第33話 心配という感情

 とまあ、レイが目を覚ますまでの二日の間に、寝たきりのニーグは立ち上がり、メルワートが接触してきて、今に至る。メルワートと解散したあとは国外で所用を済ませたりもしたが、それは別のお話。


 レイに回復魔法を丸一日、無理やりかけ続けてから、全身がだるい。音楽である程度回復はしたものの、これがあと半年続くのかと思うと、憂鬱で仕方ない。


「なあ、ルジ。……大丈夫か?」


「ん、何が?」


 とはいえ、もともとかなりしんどかったので、今さら負担が増えたとて、見た目上は本能が取り繕ってくれる。


「疲れてるだろ」


 と思っていたのだが。


「いや、全然。なんでそう思ったんだ?」


「レイが心配そうに見てたからな。あと、いつもよりも脈拍が速い。それに――ずっとレイの手を握りながら、魔法をかけ続けてただろ」


 レイは顔に出やすいからともかく、音で脈拍まで聞こえてしまう上、決定的な現場を見られていては、誤魔化しようがない。


「子どもは大人の心配なんてしなくていいんだよ」


「なあ……ルジは、レイが心配じゃないのか?」


 俺の怒りに対してまだ怯えている様子のトーリが、恐る恐るといった調子で尋ねてくる。こうなること見越して、この七年は怒らないよう努めてきたのだが。


「……分からない。俺には、何かを案じたことなんて、一度もないから」


 随分と長いこと――それこそ、ニーグよりもずっと長く生きてきたが、一度だって、不安なんて感情は抱いたことがない。


 衣食住に困ったことはないし、ずっと独り身でいる環境を変えたいと思ったこともないし、音楽で戦争を止められると、本気で思っていた。


「怒ってはいたよ。でも、それは多分、別の理由だ」


 本当の親なら――クレイアとミーザスならきっと、普通に我が子を心配できるのだろう。


 けれど、俺は本当の親じゃないし、人間でも魔族でもない。ただ成り行きで、押しつけられて二人を預かっているだけ。だから今、二人の親を探しているのだ。


 だから、俺が怒ったのはきっと、メルワートとの交渉のことがあるからで――。


「お待たせしました」


 来客用のソファに腰かけていた俺とトーリの前にそれぞれ、珈琲と紅茶が出される。給仕が別にいるわけでもなく、下の者を呼ぶでもなく、ジタリオが自分で淹れて持ってきたので少し驚く。


「……他の皆さんは、まだぐったりしているんですか?」


「いえ?もう回復していますが――ああ、なるほど。こう見えて、珈琲と紅茶を淹れるのが趣味でして。最近、妻にも褒められるようになったので、来客の方々にもぜひ、味わってもらいたくて」


 紅茶に角砂糖を三つ入れたトーリが、ふーふーしてから飲むと――ほっとした顔になった。俺が部屋を凍らせてからずっと、どこか緊張した様子だったのがようやく抜けたみたいだ。


 俺も珈琲を啜ってみるが、そもそも珈琲が好きではないため、あまり違いは分からない。強いて言うなら、マズくはない、というのは分かる。そのため、あえて感想は言わず、カップを置いて微笑んでおく。


「ジタリオさん。この度はレイノンを助けていただき、本当にありがとうございました」


 ――三日前の夜。監視を撒いてニーグの家に逃げ込んだ後、ムーテの演奏会が終わり少し話したところでトーリが近づいてくる気配がした。リアの鬼気迫る様子に、眠ってしまったニーグを起こす暇もなかった。


 目覚めて俺たちがいないことに気づいたニーグは、別に慌てることもなく、のんびりとお菓子を食べていたらしいが、それはさておき。


 レイが心肺停止状態だと聞き、チリリンに乗ってここまで来た俺は、レイが安定するまでその手を握り、魔法をかけ続けた。


 赤子の頃からだが、二人のどちらかに傷ができると、同じ場所が赤くなったり、痛んだりしており、その分、治りは早かった。


 今回も、トーリが痛みを半分引き受けてくれたから助かったのかもしれないと思うと――ゾッとする。全身の毛が逆立ち、力が抜けて、震えが止まらない。


「お、おい、大丈夫か」


「本当に、マジで、怖かった……っ」


 何かきっかけとなる事柄があったわけじゃないが、昔からレイは自分のすべてを、トーリ中心に考える癖がある。別にそれ自体は否定しない。ただ。


 ――レイは、自分の命を軽んじすぎている。軽んじているやつはどれだけでもいるが、レイはその中でも格段で、希死念慮すら感じる。


 そうでもなければ高速で動く乗り物から飛び降りたりしない。


 いや、まともな思考回路を持っていれば、できないだろう。


 四本足でよちよち歩いていたのが、いつの間にか二本足で動き回るようになり、今では、いつでも自分の意思で死ねるようになってしまった。


 子どもの成長というやつは、なんて、恐ろしいのだろうか。何が恐ろしいのか。


 もし、二人のうちどちらかが失われるようなことになれば――俺の目的を達成する手段が失われる。それが恐ろしいのだろう。


 メルワートとの交渉云々よりも、最終的な目的の方に俺は、怒ったのかもしれない。そこにレイを心配する気持ちが、なかったとは、言い切れないが。あったかどうかは分からない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る