第34話 ムーテの境遇
ムーテが呼んだ動物たちの邪魔により俺の追跡を諦めたジタリオは、すぐさまチリリンの監視に戻ったらしい。
そして、レイが飛び降りたとき。頭巾が取れたトーリの赤い瞳を見て他の者たちが動けない中、ジタリオだけが救護に駆けつけてくれたのだとか。
周囲に指示を出し、トーリをチリリンに乗せてニーグの家――俺のもとに向かわせたのも彼だったらしい。
と、トーリから聞いている。
保護者である俺を呼ばなくてはならないと判断し、チリリンならニーグの家までいち早くたどり着けると考え、即座に対応してくれたわけだ。
つまり、捜索隊には見つからなかったが、ジタリオは俺がそこにいると確信していたのだろう。本当に、なんと感謝すればよいやら。
「トーリ、本を読んでていいよ」
「分かった」
暇だろうと思い、読書を許可することに。メルワート著、魔力循環説だ。メルワートは頭はおかしいが、科学者としての功績は立派なものであり、文字通りの天才だ。
「この二日は何をされていたんですか?」
俺が人間でも魔族でもないことや、チリリンを従えていること、ニーグと友人であること、それから、ムーテを連れ去った可能性がほんのわずかだが、確かにあること。
すべて知っていた上で、レイを助けてくれた恩人であるため、ある程度までは真摯に、正直に答えようと思う。
「ちょっと、知り合いのドラゴンに頼んで、伝説草を取りに行って――」
「伝説草って、どんな怪我や病気でも瞬時に治ると言われる、あの、幻のチア草のことですか!?しかも、ドラゴンと知り合い!?」
「ええ、まあ」
「これは、すごい人に恩を売ってしまったかもしれないな……」
トーリがくすっと笑った。俺がすごい人じゃないとでも言いたいのだろうか?
「それで、チア草は手に入ったのですか?」
「そこは秘密です。それより、ムーテ様のことでは、大変、ご迷惑をおかけしました」
露骨に話題を変えると、ジタリオもそれ以上、追及してくることはなかった。が、向かい合う茶色の瞳の温度は、すっと下がる。やはり、誘拐でないにしろ、怒ってはいるらしい。
「いえ、お気になさらず。あの動物たちを見ればムーテ様のご意思だとすぐに分かりましたから。しかし、まさか足の速さで負けるとは……。団長になったからと言って、慢心はできませんね」
そして、このジタリオこそ、俺を最後まで追いかけてきた緑の軍団の、騎士団長だ。
俺としてもかなり追い詰められたし、その強さ、特に判断の速さに関しては、侮れない。
「ちなみにその前――深夜、スカルピオンに向けて我々が放った魔法弾はどうされたのですか?」
それは、俺がチリリンに乗って侵入したあの夜のことだろうか。……できればなかったことにしたいが、ここは正直に。
「あーあれは、えっと、手でこうやって、しゅって、やりました」
「……世の中には、まだまだ上がいるということですね」
最後に追尾してきた魔法のことだろうが、まったく痛くなかった。なんだか、申し訳ない。
「なあ、ルジ。ムーテって、偉い人の娘とかなのか?」
と、トーリが本から顔を上げて尋ねてくる。
「あれ、言ってなかったっけ」
「ルジはいつも何も言わないだろ」
違いない。トーリにもレイにも、言っていないことが多いと、つくづく思う。
「ムーテの母親、ラスピスは、この国の首相なんだ」
「……それは、この国で一番偉い人の娘ってことか?」
「そういうことだね」
「どおりで、なんか光って見えるなと思った。他の子どもとは違う感じというか」
それは、立ち居振る舞いが洗練されているからだろう。一挙手一投足が上品で、背筋をピンと伸ばし、顎を少し引いた姿勢をいつでも崩さない。目には力があり、常に自信に満ち溢れている。
一目で、いいところのお嬢さんだと分かるよう、よく教育されている。……いいところのお嬢さんが、モンスターを自前で狩って食らうのかは知らないが。
「ただ、お母さんの心が弱っているみたいでね。今はムーテと二人で辺境の家で暮らしてるらしい」
町に広がる噂話を聞く限り、続投は難しいとまで言われているとか。この辺りもムーテから詳しく聞きたかったが、聞けずじまいだ。
「――ムーテは、ママを捜してるって言ってなかったか」
見つけたら、いや、母親捜しに協力したらバイオリンを作らせてくれるという約束だったのだから、トーリが疑問に思うのは自然なこと。
「それは俺にもよく分からない」
ただ、はっきり言ってしまえば、令嬢から一気に平民の子へと転落したようなもので、母親は心を病んでいる状態。
それまで世話係がついて当たり前だった生活から、自分のことは自分でしなくてはならなくなり、さぞ、苦労しただろう。
――恐らくは今も、苦労している。
けれど、ムーテは、そんな素振りをまったく見せていない。
「……正直言って、ラスピス様がこれ以上、続けることは――少なくとも私の目から見て、難しいでしょう」
ジタリオがそう切り出す。
「おお、随分とはっきり言いますね?」
「これは明らかな異常事態です。このままでは、魔族が攻め入ってきたときに対処しきれません」
そう。この戦争に人間たちは、勝てない。だからこそ今、戦争が起きる前に、止めなくては。
「ルジ様。どうか、お救いいただけませんか。あなたの力があれば、きっとどうにかできると思うんです」
――どうして、みんな、俺に頼むのだろう。
力のある者には責任が伴う。だが、きっとどうにかできる、なんて無責任に言われたって。果たして俺に、何の力があるというのか。
人よりも強くはある。だが、強さだけでは戦争は止められない。そこに想いがある限り、争いは起こってしまうのだから。
「俺には戦争を止めることなんて、到底できませんよ」
「ニーガステルタ様から聞きました。あなたはかつて、音楽で戦争を止めたと。そして、今まさに、戦争を止めようとしていると」
ニーグが言っているのは、俺の音楽がニーグの心に響き、戦争を止めたいと思ったと、そういう話だろう。
結局、戦争は起きてしまったし、犠牲も出ている。たった一人の考えを、少し揺らがせたくらいだ。そのくらいの力しかない。
「……音楽で戦争を止められたことは一度もないです。あいつの買い被りですよ」
「今、戦争を止めるためにここにいるのは本当なんですね?」
認めざるを得ない、か。
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