第43話 メルワートとの交渉

 車を運ぶ代わりに、道中でメルワートから、ラスピスの精神は実験の副作用で破壊されたという話を聞いた。


 嘘がつけないよう、車を囮にして脅したので、故意にやったわけではない、という部分については本当なのだろう。


「車はどこに置いたらいい?」


「ここっちゃ。そーっと、優しく――」


 メルワートが地面の一箇所を指差すと、車の上にいたリアがするりと俺の肩に飛び乗ってくる。


「えいっ」


「ぬぉおお!?!?」


 担いでいた自動車を雑におろして、リアのいない方の肩を回す。


「あー、疲れた疲れた」


「わその車ちゃんになんてことを!?」


「ここまで丁寧に運んでやっただろ。感謝しろ」


 リアが上に乗っていたから、だけど。


「ぬおおおん!」


「車より客人を優先しろよ。早く座らせろ」


 そのとき、運転席の後ろに座っていた少女が空色の目をこすりながら降りてくる。雑におろした振動で目が覚めたらしい。ずり落ちていた眼鏡を直し、顔にかかる銀髪を耳にかける。


「メルワート様、何をそんなにギャースカ騒いでいるんですか……?」


「はみらすぅ。車ちゃんのエンジンが壊れてしまったのん。ぐすっ」


「へー。そちらの方がルジ様でお間違いないでしょうか」


「反応が薄いのじゃっ!?」


「お待たせいたしました。どうぞ、こちらへ。ほら、メルワート様、行きますよ」


「わその車ちゃんがぁ……」


 首根っこを掴まれて引きずられていくメルワートを見、俺はリアと顔を見合わせた。


 地下へと続く入口には、孤児院と記載されている。今は子どもたちは寝静まっているようで、中は静かだ。その奥に併設された研究所へと通される。


「こちらです。どうぞ」


 銀髪の少女が扉を開けて、中へと誘う。俺は肩の上で丸くなるリアの背を撫でる。


「リア、動くなよ」


「ラウ」


 ――一歩、足を踏み入れるなり、扉が閉まる。


 そして、刃物の雨が降ってきた。見るまでもなく、かわす必要はないと判断。その場に立ち尽くして対応する。


 大きさの不揃いな刃物と刃物が計算されてぶつかり合うため、四方から飛んでくるが、当たりそうで、当たらない。


 が、その中に一丁、リアに背後から向かう物があったため、人差し指と中指で挟み、捻じ曲げて放り捨てる。


「手厚い歓待、恐悦至極だ。メルワート。車を丁寧に運んでやったのに、随分なもてなしだな。帰り際にぶち壊すぞ?」


「ひぇえぇえ……!やめちやめち!悪かったっち!ただ、あまりにも魔力が弱々しかったのでのう。本人確認っちゃ」


「まあ、俺を騙る輩なんて死んだところで一向に構わないが。計算の誤りは修正した方がいいな」


 床に転がる捻じ曲がった刃物に目をやると、ハミラスがそれを拾って、うぎぎーっともとに戻そうとしていた。びくともしないので、きっと人間からすれば固いのだろう。


 その奥では、木組みの装置が自動で紅茶の用意をしており、ポッドに入った茶葉やカップが流れてきていた。


「計算は誤ってなどおらにゅ。そのくらい本物のルジ様なら対処できて当然っちば」


「リアを故意に刺そうとしたってことだな。次に同じことをしたらお前の目をそこのラスピスイーターに食わせるぞ」


「ご勘弁をおお!もう二度としないっちゃ!」


 宙に腰を下ろせば椅子の方からやってきて、足を離せば机まで運んでくれる。


 分厚い強化ガラスの筒の中には、ラスピスイーターを模した魔法兵器――レイの言葉を借りるならピスパクたちが狭苦しそうに舞っていた。メルワートの赤い目に反応して牙を見せるが、傷一つつけられない様子だ。


