第35話 光って聞こえる

「ニーガステルタ様から聞きました。あなたはかつて、音楽で戦争を止めたと。そして、今まさに、戦争を止めようとしていると」


「……音楽で戦争を止められたことは一度もないです。あいつの買い被りですよ」


「今、戦争を止めるためにここにいるのは本当なんですね?」


 認めざるを得ない、か。


 しかし、ニーグには、もう音楽で戦争を止めることはしていないと伝えたはずだが。音楽以外で止めようとしているのだと認識されたのだろうか。


「ええ、まあ。ですが現首相がそのような状態となるとさすがに難しいですね。以前は、ニーグに直接働きかけてのことでしたから」


「――壁の修繕費」


 なんか、すごく怖い言葉が聞こえた気がする。


「道路を含む公共物の破壊」


「な、何の話でしょうか……?」


「国民への説明責任。あのサソリはなんだ、魔族の手先ではないのかと、役所に人が押し寄せています。我々も緊急で呼び出されたことですし、公務執行妨害ですね」


 嫌な汗が背を伝う。無駄に法整備が整っているのはニーグの尽力あってのことだろう。


「それは、ぜ、全部、チリリンがやったことで……飼い主のニーグの監督責任……」


「騎士団の時間外労働代に魔力の貸付料、ああ、それから不法入国も付け加えましょうか?」


「門を通れとは書いてないだろっ」


「門番の許しなく入国してはならないのは、どこの国でも共通だと思いますが?」


 責任が重い。重すぎる。嫌な過去に浸っていた気持ちが一気に、嫌な現実に引き戻された。そう考えると、過去は過ぎ去っているだけマシな気がしてくる。


「そういえば、ムーテ様誘拐の容疑で、警察が指名手配犯の貼り紙を作成したとか……」


「分かった!分かりました、なんとかします!それでチャラにしてくれるなら!」


「ええ、もちろん。私は顔が利きますから」


「ルジ、そんな安請け合いして大丈夫か?地道に稼いだ方がいいんじゃないか?」


「いいんだ、トーリ。俺は人生で一度も、賃金の発生する労働をしたことがないんだ」


「働きたくないだけか……」


 トーリに失望されていそうで心が痛むが、チリリンで侵入したときからこうなる可能性は頭にあった。


 もし、戦争が止められなかったら、お金はニーグからせしめよう。メルワートからもふんだくるつもりではあるが。


 ……最悪、命の石を売ればなんとかなるだろう。うん、そうしよう。まあ、今は手元にないのだが。


「ああ、レイノンくんを助けた恩も忘れないでくださいね?当然、医療費はちゃんと支払ってもらいますよ。約束を守ってくれるのであれば、国民と同じ、三割負担を約束しましょう。高額の適用部分については全額、こちらで負担させていただきます」


 守らなければ、血税から出す医療費などない――満額支払えということだ。


「この腹黒騎士団長め……」


「先ほどの肉まんはオマケしておきますので」


 トーリの前で惨敗してしまった……。まあいいか。


 もともと戦争を止める予定だったのが、止めなくてはならない、に変わっただけだ。


 ……でも、今後はもうちょっと、考えて動こう。


***


 降り積もる雪が歩く度、サクサクと音を立てる。国の子どもたちが、楽しそうにはしゃいでいる一方で、大人たちは入口が塞がらないよう、魔法の火による雪かきに追われていた。地下の建物に窓はないが、扉から天気が見えるようになっている。


 ジタリオと一通りの話は済んだが、戦争を止めるなんていうのは、そう単純な話ではない。そもそも、脅しに屈して戦争を止めるなんてあり得ない話だ。


 戦争が起きれば何もかも、水に溶けるように誤魔化すことができるのだから。


 それに、一英雄が得意とするのは、領地の奪還と称した奪い合いや、数多の敵を倒すこと、つまりは大量虐殺。戦争の終結はその真逆に位置している。


 ともあれ、俺にとっては戦争を止めるよりも、支払い義務が生じることの方が避けたい。だって、


「働きたくないしなあ……」


「それなら頑張りましょう!」


「はい……」


 ジタリオがいい笑顔で脅してくる。レイを助けてくれた恩を握られているというのが何より大きい。


 ともあれ、先に別の約束を果たすことに。


 ちなみに、チリリンは連れて歩くとまた公務執行妨害だとか言われかねないので、基地に残って軍団の指導をしてもらっている。


「……なあ、ルジ」


 トーリはその先を言わず、代わりに黙って水路を見つめる。


「そうか、もう始まったか――」


 トーリは耳がいいから、川上の流れの違いが分かるのだろう。さすがにここから、山頂の声が聞こえるわけではないだろうが。


「何が始まったんですか?」


「そんなことより。ジタリオさんはこんなところにいていいんですか?団長なんですよね?」


「大丈夫です。最も高い壁の前に立つことが団長の務めですから」


 引き離そうとしたが、ついてくるらしい。別に何もする気はないし、俺は人畜無害で危険とは程遠い存在なのだが。……高い壁と言うなら、国の城壁の前にでも立って、ずっと壁を見つめていてほしい。


