第42話 フルート-5

 ――メルワートの手を取ってから約二十年。魔法降天により、八歳以上の人類は皆、魔法が使えるようになった。世界は大混乱に包まれ、各地で戦争が起きた。


 とはいえ、もともとメルワートの科学により魔法が使えていた我が国では、大きな混乱は見られなかった。


 だが、メルワートの道具に頼らずとも、魔法という圧倒的な力が使えるようになったことで、人類は音楽を、あっさりと捨てた。


 一日中、フルートを吹いている人なんて、魔法社会にはほぼ存在しない。お金にならない音楽は続ける価値がない。多くの人間がそう判断したのだろう。


 まあ、もとより、ルジ以外の音楽を信じていなかった私は、音楽に頼らず首相になるつもりで動いてきたので問題はない。


 私のフルートごときで、戦争を止める?――冗談じゃない。


 フルートなんて、ただの楽器で、できるのは音を出すことだけ。それも、言葉のない音の羅列だ。


「約束の三十年まであと七年になったね」


「そうさのう――」


 今、私の腕の中には小さな命があった。この二十三年、戦争は起きていない。


「メルワートは、この日々が続いてくれると思う?」


「無理じゃよ。魔族たちが恨みを募らせ仕掛けてくるとすれば、おそらく、ちょうど七、八年後っける」


「つまり、魔法降天後の今、子を授かることを禁止して、一番幼い子も含めて全員魔法が使えるようになった段階で仕掛けてくるってことね」


「うむ。それしかなかろうて」


 そしたらきっと、ルジにまた、会える。


 けれどそれは、自分たちでは何もせず、ルジに頼り、戦争が起こることを許容しているのと同義だ。


 ――なんと、愚かな思考なのだろう。


 腕の中の幼子が、黄色の瞳の真ん中に音符を浮かべて、じっと私の顔を見てくる。


 せめて、この子だけでも危機に晒されることのないようにしなくては。大きな力を得て、この子を社会に守ってもらう。それ以外の道を、私は知らない。


 けれど。もし、今ここから逃げ出せば――。


 私と娘と夫と、三人だけでも、平和に暮らしていけるのではないか。時折、フルートを吹きながら。魔族に滅ぼされるであろう祖国を想いながら。


 ――馬鹿らしい。私は戦争を止めるために、ここまでやってきたのだから。自分たちだけ助かろうなんて、考えてはならない。


「ところで、ラスピスや。実験に協力してはもらえぬっぱ?」


「ええ、またあ……?」


「いいっちゃろ。ゆくゆくは、戦争をなくすことに繋がる道じゃっけ」


 ここ最近、メルワートがお金の代わりに実験への協力を求めてくるようになった。


 何をされているか分からないような実験には正直、協力したくないが、今のところ、体に異常もないため付き合っている。


「ムーテに影響が出そうだから嫌なんだけど……賃金での支払いにしてくれない?」


「――のう、ラスピス」


「何、改まって」


「ルジ様に会うには、戦争を起こさねばならぬっちゃ。最初から、分かっておったことぞよ」


 戦争を起こさねばルジには会えない。


 戦争をなくすために、魔族と和平を結びたい。


 どうしても、ルジの演奏がまた、聴きたい。


 でも、戦争は、もう嫌だ。今は、守りたいものもある。


 ――そもそも、戦争を止めるために、ルジに会いたかったのに。


 目標を見失ってはいけない。それだけは、最初から決めている。戦争を止めることじゃない。



 私の目標は二十三年前からずっと、ルジをここに呼ぶことだけだ。



「戦争を止めつつ、ルジ様を呼べる方法があるとしたら、どうするかえ?」


 そんな私の表情を読んだように、メルワートが、目の前に甘い糸を垂らした。


 ルジは音楽で戦争を止める旅をしていて、魔法降天によって世界が大混乱に包まれてからは、きっと色んなところで戦争を鎮めている。


 戦争の起こらないこんな場所に再び来るとは、思えない。


「どうするの?」


「魔族を人間に変えるのば。ラスピスに協力してもらいちゃーのは、その実験だぱち」


「魔族を、人間に――」


 不可能だと、普通なら思うだろう。けれど、彼女は魔法が原初の人類にのみ与えられていた時代に、魔法を科学で発明した天才だ。


「この世界の戦争の原因は、魔族と人間がいることっち。じゃから、世界中の魔族を人間に変えてしまえば、戦争はもう起こらぬじゃろうて」


「世界中から戦争がなくなれば、ルジ様も、戦争を止める必要がなくなる。そうすれば、気ままが向いて、ここに来てくれるかもしれない……!」


「だーあ」


 細い糸を掴もうとする私を、腕の中の黄色の瞳が、見つめる。


「ムーテが大きくなる頃には、戦争のない世の中になっているといいにょ」


 ――だから私は、その糸を握りしめ、メルワートの実験に協力した。実験の間は、私のフルートを誰よりも買ってくれていたニーガステルタ前大統領にムーテを預けた。


 昔は、頼れる人なんていないと思っていたけれど、頼り方というのを覚えてからは少し、楽になった。


 彼の方から預かってもいいと言ってくれたのでそれに甘える形になった。ムーテも、とてもよく懐いていて、本当の孫のように可愛がられていた。


