍い、殴り合いになり、間に入った父上が怪我をして。その血を見て、誰かが、「水だ」と言った。


 この場の全員が、その血をすすって生きている。尊い五名の命を、貪り食らって、恥も知らず、ここにいる。


「三十年前、我が命を黙殺し蜂起した結果、どうなったか知らない者がまさか、ここにいるのか?」


 ――三十年前、四百八十三人いた国民のうち、二百六十五人がヘントセレナへと侵攻し、二万の人間を道連れに、全員、死んだ。どれだけ道連れにしようと、死んでしまえば、終わりだ。


「あの蜂起がなければ、さらなる罪なき犠牲が出ていました」


「二百六十五と二万の犠牲が正しかったと?」


「二万は犠牲ではなく、戦果です」


 ――真に恐ろしいのは、俺以外の全員が、同じ方向を向いていること。二百六十六が揃って同じ方向を向くなど、普通はありえない。


 だが。この人数だからこそ、あり得てしまう。


 この中に、家族を失わなかった者はいない。


 この中に、罪なき者はいない。


 この中に、復讐を考えたことのない者は、いない。


 魔法降天後、子を生むことを禁止し、最後に生まれた子どもが先日、魔法を使えるようになった。


 我々は、全員が、軍隊だ。


 だから、俺だけがいつまでも反対しているわけにはいかない。


 今度失うことになるのは、水の魔国の民全員だ。国王だけの国など存在し得ない。


 ――時間切れだ。


「……ネイザー・バドサントが命じる。東ヘントセレナを、滅亡させろ」


 あらゆるものに目を瞑り、やれと命じる。


「はっ!」


 うおおおお!! と一斉に雄叫びを上げ、各自、持ち場へと移動する。


 大量の水が川へと注ぎ込まれ、ある者は地下を通り潜伏し、またある者は分流を堰き止めに向かう。


 俺自身も、父上の形見である大剣を背負い、ヘントセレナへと侵攻を開始する。


 否。今このときをもって、俺は死に、我として死にゆく王だけが残った。


 ――そのとき、


「早まるなよ、ネイザー。……って、もう遅かったか?」


 待ち望んでいた声を、三十年ぶりに聞くこととなった。

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