 不安げな顔をするトーリが、不意に立ち止まったのが見えて、視線の先を見る。その先には頭巾を深く被った子どもが、うつむき加減で佇んでいた。


「ムーテ……?」


 子どもに近づくトーリを目で追う。俺にはムーテかどうかの判別はつかないが……。トーリが自身の頭巾を下げ、子どもの頭巾を持ち上げると、果物のような桃髪と、黄金比の横顔が目に入った。


「ムーテ。どうした、こんなところで」


 人間であるムーテの顔をまともに見たことのないトーリには、確信が持てないはずだが、確信を持った様子で尋ねる。


「……とーりす。どうして、わたしだって分かったの?」


「ムーテだけは、その、光って見えるから」


 ムーテの瞳のりんごがくるんと回る。さっと 頭巾を深く被り直したムーテの口元には――笑みが浮かんでいた。


「あははっ、何それ。わたし、光ってるの?」


「物理的に光ってるわけじゃないが、音が、その……綺麗だから」


 ムーテは嬉しそうに、はにかんだ。


「ムーテ様。一人で出歩かれては困ります。……まさか、あれから自宅に戻られていないわけではありませんよね?」


 あれからと言うと、レイが峠を越したあと、ジタリオに捕まったあと、ということだろう。俺も、騎士団の誰かによって自宅に送り届けられているものだと思っていたので、ここにいることに違和感はあった。


 そんなジタリオに対して、黄色の瞳になみなみと、毒が注がれていく。


「家が誰にとっても安全な場所だと思えるなんて、随分、恵まれてるんだね」


 強い怒りを宿した瞳の前に、ジタリオがたじろぎ、口をつぐむ。それを抜きにしても、護衛対象でもある姫の前で、緊張しているのか、そわそわと落ち着かない様子だ。


「それで。戦争を止める算段はついた?」


「そりゃあ、騎士団長様が公権力を動かし――」


「ルジ様がなんとかしてくださるそうです」


 遮られてしまった。どのみち、ジタリオに俺の借金を消す力があったとしても、戦力として優秀であっても、個の力だけで解決できるほどではない。


「……そういえば、ムーテはどうして戦争が起こることを知ってる――いや、そう思うんだ?」


「ニーグおじーちゃんから聞いたの」


 ――ニーグは、死にかけだから本気で何をしてもいいと思っているのだろう。俺には永久に関係のないその強さが、羨ましい。


 だが、なんとなく、ムーテの答えは、真実ではないような気がした。確か、山で出会ったときから戦争が起こると知っていたはずだが。


 ちなみにトーリはと言うと、戦争という言葉を聞いても特に、表情を変えない。それは魔族の中でもずば抜けて耳がよく、色々聞こえてしまうからこそ培われた個性だ。


 だが、恐らく内心では誰よりも恐れ、憂い、憤っている。その感情まで隠す必要はないのだが、そうするのが癖になっているのだろう。


「ジタリオは、ニーグと面識はあるのか?」


「新人の頃によくしていただきました。……ニーガステルタ様がいなければ、今の私はいないでしょうね」


「ふふっ」


 苦い毒を隠し、甘い毒を見せるムーテの笑い声に、ジタリオが咳払いをする。


「……ムーテ様。余計なことを言うようなら、水路にも警備をつけますからね」


「えー。わたし、悪い子になっちゃうよ?」


「えー何それ気になるー。俺も聞きたいー」



 ムーテの隣でかわいく言ってみたら、変な間が生まれてしまった。かわいさが足りなかったのだろうか。



「指名手配の貼り紙……」


「それだけは勘弁」


 かわいく言っただけで、不審者ではなかったと思うのだが……。


 ともあれ、それが一番困るというのを、ジタリオは心得ている。だって、歳を取らず、顔つきも変わらないのだから。どうせ、その辺りもニーグが言いふらしたんだろう。


 一度貼られてしまえば、金輪際、出入りできなくなる。これ以上、入国できない国を増やしてもいいことはない。

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