第27話 エピローグ1-2

 高い壁に囲まれて守りが厳重であるこの国には、逃げ道がない。攻め込まれ、出入口を塞がれれば、袋のネズミだ。


 破壊音のあとに、瓦礫が崩れる音。唯一の出入り口が崩れた壁によって塞がれる。同時に聞こえた爆発音により、至るところから地下水が噴出する。


「ひゃははははア!腐った人間どもがア!皆殺しだア!!」


 城門の警備は、十の魔族を前に、いとも容易く押し切られた。どうやってか国の内部にも魔族が侵入しており、内と外から挟み撃ちにされて対処しきれなかったのだろう。


 入口を崩壊させた後、十の魔族たちは数多の騎士たちによって数十秒とかからずに制圧される。その光景を見ながら、白髪の少年がつぶやく。


「――ラスピス山の川だ」


 黒髪の少年が、弾かれたように顔を上げる。


「ああ、そっか!ラスピス山の川に魔法で水を大量に流し込めば、それがここまで流れてきて氾濫する。そしたらこの国は終わりだね!」


 騎士団が総出で川の水を魔法で吸い上げ、空間収納に入れていく。


 が、こちらは川下。まだまだ川上から流れてくることを考えれば、耐えられるはずがない。


 平時ならその深さの四分の一も達することのないであろう水路――川と言ってもいいほどの広さを持つそれは、今は溢れんばかりの水で埋め尽くされている。


 そしてついに――溢れた。


 瞬間、騎士団が見せた一瞬の隙をつき、魔族たちが一斉に抵抗を始め、魔法による戦闘が始まる。


 氾濫した川の水は、地下の建物めがけて流れ込む。


「何が起きて――がはっ」


 出入り口の爆音に気づいて外に出た女性が、魔族の魔法に頭を撃ち抜かれた。


「ママ……?ママ、ママ!」


 地下にこもる人間たちは、水かさが増していけば、水圧で扉を開けるのが難しくなる。


 あるいは、扉を開けられたとしても、部屋が浸水し、流れ込む大量の水を前にして逆らうことなど到底できない。


「ああ、なんて脆い国なんだろう――」



 地べたに座る少年の黒い瞳を見つめて、白髪の少年は、一歩後ずさる。



 その黒い瞳に火の魔法が飛来し、顔に触れてかき消える間も、少年は瞬き一つしない。


「レイ、お前……どうして、笑ってるんだよ」


「え?」


「だって、人が、し、死……っ、今、目の前で――」


 女性は頭を撃ち抜かれ、脳みそをぶちまけていた。到底、生きてはいないだろう。


「ママああぁぁ!うわあぁああん!!」


 自分より幼い子どもが泣き叫ぶ光景を目の前に、レイは、微笑む。


「何をそんなに怯えてるの、トーリ。早く逃げないと、危ないよ」


 自らの足ではまだ歩くことのできない彼は、酷く冷静な声で言う。


「逃げるって……どこに」


「ルジのところ。ほら早く、走って」


 泣き叫ぶ子どもへと向かう赤い視線を手で遮り、黒い瞳が諭す。


「いくら僕たちに魔法が効かなくても、このままじゃ、溺れて死んじゃうよ」


 トーリ一人では、子どもまで連れて行くことはできない。


「……分かった。手を伸ばせ」


「僕はいいよ。ここで待ってるから」


 私は思わず、黒瞳を見上げる。


「は……何を、言って」


「僕を背負ってたらその分、遅くなるから。僕はいいよ。できるだけ早く、ルジに知らせて」


「でも……!」


「代わりに、リアとその子を連れていってあげて。ルジはほら、リアがいないと、ダメだろうし、その子もこのままじゃ死んじゃうから」


 ふわっとした浮遊感。黒髪の少年に片手で抱き上げられた私は、白髪の少年へと受け渡される。


 ――それは、いけない。



「レイ!あなたも一緒じゃなきゃダメなの!」


 けれど、どれだけ叫ぼうと、私の声はただ一人にしか届かない。


 あの人には、レイが必要なのに。説得したくても、言葉がなければ、届かない。


