第36話 お母さんを探して

 ――目的地に近づくに連れて、トーリの様子がおかしくなる。赤い目に続いて魔族の象徴である尖った耳は頭巾に隠れているが、きっと顔色まで悪いのだろう。


 また何か見えたのだろうかとも思ったが、どんどん具合が悪くなるのを見る限り、どうも、聞こえる、の方みたいだ。


「こちらです」


「なんだ、ここ……」


「わたしの家」


「ここが?……本当にか」


 ムーテが一晩戻らなかった家――ラスピスのいるところだそうだ。不思議と、俺たちに見つけられてからは、大人しくついてきたが。他方のトーリには何が聞こえたのか、強い恐れを感じる。


 他と同じように地下に掘られた目立つ要素のない家。ムーテは頭巾を被っているから、近隣にも素性を隠しているのだろう。


 戦争を止めようと思うなら、どんな状態出会っても、現首相には会っておかなかればならないだろう。


「防音になってるはずだけど、何か聞こえちゃった?」


 トーリは先ほどからずっと、俯いている。完全な防音でなければ、トーリには聞こえてしまう。


 音が振動であり空気を伝っている以上、距離的な問題は風に流されるなどして聞こえづらいこともあるだろう。他方、距離さえ近ければ小さい音でも恐らくは、聞こえる。


 ちなみに、魔力を伝う音がないわけではないが、このあたりは魔力密度がそう高いわけでもないので、無視できる程度だろう。


「とーりすにはちょっと、刺激が強いかも。外で待ってたほうが……」


「大丈夫だ。行こう」


「――わ」


 顔を上げ、ムーテの手を引き、トーリは階段を降りていく。


 その背中がやけに大きく見えて、レイと同じ、いやに恐ろしいもののように感じてしまった。


 ドアノブに手をかけて、トーリがわずかに動きを止める。


「鍵は?」


「かけてないよ。音で、閉じ込められたーって、騒ぐから。あと、ノックもしちゃダメ。包丁が飛んでくるから。電気もつけないで。目が潰れるって騒ぐから。……とにかく、わたしについてくるだけにして」


 それを聞いただけで、察するに余りある状況だということは、分かる。


 瞳のりんごが揺らいでいるように見えた。けれど、迷いは一瞬。まばたきの後には消えている。


「ああぁあああまずいまずいまずいまずいまずいまずい――」


 扉を開けた瞬間、声が飛び込んできて足が止まる。


「ただいま、お母さん」


 が、普段通りの調子で、頭巾を取り、ムーテは静かに歩いていく。ぴたりと声が止み、代わりにガサゴソと音がする。それよりも際立つのは――異臭だ。えずくほどの異臭に耐え、忍び足でついていく。


