第31話 ルジの音楽
「はむっ……ん、ごちそうさま。じゃあ、そろそろ帰るか」
ほかほかパンにご満悦のトーリは、食べ終わるや否や、立ち上がった。
「え、もう帰っちゃうの?」
「もうって、丸二日、ここにいたんだぞ?それに、レイの顔を見たらなんだか急に疲れてきたし……帰る」
「それは、ごめん……。でも、僕が痛いならトーリも痛いんじゃ?」
「オレは痛くても怪我をしてるわけじゃないからな」
確かにそうだ。痛みの共有がトーリにどれだけの苦痛を与えているかは分からないが、トーリの痛みをなくすには僕が治すしかないというのははっきりしている。
「そう寂しがるな。また来るから」
寂しがったわけじゃない。ただ、こうなると分かっていながら馬鹿なことをしたなと、反省しているだけだ。
「トーリ、ごめんね……」
「あまり心配させるなよ」
「うん……」
トーリになでなでしてもらえてすごく嬉しい反面、罪悪感が膨れ上がる。それをかき消したかったから、トーリにもリアにも心配してもらえて、僕は幸せ者だ――と思考した。
「え?」
ジタリオが窓の外を見て呆けた声を出すので、揃って見やれば――雪が降っていた。
「いつも雨すら降らないのに、それもこの時期に、雪……?」
「ラウ……」
リアの様子を見るに、ルジが原因らしい。
「ははは。久々にやっちゃった」
「普通、やっちゃった、で済みませんが……」
窓を締めたルジは、リアだけを残して、去っていった。
「みんな行っちゃったね。……ねえ、リア、チクったでしょ。僕が、目が覚めちゃったって言ったの」
「ラウラー?」
「これは、何言ってるか分かんなくても、態度で分かるね。言ったけど何か?って顔だ」
唯一無事だった右手でリアを抱き寄せ、じとーっと見つめると、紫紺の瞳が輝いていて、吸い込まれそうだった。するりと抜け出したリアが、窓辺へ寄っていく。
しんしんと降る雪に、いつもなら大はしゃぎしてトーリだるまを作っているところだが、生憎とそれが無理なことは馬鹿な僕でも分かる。
トーリが今、どこにいるだろうかと考えて、けれど分からないから、静かに雪を見つめていた。独り言をトーリに聞かれたくはなかったから。
やがて、雪が降り積もってきて、窓の外で除雪作業が始まる。その中に、雪合戦をしている、わるーい大人たちがいて、ジタリオさんに怒られて楽しそうに逃げ回っていた。
コンコンコンと窓が叩かれ開かれると、冷たい空気が入ってきて、少しすっきりする。
「レイノンくん、すまない。悪い手本を見せてしまって。病室の前ではしゃぐなと厳命しておく」
「いいよ、みんな楽しそうだから。トーリはもう帰った?」
「ああ、随分前に二人とも帰られたよ」
「ありがと。僕、ちょっと寝るね」
そう言ってジタリオを追い出し、リアに話しかける。
「ルジ、すごく疲れてたね」
「ラウ――」
「雪を降らせるなんてこと、今まで一度もなかったのに。何か無理をして、魔力の制御が上手くできなかったんだ。それで、その無理っていうのは多分、僕を助けるためのものだよね」
「ラーウ」
なんと言っているかは分からないし、また、ルジに報告されてしまうかもしれないけれど。リアは、少なくとも嘘はつかない。だから、話してしまうのだろう。
「また、リアは怒るかもしれないけどさ。――余計なことしてくれたなって、思う。あんなに調子が悪くて、トーリに何かあったら、守り切れるのかって」
いつもの優しい肉球突きを、唯一無事だった右手に浴びる。それから、すりすりと、ふわふわの毛並みを擦りつけてきた。
「心配してるわけじゃないなら、僕のために無理なんてしなくていいのに……いや待てよ。僕たちを何かに利用しようとしてる可能性もあるのか――」
窓に雪玉が当たり音を立てて、思考を遮る。見ると、大きな雪だるまに女の人がすっぽり埋められて、まるで、雪だるまの上に頭が乗っかっているようだった。
先ほどの悪い大人たちが周りであわあわしており、埋められている本人は血の気が引いていて、ジタリオの真っ黒な笑顔と、炎の鎚が光る。
「……あははっ。何あれ、楽しそう」
それはいつぶりの、本心からの笑顔だったろう、なんて考えて、少し寂しくなった。
***
――二日前。レイが運ばれたのは騎士団の本部だった。まあ、それは後で知ったのだが。
「おにーさん、一命を取り留めたみたいで、ちょこっとだけ安心だね」
