第24話 音楽と戦争

「すぴー。わっはっは!かがが……」


 ムーテの演奏を聞きながらニーグが寝てしまった。寝言で急に笑い出すのが怖い。


「おじーちゃん、寝ちゃったね」


「それだけムーテの演奏が心地よかったってことだよ」


 バイオリンの構えを解いて、桃色の唇を横に引く。


「るじは寝ないの?」


「そう簡単にはね。そこらのおじいちゃんと一緒にされたら困るよ」


「ニーグおじーちゃんは、これでも元首相だよ。色んな毒や薬に耐性をつけてて、何日も寝ないでいることもできる。そこらのおじーちゃんと一緒にされたら困るなあ」


 ……たしかに。俺の中では人間の強度なんて誰も彼も同じようなものだが、思えばニーグは何度も死にかけては生還していると言っていた。


 ムーテは黙して俺の返事を待っている――いや、困る俺を見て、楽しんでいる。ここはあえて乗ってやるか。


「普通の人じゃないのは認める」


「それにるじは、もっとすごい音楽を知ってる――ううん、持ってる」


 黄色の瞳がキラリと輝く糸を放ち、俺を捕らえて逃さない。


「リアのことなら……まあ、昔はずっと弾いてたな」


「音楽で生きてきた」


 ただ趣味で楽器を弾いていたのか、音楽を生業としていたのか。にこにこ笑うムーテにはお見通しらしい。


「……音楽で飯を食ってた。ああ、そうだ。俺にはそれしかなかったからな」


「――音楽で戦争を止めた」


 ズキン、と心の傷が疼く。


「それはニーグにも言ったが、音楽で戦争は止められない。……歴史上一度も、音楽で戦争が止まった試しはないんだ」


 そんなことができるなら、俺はとっくに、この世界から戦争をなくしている。賢いムーテなら、現実を見れば分かるだろう。


「もうすぐ、戦争が始まるの。魔族の魔法は強いし、戦うに足るだけの怒りがある。――だから、人間たちはこの戦争に負ける」


 まるで未来が見えているかのように、ムーテは確信を持って告げる。


「ねえ、るじ。――戦争を止めて」


 ムーテがなんと言おうと、俺の手にはもう、何もない。


「なんで、俺に頼むんだ」


「わたしは子どもで、あなたは大人だから」


「大人なら他にもたくさんいるだろ。それこそ、ニーグに頼めばいいじゃないか」


「おじーちゃんには止められないよ。一度、戦争を起こしてるもん」


 そう。一度でも、自由な世界を裏切ってしまえば、二度と信じることができない人間は必ず、いる。


 ニーグを影とし誰かを表に立たせれば、不可能ではない。ただ、寿命の短いニーグが関わるには、遅すぎた。


 まあ、一番の問題は、ニーグが本当に本心から魔族との和平を望んでいると、俺自身が、信じきることができないということなのだが。


 なぜなら。


 ――俺の音楽のおかげ、なんてのたまうからだ。


「……ごめんね、そんな顔をさせるつもりはなかったの。今のは忘れて」


 そう言って、ムーテはバイオリンを空間収納にしまった。


「それで、わたしに聞きたいのは、お母さんのこと?」


「ん、ああいや。それもあるんだが」


 こてんと首を傾げるムーテの、瞳の音符がくるん、くるんと、回る。思考を巡らせているのだろう。


「メルワートのことだ」



 ムーテの纏う空気ががらっと変わり、瞳の毒が、嗤う。いつもの上品な笑顔が、こちらを品定めするような、嫌な目に変わる。



「そう、そこまで知ってるんだ。――情報っていうのは、この世で最も恐ろしい武器だよね」


「俺も同感だ。して、メルワートは――世界一イカれた魔法科学者は、今回の戦争にどこまで噛んでる」


「教えたら、戦争を止めてくれる?」


「止める材料にはなるな」


「へえ……。止めたいと思ってるのは確かだけど、止めることが目的じゃない。そんな感じだね」


 嘘でも、戦争を止める、と言ったほうがよかったかもしれない。真の目的まで見抜かれることがあれば、交渉がしづらくなる。


 かろうじて現状は、俺が協力するかもしれないというのは、ムーテにとって捨てがたい手札のはず。


 ――俺にとって、戦争を止めることは手段でしかない。けれど、手段にはなり得るのだと、俺の表情を見ればムーテには分かるはずだ。


「るじの知りたいこと、わたし以外に知ってる人はいないと思うよ」