 その先で見たものは――赤い毛玉だった。


 否、ボサボサの赤毛を伸ばしっぱなしにして、ゴミ箱を漁り、ゴミを食べる、ラスピスの姿だった。


「お前……今までどこにいた……?」


「山」


「私を殺す気かああ!!!!殺す気なんだな!!死ね!!お前が死ね!!死ね、死ね、死ね!!!!」


「みんな、上手に避けてね」


 叫びながらゴミ箱の中身を手当たり次第に投げつけてくる。ムーテはそれを華麗にかわし、俺たちもなんとか避ける。最後に空のゴミ箱が飛んできて、ムーテが受け止める。


「もう、こんなに散らかして。冷蔵庫にご飯、まだ残ってたでしょ?」


 平然と冷蔵庫の中を確認するムーテに、俺の心と体は、ついていかない。冷蔵庫の光魔法も切ってあるらしいというのは、かろうじて分かった。


「ありゃ、全部食べちゃったの?元気でよろしい」


「お前の、作った、毒のせいで!死ぬ!ああ死ぬ!ああぁああぁあ……!!おえ、おええ!!」


 手を口の中に突っ込み、無理やり吐き出す。嘔吐物を見てムーテは、


「固形物がまだ残ってるってことは、最後に食べてから一日経ってない。つまり、一気食いせず我慢できたんだね。お母さん、えらーい」


「そんなことより、ベルスナーキーはどうした?あれで私は不老不死になれる……不死!死なない!お前に殺されても死なない!ヒャハハハ!残念だったなあ!!!!」


 ぴくっと、ムーテの頰がわずかに動く。


「ベルスナーキーね。どこにもなかったの」


「はあ……?」


「仕方ないでしょ。動物さんたち、みんな知らないって言うんだもん。そもそも、不老不死になれる花なんて、この世にあるわけ――」


「ギヤアアアア!?!?殺される!不死になれず、死ぬ!死ぬ死ぬ死ぬ!嫌だ!嫌だ嫌イヤイヤイヤアアァァ……。死ぬのヤダアァァ……」


 ムーテはそう叫ぶ母親をぎゅっと抱きしめて、その地肌の見えた頭を撫でる。


「よしよし。大丈夫大丈、痛っ」


 ぼこぼこと、ムーテが手加減なしに叩かれる。けれど、抵抗しようとは、しない。


「触るな!近づくな!この、人殺し!悪魔!お前が悪い!全部、お前のせいだ!お前を生んだせいだ!死ね!お前さえいなければ、いな、いななけれればあぁ……!あああああ!!!!」


 俺は、目の前の光景と、記憶にあるラスピスが繋がらなくて、まだ、受け入れられずに――動けずにいた。ジタリオは正気さえ保っているものの顔面蒼白だった。


 ――そんな、情けない俺たちの代わりに、振り下ろされるラスピスの拳を、トーリが受け止めた。


「なんだきさまああああ!!ゲホッ、ゴホゴホッ、ガハッ!」


 トーリに拳を受け止められ、急に苦しみ出したラスピスの背を、ムーテが擦る。


「ゆっくり吸って、吐いて――大丈夫大丈夫」


 その大丈夫は、自分に向けて言っているようにも聞こえた。


「ガア……ゼエ、ゼエ……」


 そのまま、倒れるようにして、ラスピスは眠った。


「わたしが帰ってくるのを待ってたみたい。ごめんね、もう少し、落ち着いてるときもあるんだけど」


「いや、ムーテが謝ることじゃ――」


 俺には、そんな言葉が精一杯だった。


「なあ。この雑巾、使っていいか?」


「あ、うん……」


 呆気にとられていると、トーリがゴミ箱の中身を元に戻し、嘔吐物を片付け始める。


「オレが片付けておく。ムーテはママのお世話をしててくれ」


 りんごが回りもせず、固まる。


「どうして」


「何が?」


 なんとも思っていないように、トーリがテキパキ動いていく。


「……ちょっと、お風呂に入れてくるね。お母さん寝てるから、電気つけていいよ。それと、ジタリオ。これ、わたしの部屋の鍵。落ち着くまでそこで待ってて」


「申し訳、ございません……」


「気にすることじゃないよ。るじは、もう平気?」


 ジタリオはぐったりとした様子で、ムーテの部屋に入っていった。


「ああ、すまない。トーリと水浴び、どっちを手伝えばいい?」


「じゃあ、お風呂を手伝って。結構、力仕事だから」


「分かった」


 寝ている人間を洗うのは、確かに、疲れる。これを一人でやっていたかと思うと、本当によく、平気な顔をしていられるものだ。


「あ、この人のこと、変な目で見ないよね」


「生憎と、赤子の裸に興奮する趣味はないんだ」


「赤子、赤ちゃんかあ……ふふっ。よかった」


「これをいつもやってたら、そりゃあ、モンスターだって一人で倒せるようになるな」


「いい訓練になってるよ」


 水浴びを終えて、すっかりきれいになったラスピスを寝台に寝かせる。ついでにラスピスを抱きしめたときに汚れてしまったムーテの服も洗う。魔法のあたたかい風で乾かせば、着れるようになるまでにそう時間はかからない。


「この人ね。もう、長くないんだと思う。まともにご飯も食べられないし、きっと、心よりも体がつらいんだろうね。殴る力も弱くなってるし、すぐに寝ちゃうし。外に出る元気は、残ってないと思う。可哀想にね」


「ムーテだってつらいだろ。……そう言えば、お母さんを探してほしいって言ってたけど、あれはどういう意味だったんだ?」



 ふ、と息を吹く音。



 ふふふと、風の笑み。

 あははと笑声。


 ――あはははははは。


 鳴り止まない、嗤い声。


「あははははははははははははははははははははははははは、何を言ってるの?これは、お母さんじゃないよ。私が探してるのはお母さんだよ」

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