第32話 乗るものを乗せて
「ニーグ、死んだか?」
少し揺すってやると、緑の目がかっ、と見開かれる。びっくりした。
「心地よすぎて気を失っておったわい。なんだか、体が軽くなったのう――」
「いや、俺の音楽にそんな力があるわけ……ってえええ!?」
――なんと、これまで寝たきりだったニーグが、すくっと立ち上がった。
「すこぶる調子がいいのう。五年ほど若返ったような軽さじゃ……!」
「んなわけあるかっ。そんな都合のいい話、あって、たまるかっ」
「ラウラーウ」
自分だって、自分の音楽で回復してるじゃない、とリアに言われてしまう。確かにそうなのだが……。
「って、ちょっ、おいおい、どこに行く気だ?」
不意にニーグが扉を開けて外に出る。
「スカルピオン!大きくなったのう」
「チリチリ!」
「あ、歩いてる……。マジか……」
「ラーウ?」
――自分の音楽を、少しは信じる気になった?とリアが尋ねてくる。
「いや、あんなの幻覚というか、気の持ちようというか……一時的なものだろ」
「ラウ、ラウー」
そうだとしても。
「昔はワシの手のひらに乗るくらいじゃったのになあ。今ではワシが背中に乗せてもらうくらいになっておるわい!わっはっは!」
「チッチッチリ!」
チリリンとニーグが再び、触れ合えたのはリアの言う通り、事実だ。あんなにも楽しそうにはしゃいでいるニーグが見られるなんて、思わなかった。
俺の音楽には、本当はものすごく力があるんじゃないか――。
「……いや。どっちにしろ、俺の音楽には戦争を止めるほどの力はない。戦争を止められるのは、大きな痛みだけだ」
いつかの記憶が、浮かび上がる
『俺はいつか、音楽で戦争を止める。俺の音楽にできないことなんてねえよ。――俺自身が一番、俺の力を信じてるからな』
……もう、同じ過ちは繰り返さない。俺は俺の音楽を、信じない。
「ラーウ……」
何より。
「二人の親はまだ、見つかってないんだ。俺一人だけ好きなことばかりやってるわけにはいかないだろ」
進んでいかなくては。先へ、先へと。
***
「じゃあ、俺とリアはレイたちのところに戻るよ」
「またスカルピオンに乗っていかれるのか?」
「いや、走っていくよ。多分、その方が速いし」
トーリたちには触れられない――厳密には、触れるとものすごく疲れるため避ける意味でもチリリンに乗っていたが、リアだけの今は気にすることもない。
「さようか。しかし、ルジ様の演奏がまた聞けるなんて、ワシも、徳を積んでおったのかもしれぬのう――」
「俺の演奏、徳の類なの??」
「そうじゃよ」
「そうじゃよ、って……だから、買い被りすぎだよ。あのときニーグが考え方を変えたのは俺の演奏じゃなくて、俺の説得が理に適ってたからだろ?」
「首相の喉元に音楽だけで侵入しておいて、よく言うわい。それに、ワシが感銘を受けたのはそこではなくての……ああ、そうじゃった。それを伝えておらぬからか」
「それって?」
「内容に関しては、ムムから聞いていただきたい。ワシが語ると、醜い言い訳にしかならぬからのう」
不審に思いつつもニーグとは数言で分かれ、俺とリアは太陽の昇り始めた大地を駆け抜けていた。厳密に言うと、リアは俺の肩に乗っているだけだが。
「それにしても、メルワートが作った兵器って、多分、レイが捕まえた赤食い蝶のことだよな」
「ラウ――」
あの蝶にも、この時代にはあまりにも似つかわしくない、小さなレンズが仕込まれていた。昨日、俺を監視していた個体は破壊したので、他にも何体かいると見て間違いないだろう。
「時代に合わせた開発をしてもらわないと困るんだよ、ったく――噂をすれば影が差す、か」
ブオンブオンと、唸りを上げるのが聞こえて、足を止める。俺がレイやトーリと離れて安心していられるのは、ジタリオたちが見張ってくれている今だけだ。
先ほど水路ですれ違ったとき、やはり俺に気づいていたらしい。そこには、ヘソも太ももも鎖骨もよく見えるほど衣服を最小限まで省いた白い魔法使いがいた。いや、この世界では皆が魔法使いなのだが。
つばの広いとんがり帽子に、露出は多いが外套を羽織った、いかにもそれらしい、白い魔法使いという意味だ。ここでほうきに乗っていれば完璧だが、乗っているのはほうきではなく――自作の自動車。