「メルワート本人に直接聞けばいい」


「本当にそう思ってるなら、わたしに聞く必要はない。それなら、メルワートに聞くことで、何か、不利益が生じるんだ?」


 八歳とは思えない嬌笑を浮かべて、黄色の毒で俺を推し量る。これ以上はどうにもならないか。


「何が望みだ?言うだけ言ってみろ」


「しつこいようだけど、とーりすのこと」


「あー。昨日も言ったけど、トーリをムーテのものにするのは別に構わないよ。バイオリンさえ作ってくれれば」


「どうして。大切じゃないの」


 大切じゃないの、か。トーリを殺そうとしているやつがよく言ったものだ。


「昨日、トーリスを崖から突き落とそうとしただろ。木の実を採りに行ったとき」


 そのときからムーテの動きには気づいていた。だからこそ、その後にトーリが欲しいと言われて、驚いた。


 ――殺そうとしている相手がほしい、結婚したいとはどういうことかと。実際は文字通り、「自分のものにしたい」ということだったのだが。


「気づいてたの。あの場にいなかったのに」


「気づいていて何もしなかった。それが答えだ」


 何か言いかけるムーテの唇の前に人差し指を出して、言葉を封じる。ここから先は、可聴範囲内となるから。


「じゃあ次は、俺の質問に答えてもらおうか。――メルワートは来たる戦争に、どこまで関係している」


 ムーテは桃色の顎の高さまで伸ばした髪を耳にかけて、少し考えてから。


「わたしはこっち側のことしか知らないけど、魔族の反乱に対抗するために、魔法兵器を作ったって聞いた」


「魔法兵器?どんな」


「そこまでは知らない。わたし、ただの八歳の女の子だよ?……でも、メルワートは相当、自信があるみたいだった」


 知っていて教えないのか本当に知らないのか、はたまた予測はついているけれど確信がないだけなのか――。判断はつかないが、深追いしても得られるものはないだろう。


 それにしても、これが、ただの八歳の女の子だというのなら、うちの子どもたちは相当、落ち着きがないのかもしれない。教育方針を見直した方がいいだろうか……。それはさておき。


「――水の魔国が蜂起する可能性については、どう考えてる」


「メルワートの目的を考えるなら、無関係とは思わないかな」


「目的……?」


 ムーテは微笑み、答えない。


「ここから先は、るじの目的を聞かせてもらえないことには、答えられないなあ」


「そうか。――残念だが、時間切れだ」


「え?」


 そっと扉を開ければ、外からやってきた小さな影が、慌てた様子で俺の肩に飛び乗ってくる。リアだ。


 その向こうには、命の石で俺の居場所を突き止めたのだろう、チリリンの姿が。


「ムー!!」


「ルジ……レイ、が……レイを、たす、け……」


 扉の前に立つトーリの肌はところどころ、赤く腫れ上がっており、俺の顔を見た途端、糸が切れたように体から力が抜ける。無駄かもしれないと思いつつ、ムーテから隠すために外れていた頭巾を被せておく。


「ムーッ!」


 リアが咄嗟に箜篌へと姿を変え、その小さな体を支える。その口にくわえられていた黒い蝶――ラスピスイーターが、部屋の中でひらひらと舞う。


「いいよ、リア。緊急事態なんだろ。今はそんなことを言ってる場合じゃない」


 無機物である箜篌では支えきれず、ずるずると滑り落ちていくトーリの体を――鋭く息を吐き、呼吸を整えてから、支える。



「ぐあっ……!!」



 その体に触れた瞬間、水銀の海に浸かったみたいに、体が重くなる。


 全身の毛穴から汗が吹き出し、倒れそうになる。


 意識が、飛びそうだ。



「ラーウー、ラウー!」


 リアの声に意識を集中させて、なんとか保つ。全身の血管がザラザラと悲鳴を上げる。


「――わたしが抱えるよ」


 足元のリアの訴えに応え、ムーテはラスピスイーターを空間収納に誘導し、俺の代わりにトーリを抱き抱えてひょいと持ち上げた。


「ムーテ、助かった……!」


「早く行こう。おにーさんが心配だから」


 ざわつく胸を押さえながら、一層、速度を増して走るチリリンに乗って、俺たちはレイのもとへと向かった。

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