第41話 フルート-4

 ルジと名乗る男の演奏を聞いて、双方の代表が手を取り合って――それで、戦争は終わったのだと思った。


 母は西地区代表でありながら、大統領ではなかった。もし、母が代表であったなら、手を取ることはしなかっただろう。


 ――家に帰り、その母が出張で不在であることを思い出す。


「はあ、すごかった……」


 私も、あの人みたいに、奏でてみたい。


 そう思って、その日はフルートを夜通し吹き続けた。今なら、お母さんに言い返す勇気さえあると思った。


 ――けれど。


 それ以来、お母さんが家に返ってくることはなかった。


 そして、戦争が終わることも、なかった。



 各地の代表が一箇所に集まっていることを、魔族たちは知っていたのだ。


 戦争を始めることを決めていながら一箇所に集まるなんて愚かな奴らだと、味方であるはずの人間たちが、そう口にした。


 その建物は、魔法ではない別の力――科学の力によって、吹き飛ばされた。


 魔法を捨てても、武器を捨てたわけではなかった。魔法なんかによらずとも、人類は爆弾くらい、簡単に作れるようになっていた。


 我らがニーガステルタ大統領も、一時は、戦争を止めるよう勧告したが、共和国民たちの声が大きく、止めきれなかった。


 だって、戦争が終わるということは、私のお母さんの敵を討つことができなくなるということだから。


 それなのに、お母さんはもういないんだと、ほっとした自分が、嫌いになった。


 けれど――あの音楽によって、あの音楽のせいで、戦争がもっと、嫌になった。平和が恋しくなった。また、あのネコに会いたくなった。


「私は音楽で、このフルートで、世界を平和にする。赤を、守る」


 そう宣言したから。母を殺した相手が憎くとも。爆弾や魔法を作り出したこの世界の科学を恨んだとしても。


 私は世界の赤を、これ以上、無駄にしたくない。


 ――ずっと家にいれば、知らない怖い人が入ってきて、何かされるかもしれない。


 だから、フルートとお金と、日持ちする食べ物だけを持って、私はとうに家を捨てていた。


 戦争孤児の集まる場所があると風の噂で聞いた。だが、そこではフルートが吹けなくなると考えた。


 家には困らないだけのお金があったが、お金なんて今や紙切れにも等しいものだった。


 けれど、持てる分だけ、持ち歩いていた。貧しい身なりをして、全身を汚していれば、誰も大金を持っているなんて思わない。


 行く宛もなくて、しばらく、ラスピス山に隠れ住んでいた。


 一度だけ、家の様子を見に行ったことがあった。そのときすでに、家の調度品はほぼ全て、割られるか、盗られるかして、なくなってしまっていた。


 本当に赤を減らすには、音楽だけではダメなのだ。音楽によってみんなが、戦争は嫌だと思ったとして、それだけでは戦争は止まらない。


「どうにかして、西地区の組織に潜り込めないかな――」


 お母さんがいた、あの場所に。


 私が八歳の子どもだとはいえ、中身なんて、誰も見ちゃいない。母が連れてくる大人の中には、見た目だけがご立派で、私よりも幼く見える人だってたくさんいた。


 だからせめて、この見た目さえ、大人になってくれれば。


 今や、組織は機能不全に陥っている。だからこそ、できるだけ早く、大人になりたい――。


 そんなことを願いながら、赤くて透明な川の水を飲み、木の実を貪るように食べ、モンスターたちから逃げ、空腹に耐える日が続いた。


 それでも、フルートは吹き続けた。――すると、動物たちが集まってくるようになった。わたしには、動物を操る力があったのだと、そのとき気づいた。


「音楽じゃお腹はいっぱいにならない」


 だからわたしは、その動物たちを――。


 何度もフルートを捨てようとして。何度も、思い留まった。毎日どこかで爆発音と誰かの嘆きが聞こえて、その度に、フルートを持つ手が震えた。


 生き抜くために、どんなことでもした。手段は選ばなかった。盗みもしたし、騙しもした。山賊に襲われかけて、フルートを血で赤く染めた日もあった。


 わたしは決して、善人ではない。ただの人だ。


 けれど、だからこそ、こんな戦争を早く終わらせたいと願い続けて、フルートだけは手放さなかった。


