第25話 大嘘つき

「ルジたち、どこ行っちゃったんだろう?もう、迷子になるなんて仕方ないなあ」


 口ではそう言ったけど、探す必要がないことくらい分かっている。大方、ムーテを連れてどこかへ行ったのだろう。


「そのうちひょっこり出てくるだろ」


「チリチリ」


「ラウラー」


 置いていかれるのは初めてじゃない。こういうときはリアの様子を見ていればなんとなく分かる。


 リアがこれだけ落ち着いているということは、リアは僕たちのおもりを任されているということ。大方、ムーテ関連で何か用事があったのだろう。



 ――そもそも、ルジが僕たちから離れたそうだったから、わざとチリリンのもとに駆け寄って隙を作ってあげたのだし。



 正直、一言あってもいいんじゃないかとも思ったけれど、トーリが周囲を警戒している様子なのを見て、本当に見張りがついていると気がついた。


「レ……」


 最初はチリリンを見張っているのかと思ったがトーリの視線の先を追った感じ、どうやらムーテを見張っていたようだ。


 僕は顔に出やすいから、二人で何をしに行ったのかは知らないし、知らない方がいい。


 しかし、緑の鎧を纏っていることやその数、慣れた様子からして、国の自警団か何かだと思うが、そんな人たちに終われるなんて、ムーテはよほどの大物の娘なのだろう。


 と、団のうちが、どこからか戻ってきた。恐らくはルジたちを追っていたのだと思うが、上手いこと撒かれてしまったみたいだ――。


「……イ、レイっ」


「はっ」


 一体、トーリに何度名前を呼ばれていたのだろう。貴重なトーリの肉声を、それも僕の名前を呼んでくれる貴重な機会を聞き逃すなんて、人生における大失態だ。


「ごめんトーリ。トーリのかわいいところ百個考えてたら、つい」


 動くチリリンの上で大人しく座っているだけなので遊び方も限られており、お喋りが中心。


 その上、結構つるつるで滑る。ルジの身長の二倍はあるだろうから、落ちたら危ない。とは言っても、トーリは頑丈だからこのくらいなら怪我のしようもないだろうけど。


 ちなみに、お喋りとは言っても、トーリは赤い目が見えないよう――魔族だとバレないよう、頭巾越しに見にくそうな顔で本を読みながら、片手間に僕の相手をしてくれる感じだ。僕が読書の邪魔をしているとも言える。


