第30話 青い炎
「やあ、レイノン。元気そうで何よりだよ」
ルジは笑顔で僕に話しかけてきた。窓を飛び越えて室内に入り、リアを床に放してつかつかと近づいてくる。
――怒って、る?
「ん、どうした?」
やっぱり、怒ってない。怒ってくれないということは、僕が死にかけていても、何も思わなかったということ。どちらでもいいということ。
怒られるかもしれないという恐怖――いや、期待を取り払って冷静になると、怒っているというよりは、ものすごく疲れているように見えた。
「ううん、ごめんね。余計な手間かけさせて」
「それは、何に対しての謝罪だ」
刹那、空気が、冷え込んだ。
窓から風が吹き込んでいるわけでもなく、魔法の効いた室内はこんなにも暖かいというのに。
「ラウー……」
リアが何か言うと、さらに空気が凍てつく。気のせいではなく、部屋に霜が降りており、寒さに強いはずのトーリさえ、震えている。寒さにではなく、目の前の恐怖に対して。
とすっ、と寝台の側面から音がして、覗き見るとそこに――短剣が深々と刺さっていた。
その原因を見上げれば、青い瞳は、太陽よりも煌々とした炎を上げているように見えた。
「目が覚めちゃった……?じゃあ、その短剣で首切って死ねよ。今、ここで」
「ラウー!ウー、ウー!」
リアがルジの裾を咥えて引っ張るが、シャリシャリと霜を踏む音とともにルジは近づいてくる。
「ルゥー……ラウッ!」
仕方ない、とばかりにリアはルジの顔に飛びつき顔をひっかく。当然、傷などつきようもないが――目を狙えば、話は別だ。
リアの爪がルジの右目を突き刺す直前、ぴっと、首の後ろをつままれたリアが動きを封じられる。引き剥がされた後ろには、いつものルジの顔があった。
「……ああ、これは元に戻さないとな」
ルジがリアを一撫ですると、部屋中の凍えるような寒さは消え、寝台の横に空いた穴は塞がっていた。
刺さっていたはずの短剣はルジの腰から下げられていて、今、そこに刺さっていたのも、凍えるような声もすべて、幻だったのではとさえ思えた。
けれど、トーリのあの珍しい怯えた表情は、幻なんかじゃない。ジタリオですら、固まっているのだから。
「ルジ、その……怒ってる?」
「ん、ああ、今の?ごめんごめん、怖かったよね。怒ってないよ。大丈夫」
「……嘘だ。ルジは、怒ってる」
右目の青が静かに僕を見る。左目は閉じたままだ。
「僕が、迷惑かけたから、だよね。ルジにはルジの計画があって、それを狂わせたから、怒ってるんだよね」
子どもを心配しない親はいないとはよく言う。あれが本当かどうかなんてことは知らない。
――ただ、ルジは、僕のお父さんじゃない。
僕はルジに望まれていたわけでもなければ、ルジとの間に、血の繋がりすらない。たまたま、友だちの子どもだったというだけだ。
そんなの他人も同然だ。無償に見える愛にはきっと限りがあって、わがままばかりではそのうち見捨てられてしまう。
だから、嫌なことでも、いいよ、と言わなくちゃいけない。あんまり迷惑をかけすぎてはいけないけど、少しは子どもらしい顔をしていないと、嘘の愛すらもらえない。
僕はいい。けれど、見捨てられるときはきっと、トーリも一緒だ。それは、困る。
ルジを疑うわけじゃない。でも、信じすぎては、いけない。
「違う。そんなことで怒るわけないだろ」
何かしらの計画があって、それが狂った、という部分は否定しないらしい。
「じゃあ、どうしてそんなに怒ってるの?」
「怒ってない」
心配してくれているのだと、僕が勝手に信じるのは簡単だ。
ただ、相手の心を理解するには、行動だけでも、言葉だけでも、表情だけでも、不意に出る癖だけでも、ちょっとしたしぐさだけでも、足りない。
それ以外も含めたすべてが同じ方を向いているものしか、僕は信じない。裏を読むとか、表だけ見るとか、そんなのは間違っている。
――ルジは今まで一度だって、心配だと、言葉にはしていない。だから、信じない。簡単なことだ。
答えないルジから目を逸らし、トーリを見ると。見ると。見ると……なんだか、とっても悲しそうな顔をしている。手の中のパンを見つめ、「肉まんモドキ……」と小さな声でつぶやきながら、大きなパンを両手で大切そうに抱え――いや、温めている。
「トーリ、肉まんモドキ、冷めちゃった?」
「うん、冷めちゃった……」
「ルジ!トーリが泣いてるよ!謝って!」
トーリが悲しそうにはむっとかぶりつき、この話は一旦、流れる。
「ひゃっこいょぅ。お手々がちべたいょぅ……」
「ああ、ごめん、トーリ……。ジタリオさん、温めなおすことはできますか?」
「すぐに温めて来ます」
つん、とそのなんちゃらパンに触れば、冷めたとかいう状態ではなく、雪玉のようにひえひえになっていた。
「ちべたっ。もはや、雪まんじゃん」
ジタリオが用意した皿に雪まんモドキを載せる。冷たくなってしまったトーリの手を、包みこんで温める。
「トーリ。すぐにほかほかの肉まんモドキが歩いて来るからね。……あと、ルジ!窓から入るのはよくないと思うよ!」
「うっ、ぐうの音も出ない正論……。か、帰りはちゃんと、出口から帰るよ」
「うん。そうして」
ルジとそんな会話をしていると、トーリがふっと吹き出した。
「レイ、お前、すごいな……くくっ……」
「何の話?」
そんなトーリに、ルジはやれやれと首を振り、リアは愉快そうに鳴いた。
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