第26話 ぱくぱく

「さすがに、あんな親指くらいの蝶に食べられたりはしないだろ」


 赤色のものならなんでも食べる蝶々――ラスピスイーター。ちょーだけにちょーかわいい。そして、ちょー欲しい。


 手のひらに乗るほどの大きさだったその子は、チリリンの赤に反応して大きくなり、あっという間にチリリンを丸呑みにできるほどになった。


 このまままだと、僕たちごと丸呑みにされてしまう。


「そもそも、赤いものならなんでも食べると言っても、人の味を知らなければ食べないだろうし――」


 僕はリアを服の中に入れ、トーリの腕をつかむ。


「トーリ。絶対に目を開けちゃダメだよ。――チリリン、走って!」


「え?」


「チリ!」


 チリリンの全速力でどこまで引き離せただろうかと確認すると、赤食い蝶は、ひらひらと舞い上がって――羽を畳み、急降下してきた。


「チリリン、右に避けて!」


「チリッ!」


 ズドンと地面に突き刺さる蝶。先ほどまでチリリンがいたところを的確に、貫いている。その地面からは地下水が噴出していた。


「おい、何が起こって――」


「走って!」


「チリッ!」


 右へ左へ。逃げるばかりじゃダメだ。どうにかしないと――。


「トーリ。あの蝶々の弱点って分かる?」


「弱点、弱点……小さくて、か弱いところ?」


「何それー、トーリかわいすぎるよー」


 小さくてか弱い生物には到底、見えない。トーリが知っているラスピスイーターとは別のもののようにさえ見える。


「ひえ。えーと、特徴、特徴……より鮮やかな赤を好む習性がある、ってことくらいしか」


「鮮やかな、赤――」


「例えば、チリリンは赤一色だが、暗褐色だ。それよりも、熟れたりんごなんかを好む傾向がある。あと、テントウムシみたいなまだらな赤より、梅干しみたいな赤一色を好む」


 つまり、真っ赤で小さいものを見せれば、小さくなってくれるということか。


「その手があった!さすが僕のトーリ!」


「ほえ。……ところで、オレはいつまで目をつぶってればいいんだ?」


「僕がいいって言うまで。大丈夫、キスはさすがにしないから。チリリン、左!」


「さすがにそこまではオレも思っつぬぁっ、どぅ――モゴモゴ……」


 急な方向転換で言葉を封じられるトーリの口を手で塞ぎ、チリリンに指示を出す。


 とっさに思いつくのは、沈む前の夕日だ。けれど、壁に囲まれたこの国からは見えない。


 いや、赤いものを探したって、あるわけがない。――ここは、魔族が大嫌いな、人間の国だ。先ほどの食べられてしまった赤い蛾――見ようによってはオレンジの蛾が、もしかしたら、この国で一番、赤いのかもしれない。


「なんで全部地下に隠れてるのさ、まったく……」


 家もお店もすべて地下。赤い木の実はきっと、さっぱり取り除かれている。


 ――無いなら、作ればいい。赤いものなら僕の体にたくさん、詰まっているのだから。


「ガリッ……〜〜っ」


「いっ……。おい、大丈夫か?」


 自分の親指の腹を噛み切れば、それと同時に目を瞑っているトーリが顔をしかめる。確認するまでもなく、血の色は、赤い。


「ごめん。でも、今ここでトーリが食べられるよりは断然マシだから」


 ぷっくりと血の滲む指の腹を、蝶に向かって突き出すが、小さくなる気配はない。恐らくは、チリリンと比較して僕の指先の血が小さすぎるのだ。


 近づくしかない。けれど、チリリンが止まれば、トーリが危険に晒されることになる。


 ……実は、僕の頭でも思いつける方法が一つだけある。ただ、それをやるとトーリが少し可哀想なので、気は進まないが。


 ――まあ、いっか!