 この建物自体にもなるほど確かに、容易に手出しができないよう多重に魔法がかけられている。少なくとも、水没の心配はなさそうだ。


 自動で用意された紅茶には手をつけず、入ってきた扉の方をちらっとだけ見てから、切り出す。


「この孤児院は、人体実験用に運営してるのか?ああ、あと印象操作のためでもあるか」


「ふぉふぉー!さすがルジ様。よく分かっておいでじゃ!」


「お前は本当に、隠すってことをしないんだな」


「相手がルジ様じゃからにょー。隠す理由がないばる。――わそは、犠牲を無駄にはせぬ。いずれは世界から戦争をなくす」


「そのためなら、戦争を起こすことも厭わない、か。相変わらず、矛盾してるな」


 メルワートが紅茶を飲みながら、にやりと笑う。


「今回はただ、ラスピスとの約束に従ったまでっち」


 ――よそ見をしそうになったら、無理やりにでも引き戻してほしい。


 ムーテが生まれ、一度この国を手放そうとしたラスピスから、俺への執着心を忘れさせなかった。八歳の子どもの瞬間的な憧れなんて、俺の音楽を聞くことのなかった三十年の間に十分、忘れられただろうに。


「約束を果たす相手を失ったら意味ないだろ」


「おかげで貴重なデータが取れたっぴ。犠牲は無駄にはせぬ」


 ――それは、わざとではないにしろ、精神が壊れる可能性があると、知っていたということ。


 そもそも、約束を守るために、というのが、どうにも嘘くさい。それなら、に頼まれたと言われた方がまだ信じられる。が、盗聴されている可能性もあるので、ここでは言及しない。


「相変わらずイカれてんな」


「のしっし。ニーグとは違ってわそは手段を選ばぬ。故に、様々なことを成し遂げてきた。――して、そんなイカれた科学者に何用ちょ?」


 俺は椅子に命じて、ピスパクが入った強化ガラスの前まで座ったまま移動し、その表面をこんこんと、軽く叩いてみる。かなり硬そうだ。だが、


「硬い物質ほど脆い。先の尖った物質を突き立ててそこに衝撃を加えれば、こんなのすぐに割れる」


 まあ、素手でも壊せると思うが。


「ふぁっふぁっふぁっ。その通りにっち!さすが、ルジ様はなんでも知っているわねぇん」


 それでも余裕が崩れないということは恐らく、ガラスの上に最新の魔法技術で何層かの壁を作っており、対策をしてあるということだろう。


「俺が来たんだからもう十分だろ。施設ごと壊されたくなければ、戦争を止めろ」


「ふぉふぉっ。もう無理じゃよ。それに研究所なんて立て直せばいいさね。わそが死んでも知識を引き継ぐものが現れる。ハミラスのようにの」


「メルワート様――。それがどれだけ大変だと思ってるんですか。もうちょっと上手く交渉してくださいよ!」


 銀縁眼鏡の奥の空色の瞳が、俺を見てびくっと震える。俺を恐れている、普通の人間だ。メルワートに気に入られている、という部分を除けば。


「だいじょーぶだいじょーぶ。そも、ルジ様の目的はなんっちゃ?本気で戦争を止めるつもりにゃあら、とっくにここを壊しておるっじけい」


 その通りだ。それに、ここでピスパクを滅ぼしても解決したことにはならない。魔族たちはもう止まらないだろうし、ラスピスの精神が壊れている以上、同盟を結ぶ方法もない。


 そも、ここを今壊したら、俺の目的が達成できなくなる。壊すにしても、その後だ。


「今、子どもを二匹預かっていてな」


「ほう――。それで、孤児院に寄付してくれるのかし?」


「子どもをカネ扱いか」


「そちらも動物扱いじゃろうて。それに、未来があるというのは、それだけで大きな資産っしゅ」


 違いない。そこに、付加価値というやつが加われば、さらにいい。


「双子だ。――魔族と人間の間の、な」


「なっ……!?」


 俺の取引に、メルワートが食いついた。予想通りだ。

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