右へ左へ蛇行しながら爆速で向かい来るカメムシみたいな色の自動車は、俺の真横で後輪が浮くほどの急停止をした。
その車を見て、リアが俺の懐に隠れる。
「ルジ様……ああ、またお会いできて光栄ですっじゃ」
「メルワート。まさかとは思うが、俺に会うために戦争を起こそうとした、なんて言わないよな?」
「まさかまさか。わそもそこまでは傾倒しておりませぬ。……まあ、モデルの方は、エサに食いついておりましたけどねえ!」
「モデルにエサ、ね」
「ルゥゥ……」
――どうしてこうも、俺の神経を逆撫でする言い方が得意なのだろう。そんな安い挑発には乗らないが。
「それで、何の用だ。小型の監視カメラまでつけて、何がしたい」
「用があるのはそちらじゃ。そう思って来てあげたっち!」
ムーテからは結局、メルワートが兵器を作っているとしか聞けておらず、目的が分からない。
ただ、それに関しては、あとでムーテに聞けば済む話だ。
「特にない。今すぐ目の前から消えろ」
「ラスピスについて、知りたくはないかの?」
その名前を聞いて、無反応でやり過ごすことができなかった。
ここでラスピスの名前が出てくるのだとしたら、メルワートが言うモデル――「モデル動物」は間違いなくラスピスのことで、俺は釣るためのエサだということ。
精神を病んだと聞いたときから、その可能性は考えていた。けれど、確信はなかった。
このまま話を聞くか、去るか。
……聞きたい答えが返ってきたら、乗ってやろう。
「赤食い蝶を模した魔法生物。あれはお前が作った兵器だよな?」
「ぬおお!!そこまで知っておられたか!!ラスピスイーターは赤いものはなんでも食べると言われておるが人の味も知らぬ上に、大きさは変えられぬからのう。真になんでも食べられるようにと、大きくなれるようにしてやったのじゃよ」
「その理屈だと、お前の目も食われてないとおかしいだろ」
メルワートの瞳は赤く、耳は尖っており、どこからどう見ても、魔族だ。虹彩が赤い以上、彼女自身も獲物だということ。
「それは問題なし!分厚い強化ガラスに入っておるからのう」
「そのガラス、俺が壊してやろうか?」
「やめっち!?ま、まあ、ルジ様とはいえ、簡単に壊せるものではにゃーよ。部屋全体にも魔法を多重にかけておるからからのうのう」
――期待通りだ。
「ああ、いいぞ。ラスピスについて聞いてやる」
「ラウッ!?」
「そうこなくてはのうー!ささ、後部座席の後ろに、立ち乗りするところがあるからそこに――」
「え、やだよ。後ろの子、くたばってるし。リアが可哀想じゃないか」
車の後ろに取り付けられた座席には、銀縁メガネをかけた銀髪の女が座っていたが、ぐるぐると目を回しており、とてもこれに乗りたいとは思えなかった。
恐らく、彼女の運転の荒さはよく知っていたのだろうが、メルワートが俺に会えると、いつもより張り切って飛ばしてきたのだろう。
「ハミラスが弱いだけじゃよ。ルジ様であれば――」
「走った方が速いから、いいや。ついていくから先に行ってくれ」
「ちぇっ」
運転が悪いというよりは、道がありのままの自然であるため、当然、速度を出せば真っ直ぐ進むことは難しいというだけなのだが。それならそれで速度を出すなという話で。
ギギギギ――。
「あれ」
ジジジジ――。
「どうした」
「エンジンがかからなくなってしまったっち……」
鍵を捻っても、エンジンがかからないようだ。
「魔法で運べるだろ」
「物を動かす魔法は得意ではないのし……。手の届かないものは全部、ハミラスに取ってもらってりゃーち……」
「ここに捨てていくしかないな」
「ギャーギャーッ!嫌じゃ嫌じゃっ、わそのかわいい車ちゃんを捨てていくなんて、とんでもない!」
試作段階のため、こういうこともよくある。同じように騒がれたことは一度や二度じゃない。
「……受けた恩は返してくれるんだろうな?」
「返す!返すのじゃ!頼む!!」
仕方なく、車を担いでいくことになった。へばっているハミラスとやらは車に乗せたまま。リアは車の上で丸くなり、メルワートは、なんか腹が立つので、自分で歩かせた。
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