「トーリ、ちゃんと掴まってるんだよ。チリリン、このまま真っ直ぐ走り続けて」


「チリ?」


「待て、何をする気だ――」



 リアをトーリに抱えさせて、深呼吸をする。



 正直、どうなるかあまり想像はつかない。けれど、危ないということは分かる。



 ああ、心臓がバクバクする――。



「ねえ、トーリ?」


「なんだ……」


「僕、あの子と仲良くしたいんだ」


「向こうには仲良くする気なんてないだろ」


「そんなことないよ。だって、怖がってる」


 怖いからあんなにも必死で、攻撃してくるのだ。蛾を食べたときとは違う。


 だって、相手はチリリンだ。大きくなったとて、負ける可能性の方が高いと、本能で分かっているのだろう。


「あれに、怖いなんて感情があるとは思えないけどな……」


 トーリがダメと言うなら、チリリンに命じて蝶々を倒してもらえばいい。恐れている上に的も大きく、動きも単純で隙だらけだ。


 けれど。


「それにさ。チリリンを食べるからって理由だけで倒しちゃうのは、可哀想だよ。僕たちが食べるわけでも、チリリンが腹ペコなわけでもないんだし」


 それに、こんなにかわいい生き物をいじめるなんて。


「――確かに、そうだな。オレも、できることなら、仲良くしたい」


「ありがとう、トーリス」


 トーリの望みはすべて、僕が叶える。




 胸に詰まる空気をふうと抜き。走るチリリンから――飛び降りた。




「ラウッ!」


「いっ……あ、ぐっ……」


 着地した瞬間、地面がものすごい速さで動いているみたいに足が持っていかれる。


 流されるまま倒れ、三回、転がった。遅れて痛みがやってくるが、どこが痛いのかもよく分からない。


「着地、成功、っと……」


 トーリの前じゃなかったら、泣きわめいていたところだ。無理しても立ち上がることなど到底、できそうにない。


 ぼんやりとする頭がじめっと温かくて、震える手で触れれば、べったりと赤いものが手につく。これなら、わざわざ指の腹を噛み切る必要はなかった。


 痛みがどこか他人事みたいに感じられて、なんとか上体だけ起こし、蝶の姿を視界に捉える。


「チチチチ……!」


 ぎょろっと、蝶の羽根の目玉が、僕を捕捉する。僕を見て、僕に合わせて、小さくなる。


 チリリンのやかましい足音が近づいてくる。恐らく、この蝶を倒そうとしているのだろう。


「チリリン。僕、この子と仲良くしたいんだ」


「チ、チチ、チ……チリ……」


「チリリンも、仲良くしてくれる?」


「………………チリ」


 僕を丸呑みにしそうな赤食い蝶の視界を覆うように、血で濡れた真っ赤な手のひらを差し出せば、手のひらの大きさまで小さくなった。


「隙あり」


 胸側から羽根をつまむように指で優しく抑える。


「パタパタ……」


「わ。大人しくしてないと、羽根を傷つけちゃうよ」


 蝶々のまぶたに指が乗らないよう気をつけてつまむ。胴体の真ん中に口があるようだが、こうして押さえてしまえばどうということもない。


 だって、僕が触れている限り、この子は魔法が使えないのだから、大きくなることだってできやしない。


「トーリ、仲良しになったよー!」


「レイ、死ぬなー!」


 トーリが涙目で走ってくる。わりと勢いで飛び降りてしまったが、なんだか、頭がドクドクするし、視界がぼんやりしてきた。


 僕の手を離れれば、チリリンを丸呑みにしてしまうかもしれないから、できれば、魔法が使えないトーリに預けたいけど、無理みたいだ。


「トーリ。目を開けちゃダメだって、言ったのに」


「レイ、レイぃ……ひぃぃん……」


 可哀想なことをしてしまった。僕はこんな痛みじゃ少しも泣けないけど、トーリは泣き虫だから。


 視界がふらふらと揺れ、全身の感覚が体温の湯に使っているみたいに希薄になる。どうやら、限界みたいだ。


「リア。悪いけど、代わりにくわえててくれる?僕、ちょっと、限、界……」


「はむっ」


 リアが上手にくわえてくれたので、大丈夫そうだ。そう簡単に、逃がしはしないだろう。くらっときて、トーリの腕に受け止められる。


「馬鹿野郎……!何してるんだよ!」


 泣いていたと思えば、今度は怒り始めた。どんなトーリも可愛いことに違いはないけど。


「トーリ……」


「なんだ!」


「赤食い蝶とか……っ、ラスピスイーター、って、かわいく、ない、じゃん……?だから……ラスピスパクパク――略して、ピスパクとか……どう、かな」


「……馬鹿は、死んでも治らないんだな」


 すっと、トーリの瞳に冷静さが戻ってくる。涙も収まったようでよかった。


「チリリン、リア。あとは、頼んだよ」


「チリ、チ、チリ、チチ」


「ムー」


 焦った様子のチリリンと、ピスパクをくわえたままのリアがムーと鳴いているのを聞きながら、僕の意識は閉じていった――。

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