「そんなこと、できるわけないだろ!」


 トーリが叫ぶ間に、私はその手をするりと離れ、レイの服を咥えて引っ張る。


「ムー……!」


「大丈夫だよ。僕を置いていっても、怒られたりしないよ。トーリとリアが生きててくれてよかったって、きっとそう言うから」


「怒られるとかどうでもいいんだよ!この馬鹿!早く逃げるぞ!」


 怒りで体の自由を取り戻したトーリが、うつむくレイを無理矢理背負って走り出す。その隣を私は四本足で走る。レイは、背中から飛び降りることはしなさそうだ。


「なあ、レイ。ルジに何か言われたのか?オレの知る限り、ルジはオレたちを区別したことは一度だってない。それなのにどうして、レイだけがそう思うんだ」


 背中に乗っていては、その問いかけからは逃げられない。


「――ルジは一度だって、僕たちに本心で話してくれたことは、ないよ」


「え……?」


 あの人は、レイの察しの良さに気づいてはいるけれど、その能力の高さを見誤っている。


 だから、彼がなぜ、チリリンから飛び降りたのか。きっと、本当の意味では理解していない。あの人もあの人で、大人にならなくていいまま生きてきたから、不完全なのだ。


「ルジや他の誰かに言われたわけじゃないけど、僕がすべてにおいてトーリより劣ってるのは事実だ。僕がいなくなってもトーリは僕の代わりになれるけど、その逆は絶対に、できない」


「……それは、魔族のオレの方が賢くて、力が強くて、走るのが速いって話か?」


「違う。そんなことはどっちだっていい。ただ、みんなに優しくて、綺麗なものを素直に綺麗って褒められて、純粋で――」


 突如、トーリが横に飛び、言葉は遮られる。


 ――地面に、剣が突き刺さっていた。振り向けばそこには、見覚えのある桃髪の少女が立っていた。


「レイ、悪い。続けてくれ」


「……僕は、トーリになりたかった」


 飛来する剣を横に飛んでかわすトーリに、それに応える余裕はない。


「ムーテ。大丈夫か、怪我はないか?」


「トーリ、待って。何か、おかしい」


 背中のレイが近づこうとしたトーリを引き留める。私は咄嗟に二人の前に立ち、少女を睨みつける。


 多数の水路が反乱し、土の地面に水たまりができつつあった。


「ムーテ……一体、何があったの」


 届かない声と知っていながら呟く。


 少女の両手は、赤く、染まっていた。瞳のりんごはギラギラと怪しい光を放つ。その目で私たちを――いや、それよりもっと、遠く、虚空を見据えて、空間収納から剣を取り出す。


「見つけちゃった」


 呟いたムーテは、妖艶な笑みをたたえ、近づいてくる。本能が警鐘を鳴らす。


 が、白髪の少年は私の前に歩み出て、普通に。――異常なほど、平然と、話しかける。


「なあ、ムーテ。ルジを探してるんだが、どこにいるか知らないか?」


 それかあまりにも異質だったからか、振り上げた剣をムーテは下ろす。


「探して、どうするの」


「そりゃあ、僕たちだけでも逃げ――」


「この国を救ってもらう。オレたちだけルジに助けてもらえたって意味がないからな。だって、ムーテのママはこの国が沈んだら、生きていけないだろ。そういう人は他にもいるはずだ。それに――」


 逃げると言いかけた背中の少年が瞳を伏せて、自嘲するように鼻でわらった。それに続いて、少女があははとわらう。


「あはは、ははは。お母さんなら……殺したよ」


***


〜はしがき〜

ここまでお越しいただき、本当にありがとうございます。ムーテの意外な一面がいっぱいでしたね!レイノン飛び降り事件を堺に、物語は大きく動き出します(デジャヴ感)。この先もぜひ、お付き合いいただけたらと思います。

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