三 英雄
第45話 エピローグ1-3
〜ここまでのあらすじ〜
大怪我をしたレイノンに無理やり回復魔法をかけたことで重症を負ったルジは、ニーグの家で箜篌を弾き回復を試みる。
その後、メルワートと接触し、トーリとレイを実験体としてよい代わりに、命の石を二つに増やすよう依頼。一方、メルワートからは実験のための一時的な魔力提供を求められ、対価に金銭をもらう旨の魔力的拘束力のある魔法契約を結んだ。
明くる日、ようやく目を覚ましたレイは、雪を降らせるほどのルジの怒りを買ってしまう。図らずも計画を邪魔してしまったことが原因だと考え、リアに話しかける中で、自分たちを利用しようとしている可能性に気づく。
ジタリオから戦争を止めなければ借金を背負わせると脅しを受けるルジは、それで働かなくて済むならと渋々、承諾する。現首相の様子の確認、そしてムーテの「母を探すのに協力してほしい」という頼みのために、ラスピスのもとへと向かう。
しかし、そこで見たのは、ゴミ箱を漁り、ムーテに暴言を浴びせ暴力を振るう、ラスピスの姿だった。
ラスピスとは以前、彼女が八歳で戦争が起きたときに出会っており、その際、ルジは音楽で一時的に戦争を止めていた。
彼女はルジに憧れてフルートを吹き、魔族との共生を謳いながら首相の座に上り詰めたものの、ムーテの受けた天啓をきっかけにメルワートの投薬実験に協力することとなり、その副作用で精神を病んでしまったのだった。
***
「あはは、ははは。お母さんなら……殺したよ」
「え――」
やはり、そうだ。両手の血は、彼女が実の親を手にかけた証拠。投げられた剣の意味は、分からないが。
水がどんどん増してくる。浮力で足を取られそうになり、たまらず、私はレイの頭に乗る。
「どうして、諦めたんだ」
誰かを殺すということは、この世界を諦めたということ。足掻くことを諦め、死ぬ運命を受け入れたということだ。
「どうしてって……こんな状況なら、誰だって諦めるのが普通だよ。ただ、とーりすが、凄いだけ。おにーさんだって、諦めた目をしてるよ」
「嘘だ!だって――この国が沈んだら、バイオリンがなくなるんだぞ!?ムーテが諦めるわけがない!!」
瞳のリンゴが、音符へと変わる。黄色が揺らいで、何かを口にしかけたそのとき――ぴたりと、少女の表情が凍った。
「……殺さなきゃ」
「――危ないっ!」
レイが身をひねりトーリごと倒れて、ムーテに投げられた剣をかわす。水はムーテの膝の高さを超えてもなお増え続け、レイたちの顔は水に沈む。呼吸の必要のない私は額でレイの頭をぐいと水面上へ押し上げる。
「ぷはっ!トーリ、逃げて!」
それでも白髪の少年は、自分と同じ背丈の少年を背負う。水が膝に達しており、歩くことすら困難だ。
「でも、ムーテが……」
飛んでくる剣を見切り、トーリはかわし続ける。魔族の反射神経なら避けられるのだろうが、水に足元を取られる可能性もある。
「――僕を守ってよ、トーリ。このままじゃ、死んじゃうよ」
卑怯な言い方だった。普段のレイならこんなことは言わないから、本心でないと、すぐに分かった。
けれど、こんな言い方をされては、レイを背負うトーリは、逃げるしかなくなる。
みるみる水は増していき、泳ぐしかなくなる頃に、私もその上に乗る。私たちを、桃髪の少女が追ってくることはしなかった。
「トーリ……。トーリは、どうしてそんなに、強いのさ」
泳ぐ少年は、答えない。ただ必死に、流れに抗い、泳ぎ続けていた。
――あの人に、この国のすべてを、救ってもらうために。
「……ルジ。ルジ!トーリを助けて!いたら返事してよ!ねえ、ルジ!!」
ただ背負われるだけの少年にできるのは、叫ぶことだけだった。
濁流の中をさまよい続けて、やっと、少し休憩できる場所を見つけた。そこは、旧知の仲である老人の家の屋根だった。
「チリチリ……」
巨大サソリが屋根の上に避難していたため、ひとまず、その上で休むことに。
「はあ、はあ……。ニーグさん、まさかまだ、この中に」
「トーリ。考えちゃダメだ」