 正直、とても助かった。私には、子どもとの接し方なんてまったく分からなかったから。何か企んでいるのではと思うこともあったが、それは杞憂だった。


「メルワートは、目的のためなら手段を選ばぬ女じゃ。少しでも異常を感じたら、逃げるのじゃぞ」


「分かっております。ニーガステルタ様」


 その後も、時たま実験に協力していたが、特に異常は見られなかった。


 ――事態が動いたのは、ムーテが三歳になった頃。


「お母さん。わたし、バイオリンを作らなきゃ」


「ばいおりん……って何?」


「天啓が降りてきたの。神様がわたしに、バイオリンという楽器を作りなさいって」


 もともと、大人びたところのある子だったが、その日、はっきりと、天啓という言葉を口にしたのだ。


 以来、木を切り出す作業に没頭するムーテを見て、心配になった。稀に神からの天啓を受ける人がいるのは私でも知っていたが、あまりにも、取り憑かれたようにのめり込んでいたのだ。


 三歳の子どもと言えば、外で走り回ったり、遊び歌を歌ったり、お喋りをしたり。そういうのが普通だと思っていた私には、どうしても、それを静観していることができなかった。


 木を見つめ、そのための変な道具を作り出し、ずっと木を切り続けるムーテが、まったく理解できなかった。


 ――加えて、その少し前。夫のニアルが誰かに殺された。


 私は戦争反対を一貫して主張し続け、世論もいよいよ、魔族を受け入れる方向に動き始めていた。ニアルの死は恐らく戦争推進派の人間の手によるものだろう。


 首相になるためには大事な時期であるにも関わらず、夫は殺され、娘は異常行動を続ける。


「もう、どうしたらいいか……」


「ラスピスも親の顔をするようになったかち。感慨深いひょ〜」


「……親の顔なんてしてたら、ルジ様には会えない」


 私がちゃんと、正解を答えられたことを、メルワートの笑顔で察する。


「分かっておるならよい。それと、心配なら一度、ムーテをわそのところで調べてみぬっちゃ?脳のデータなら世界一、持っておる自信があるしゅ」


「うーん、そうね。でも、変なことはしないで」


「任せろけろけろ!代わりと言ってはなんじゃが――」


「分かった。実験に協力すればいいんでしょう」



 思えばこのとき、メルワートを信頼するべきではなかったのだ。最初から私と彼女の関係はただの、利害だったのだから。



 ――ムーテの脳に、重大な異常があると、メルワートが言い出した。それを信じないこともできたが、無視できるほど、私は強くなかった。


「明らかな異常があったのでの、治療を施しておいたぞよ」


「はぁ!?変なことはしないでと言ったでしょう!?」


「治療じゃよ。変なことはしておらぬ。しばらく入院が必要になるゆえ、退院の際にはこちらから声をかけよう」


「……ムーテに、会わせて」


「そなたも、あまりまともな精神状態ではのしし。色々あって疲れておるのじゃろう。しばらく、一緒にいない方がよい」


「何それ……っ。もう、あなたとの契約は終わりにする」


「そうかに。残念に」


 ムーテを調べる代わりに実験の注射を受けてから、全身が引き裂かれるように痛むようになった。


 体調不良からか、ちょっとしたことで苛立ちが止まらず、何もしていないのに汗が止まらない。


「メルワート……私を、殺すつもりなの?」


「実験と言っておるじゃろうて。結果はやってみなければ分からんぬ」


 その後、メルワートは、ムーテを治すためなどと言って、私を何度も何度も何度も何度も、実験体にした。


 選挙では、なんとか、体調不良を押して首相の座を勝ち取った。


 けれど、実験は一年ほど続き、まともに思考し、動くことのできる日があまりにも、少なくなっていた。恐らく、失敗したのだろう。


「のう、ラスピス。戦争を起こせば、ルジ様に会えるのる。実験資金をもう少し、増やしてはもらえぬかる?」


「ラスピス様。どうされますか」


 私の目標は、ルジの音楽を聞くこと……のはずだ。


「ああ……そうして」


 ようやく、ムーテの元気な姿を見ることができた。


 けれど、そのときにはもう、ムーテと関わることのできる時間が、あまりにも少なくなっていた。


 何より、精神状態が安定せず、幻覚と幻聴に苛まれ、夜も悪夢で眠ることができなくなっていた。


「殺さないで……!死にたくない!!」


 騎士団にムーテを預け、立ち居振る舞いを始めとする一通りのことを覚えさせた。私がいつ、いなくなってもいいように。教えたいことのすべてを詰め込むようにして与えた。


 いや。そういう建前で、ムーテを避けていたのかもしれない。


 まあ、もうどうでもいいけど……。


「何があっても、目標は変えぬと、約束したからの。まさか、この注射で精神がやられるとは思っていなかったが……まあよい。わそは、ルジ様をここへ呼ぶために、戦争を起こそう。約束は果たすぞよ」


 私の過ちは、恋をして、子どもを産んだこと。変えられない目標があるなら、大切なものを他に作ってはならなかったのだ。

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