 そんなある日。


「ふぉっふぉっふぉっ、実に、興味深い!」


 わたしがフルートを吹いていると、白い変な格好のお姉さんが話しかけてきた。お姉さんは肌も髪もツヤツヤで、服もきれいで、甘いいい匂いがした。


 そして何より、瞳がきれいな、大好きな、赤色をしていた。


「そなた、なにゆえフルートなど吹いておるのじゃ?まだ戦時じゃとゆーにゆに」


「……わたしは、フルートで戦争を止める」


「なるほどなるほど?お主もルジ様に魅せられた一人というわけじゃぬぁ」


 ルジという名前に体が反応し、震える。頭の中がルジで埋め尽くされていく。恐ろしいほどにあの人のことしか考えられない。ルジ、ルジ、ルジ、ルジ――。


「ル、ルジ様を、知ってるのっ!?」


「よーく知っておるえ」


「会わせて!」


 戦争を止められるのは、ルジ様しかいない。


 あの音楽をもう一度、聴きたい。あの音楽がここにないだけで、気が狂いそうになる。


「ふむ。ルジ様は気ままな旅人じゃからのう。どこかに留めておくということはできぬ、いや、してはならぬぽよ」


「何年あれば、その気ままが、またヘントセレナに向く?」


「お主――恐ろしいことを考えるのう。これはこれは……面白い!」


 ルジにもう一度会うためなら。手段は選ばない。わたしはただの人だ。善人ではない。


 お腹が空けば奪ってでも食らう。


 命が危機にさらされればフルートで相手を殴る。


 戦争が終わらないなら――ルジを誘い出す。


「気ままは気ままじゃからのう。何年ということはなかろうて」


「三十年後にする。三十年後に、ここにルジを呼ぶ。――ここが音楽の都になったら、ルジも来てくれるかな」


「ほうほう、それはよいかもしれぬ。じゃが、目先の戦争はどうするつもりかえ?」


 今の戦争を生き延びて、三十年後にわたしがここにいられるためには。


「――わたしはラスピス。あなた、名前は?」


「メルワートじゃ」


 メルワート――その名を知らぬ者は、この国にはいない。


 彼女こそ、魔法の行使を可能にする法衣を生み出し、爆弾を作成した、世界一の天才科学者だ。


「じゃあメルワート。あなたを雇わせて」


「雇う、とな?小さい体で大きなお口をしておるのう」


「あなた、戦争は、好き?」


「いいや。止めたいと、心から思うておる」


 その言葉に嘘はないように見えた。


「わたし、西地区代表の娘なの。情報とこれなら、持ってる」


 袖口に隠していた札束を差し出すと、メルワートの目の色が変わった。


「ふぉふぉー!お金じゃ!たんまりじゃあ!」


「もし雇われてくれるなら、もっとたくさん出せるようになるよ。あなたの科学の力を借りることになるけど」


「ふふふふふ……して、科学の力を借りる、とは?」


「まずは、わたしを大人の姿にして。三十年後に西地区代表になって、首相になるために」


「大きく出たのー!面白そうじゃ!乗った!」


 それが、メルワートとの出会いだった。札束に飛びつく彼女をかわして、ひらひらさせる。


「これが欲しいなら、正直に答えて。詳しい仕組みはよく知らないけど、魔族にも魔法が使えるってことは、メルワート。あなた、魔族と内通しているんでしょう?」


「そうっぴ」


「――代表たちの会合について情報を漏らしたのも、あなたね」


「そうっぴ。今の代表たちはわその研究を勝手に、戦争のために利用しおったからのう」


「それなら、あなたを売ったほうが早く出世できるかも」


「やめっち!?」


 使い道は、ある。何も持たないわたしが今、一番欲しい、「信頼のある大人の顔」が、ここにある。


「それから、大切なお願いがあるの」


「なんっちば?」


「もし、私がよそ見をしそうになったら。そのときは、無理やりにでも、引き戻して」


「わそは構わぬが……よいのかし?」


「途中まで進んだ道を引き返す余裕は、人間であるわたしにはないの。道はいくつあってもいいけど、目標は一点じゃないと、何も実現できないから」


「――分かったのちゅ」


 それから、わたしはメルワートに育てられた。

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