「はあ、はぁ……っ。ああ、本当、に……っ、よかった……」
「ラウゥ〜……」
心配そうなリアを撫でていると、ふ、と意識が飛びそうになる。これはいけないと、リアを抱えたまま、重い体を無理やり、立ち上がらせる。
「まだ立ち上がるんだ。――おにーさんに回復魔法をかけるなんて無茶をしたのに」
八歳未満の子どもに魔法が効かないというのは常識だ。けれど本当は、「限りなく効きづらい」であり、魔法抵抗値を無視できるほどの魔力圧をかければ、できなくはない。
荒くなる呼吸を無理やり抑えて、平然を装う。
「このくらい、無茶でもなんでもない」
そう言って歩き出せば、ムーテもついてくる。
「ジタリオ以外の騎士団を壊滅させておいてよく言うね。魔力をちゅーちゅー吸われて、みんな床にごろごろにゃーにゃー、してたのに」
「チリリンとか俺とか、色々あって疲れてたんだろ」
「みんな可哀想。全力で魔力を送ってるのに、ほとんど意味がないようなものなんだもん」
「でも、今かろうじて立ててるのは、そのおかげ……かもしれないし」
騎士団のほぼ全魔力を受け取ったが、正直、あってもなくても変わらなかったような気もする。
「ふふ。まるっと一日、ずっとあんな魔法圧をかけ続けるなんて。やっぱり、どうかしてるね」
「やっぱりってなんだ」
気づけば、丸一日が経過し、また夜になっていた。
――ところで、騎士団の建物は基本的には地下にあるが、物資支給等の都合により、療養所のみ地上に建てられている。敷地全体が大きな門と中の見えない柵に覆われており、とにかく、目立つ。
「あれ、ルジ様。どこかにお出かけですか?」
そのとき、門の前にはジタリオが立っていた。他の兵が全滅したため、立つことのできる者が彼しかいなかったのだろう。
「ええ、ちょっと。レイを助けてくれて、ありがとうございました。改めてお礼をさせてください……今は、それどころじゃないので」
「しかし、顔色が悪いですよ。まだ休まれていた方がいいのでは――」
「俺に休んでる暇はないんです。……通してください」
「――分かりました。くれぐれも、お気をつけて」
門を通り抜けようとすると、「ひゃっ」と声がした。振り返る元気もないので、そのまま歩いていく。
「ムーテ様はここでお留守番です。人員不足で安全に家まで送り届けられそうにないので、本日はここに泊まっていってください」
「えー」
「えーじゃありません」
ムーテが捕まってしまったようだ。まあ、夜も遅いし、むやみに出歩かない方がいいだろう。
「チリチリ……」
すぐのところにチリリンが待ってくれていた。その背中になんとかよじ登る。
「レイはもう大丈夫だよ。悪いが、ニーグのところまで、お願いできるか?」
「チリ!」
落ちそうになる意識を、リアをぎゅっと抱きしめ、なんとか保っていた。
ようやくたどり着いた家の扉を倒れるように叩き、なだれ込むようにして押し入る。
「年寄りは夜に起こされるのが結構、しんどいのじゃが……ふむ。これまた随分と、ご無理をされたようですな」
「悪い、ニーグ。ちょっとリアを弾かせてくれ」
意識が途切れるとまずい。演奏をしていれば無意識下での継続した行動が可能となるが、トーリに演奏を聞かせるわけにはいかないので、ここまで来た。
「ワシとしては嬉しい限りじゃよ。好きなだけ、弾いていっておくれ」
「そうだったな……本来は、俺が頼まれる側であるべきだ」
「わっはっは!ルジ様はやはり、お若くあられるのう」
リアが水飴のようにすいーっと伸びて、
こういうとき――一番、疲れているときに弾く曲は、もう決まっている。
俺が最も弾いた曲。かつては、この世界の誰もが口ずさむことのできた、耳に残る、この曲だ。
ゆったりした曲ではない。けれど、無茶苦茶でもない。歌いやすく、馴染みやすいもの。
かつての俺を表した、ほんの少しの怒りを込めた大衆曲。歌いやすく、しかして、これを平然と弾くには数年の練習を要する。
そんな、俺の性格の悪さが滲み出た一曲。
題は――ルジ・ウーベルデン。
勢いで自分の名前をつけてしまったがために、恥ずかしくて記録から消し去った、幻の一曲。
これを弾いている間は、羞恥で眠ることなど、到底できはしないのだ。
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