結果はもう、見えているようなもの。一階建ての建物がまるまる沈むほどの水量。地下に都市を広げていったこの国は、滅亡する。
いや。今は、魔法がある。であればまだ希望はある。希望が少しでもあれば、優しいトーリは老人を見捨てる選択ができない。
だからこそ、レイが告げる。
「チリリン、ルジのところへ行ってくれるかな」
「レイ……。でも、まだ中に」
「……チリ!」
覚悟を決めた様子のチリリンは、私たちを背中に乗せたまま、水の中を移動する。彼女には、あの人の居場所が分かるらしい。
水かさは彼女が浮くには足りず、そのまま歩くには多すぎる。けれど、ほとんど水に沈んだような状態で、彼女は走ってくれた。
だから、すぐにその姿は見つかった。
「ルジ……!ルジ、助けてくれ!ルジ!」
少年が叫ぶ頃、巨大サソリは漂うだけとなっていた。
サソリの呼吸する場所は腹の側にある。
ただ浸かるだけならまだしも、その状態で全力で水の中を走るとなると、持たなかったのだろう。
「チリリン、ごめんね――」
黒髪の少年が白髪の少年も引きずってサソリから降りると、力なくぷかぷかと漂い、サソリは流されていった。
「ルジ――」
と、黒髪の少年が、何度目かのその名前を呼ぼうとして――白髪の少年がその頭を守るように覆いかぶさる。直後、風を切る低い音がして、目の前の水が、割れた。
水の消えた地面に吸い込まれるように落とされた私たちは何が起こったのか、一瞬、分からなかった。まだ痛みで歩くことのできないはずの少年が両足で立ててしまうくらいには、呆然としていた。
――マズいわねっ。このままじゃ、戻る水の流れにのみこまれる。
「ラウ!」
瞬間、国を沈めるほどの水が、一気に持ち上げられる。その水は空高く昇っていき、湿った地面だけが残った。
「トーリ……?血が出てる……大丈夫!?」
トーリの尖った形の耳が吹き飛んでいた。出血する耳を、黒髪の少年は慌てて手で押さえる。止血を目的とした圧迫ではなく、無闇に止めたいと思うが故の接触だ。
「っ……大、丈夫だ……。それより――」
「オラアアア!!」
「だぁあああ!!」
水が引くや否や、魔法と剣による戦闘が始まる。
たった十人の魔族と、百人を超える騎士団が同等に戦っていた。
「わあ……すごいね。みんな本気だ」
「レイ!いい加減にし……あぶないっ!」
先ほどの水を割った太刀の風圧が、再び、地面をえぐり、すぐ近くの地面が割れる。
音で誰よりも早くそれを察した白髪の少年は咄嗟に、黒髪の少年を庇う。
どさっと、何かが落ちてくる。
「……トーリ?」
黒髪の少年の足元に転がっている真っ白なはたき。はたきにしては持ち手部分が見当たらない。
少年が、屈んでそのはたきを持ち上げようとするが、ぬるっと滑らせて落としてしまう。手のひらは赤く染まり、白い物体はころんと転がり裏返る。
見開かれた赤い目と、だらしなく開かれた口。その下、首から続くはずの胴体が、なかった。
――否、ぐちゃぐちゃに潰されて、元に組み立てることすら難しくなっていた。
「う……おええぇっ!」
何も映さないトーリと目が合ったレイが、胃の中身をぶちまける――。
『というのが、私が見た未来よ。お分かり?』
『うーん、グロいなあ。それは多分、東ヘントセレナだね。とりあえず、西に滞在すれば防げそうだ』
その未来を告げた、七年前に貴方はそう言ったけれど。やはり、運命の強制力かしら。
「ねえ、ここはどこ?」
「東ヘントセレナを出てすぐのところにある、ラスピス山だね」
「そんなことは知ってるのよ」
「悪いとは思ってるよ。でも、なんとかするから」
肩に飛び乗り、尻尾でぺちぺちと背中を叩く。痛くないことくらいは知っているけれど。
「着実にその日に近づいてるわよ。命の石なんて、捨てればいいのに」
「そういうわけにもいかないよ。千年越しの運で手に入れたんだから」
だとしたら、千年で一番、運が悪かったとしか言いようがない。
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