「……あんまり無理するなよ」


 ――ブッシャァー。本を読んでいても僕の心配をしてくれるなんて。


「あ、トーリが優しすぎて鼻血出た」


「ひえ。鼻つまむぞっ」


「ああ、トーリ。ちょっと力が強くて痛いけど、それもいい……」


「自分でつまめっ」


「トーリの優しさで出血してるんだから止められるのはトーリしかいないよ」


「そ、そうか……?」


 そうさ僕は、トーリ欲を満たすために必要なことなら、なんだってすぐに思いつく――。


「ぺちっ」


「あいてっ」


 賢いリアからネコパンチされてしまった。肉球を押し当てられる感じで、大して痛くもないけど、なんか反射で言ってしまう。


 トーリが頭巾越しにじとーっと僕の顔を見てくる。どうせならじーっと恋い焦がれるように見てほしかったけど、完全にじとーっと、追及の眼差しだ。


「アナタ……ウソをつきましたネ?」


「つきましたヨ?」


「自分でつまめますネ?」


「つまめますヨ?」


 仕方ないので自分で鼻をつまむ。リアめ……。


「それにしてもチリリンはどこに向かってるんだろうな?」


 もともと今日は入国次第、寝るだけの予定であり、壁に囲まれた狭い空の端っこは桃色に変わり始めていた。


 仮にルジが宿屋に泊まる予定だとしても、さすがに監視がいる中、チリリンで向かわせはしないだろう。


 ――となると向かっているのは恐らく、チリリンの飼い主の家。


 ラスピスという名前も出てはいたが、八歳の子ども、ムーテを知らなかったところから見て、そこまで付き合いはないのだろう。


 一方、チリリンの動きを観察して分かるのは、方向を変える回数が極端に多く、どこかに最短で向かっているわけではないということ。


 この速度と巨体で、こうも地上に何も無いと見張りも撒けないだろう。恐らくは時間稼ぎをしており、ルジたちはそこで何かを話しているのだ。――トーリに聞かれないように。


「町を案内してくれてるのかも。ね、チリリン!」


「チ、チリ……」


 チリリンの反応から考えても、僕の推測はそう的外れというわけでもなさそうだ。


「なるほどな。まあ、どうせ行き先が分からないんだし、それでもいいか」


「そうそう」


 ――トーリは素直でかわいいなあ。


 ……僕もこのくらい、素直でいられればいいのに。


「デートじゃないからな?」


「分かってるって。新婚旅行だよね!」


「知らない間に結婚してる……!?」


 僕がこんな風に言うことを、トーリはどう思っているんだろう。不快な感情は感じたことがないけど。


 いずれにせよ、そろそろ、やめどきかもしれない。ムーテもいることだし――。


 なんて考えていると、むにっと、頰をつままれる。


「オレがバイオリンを作るのがそんなに嫌か」


「え?」


 想定外の質問に呆けた声が出てしまう。別に、それ自体はなんとも思っていない。それよりも、僕が嫌と言えば、優しいトーリがやめると言い出しそうで、僕にはそれがすごく、怖い。


「なんだ、違うのか」


「トーリくん。兄としてはだね、弟がやりたいことを見つけてくれて、とても嬉しく思っているんだよ」


「レイくん。弟としてはだな、いつもほけほけしてる兄が一人で考えごとをしているから、心配なんだ」


「相思相愛……ってコト!?」


「まあ、仲良しではあるだろ」


「わーい。トーリ大好きー」


「ダイスキはちょっと怖いからナカヨシナー」


 トーリを心配させてしまうとは、いかんいかん。僕としたことが、一番大事なことを失念していた。


 僕の生きる意味のすべては、トーリの望みを全部、叶えてあげること。


 たとえ、トーリの一番が何になろうと、僕の一番が揺らぐことはあり得ない。


 世界一大切なトーリに抱きついていると、視界の端で空を舞う蝶々が目に留まる。


「あ、トーリ見て。蝶々が二匹飛んでるよ」


「よく見ると、黒い蝶と赤い蛾だな」


「チョーとガって、何が違うの?」


「止まった時に羽を閉じてるのが蝶。開いてるのが蛾だ」


「さすがトーリ、詳しいね!」


「本で読んだだけだ。この間、一緒に読んだあれだ」


「あーあれかー」


 ――どれのことだろう。いつも読んでいるフリをしているだけだから、さっぱり分からない。


 ひらり、ぱたぱた、飛んで、同じ花の上に止まり、風で揺られる。


「仲良しだねー。まるで僕たちみたい」


 トーリからいつものような反応がなくて、横顔をうかがえば、じっと、二匹を見つめているらしかった。


「……あの蝶、もしかして」


 瞬間。


 黒い蝶の片側の羽がぎろっと動く。――目玉だ。


 見られているとも気づかない赤い蛾の横で、黒い蝶の胴体が真ん中からぱっくりと開き、獰猛な牙を見せる。蛾は逃げる暇もなく、そのまま、黒い蝶に、喰われた。


「――あれが、僕たちの未来ってこと?」


「怖いこと言うなっ。……あれはラスピスイーター。別名、赤食い蝶だ。赤色のものならなんでも食べるモンスターだな」


 その目玉がぎろりとこちらを向いたような気がして、咄嗟にトーリの頭を叩くようにして頭巾を下ろし、口を隠すようにして蝶に背を向ける。


「それって、トーリの目も食べるってこと?」


「舌も食べるし、血が流れていれば指も食べることがあるらしい。だから、あまり大きく口を開け――」


「何それ……超かわいい!超欲しい!」


「蝶だけに」




 頭巾を深く被るトーリの恥ずかしがる気配がかわいすぎた。


「チ、チリ?」


「ラウラー……」


 ――ん、何か二人で女子会してる。なんだろう。あ、そっか。


「チリリンも、もちろんかわいいからね!」


「チリ……」


「アレと同じかあ、って思ったんじゃないか」


「うーん。よく分かんないけど、かわいさに上も下もないと思う!元気出して!」


 ひらひら、と舞いながらあの黒い蝶が近づいてくる。赤いものは何かあっただろうか。


 リアは灰色に紫紺の瞳。トーリは目は赤いが頭巾を被っており、髪の毛は白。僕は目も髪も真っ黒。チリリンは――。


「赤だね」


「赤だな」


「チリリ……」


 怯えている様子のチリリン。食べられるかもしれないと思っているんだろう。


「さすがに、あんな親指くらいの蝶に食べられたりはしないだろ。そもそも、赤いものならなんでも食べると言っても、人の味を知らなければ食べないだろうし――」


 トーリの説明を聞きながら、ちらと振り返り確認すると、赤食い蝶がふるふると震えていた。震えて、一回り大きくなる。さらに、大きく。大きく、大きく――。


 あっという間に、チリリンを丸呑みにできる大きさへと育った。

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