第23話 ダウバーグ
部屋に戻ると、寝台の上のニーグが上体を起こしていた。ムーテに心配をかけすぎないよう、多少無理をしているのだろう。
「ニーグおじーちゃん、久しぶり!」
とててと駆け寄ったムーテは、ニーグの脇に腰かける。
「おお、ムム。大きくなったのう」
ニーグの分厚い手のひらがムーテの頭を優しく撫でる。
「えへへ」
「よかったな、覚えててもらえて」
ムーテもまだ八歳。それより前に面識があったとしても、この歳なら覚えていないことだってある。
それにしても――。
「おじーちゃん、見て見て。魔法が使えるようになったの!」
「おお、それはすごいのう」
――違和感ありありだ。なんだこれ。
ムーテはそんな無邪気じゃないし、ニーグもそんな好々爺じゃないだろ。とは言わないけど。
そう、例えるなら、手紙のときだけ普段と性格や話し方が違うみたいな。もっと普通に話せないものか……。
「あ、そうだ!」
座ったばかりのムーテが、ぴょんと寝台から飛び降りる。
「おじーちゃんにわたしのバイオリン、聞かせてあげるね」
「おお!それは楽しみじゃのう」
空間収納を開きかけるムーテの手を――咄嗟に掴んで、止めさせる。
「ごめん。バイオリンに発信機がついてないか確認し忘れた」
空間収納内にある間は魔力が断絶されているが、そこから出してしまえば、俺たちがここにいると探知されてしまう。
「――大丈夫だよ、いつもと音が違わなかったから」
俺の手をやんわりと解き、ムーテはバイオリンを取り出して構える。
確かに、俺もリアの調子が悪ければすぐに気づくし、発信機なんて仕掛けてあれば音の違いがすぐに分かる。そんな簡単なことにも気づかなかったのは――。
「それに、見つかったらまた逃げればいいよ。わたしのバイオリンなら、おじーちゃんの寿命を三年は延ばせると思うし」
そう言って、弓を魔法で浮かせ、右手で元気よく指を三本立てる。
「――わっはっは!ムムも言うようになったのう」
「お前を抱えて逃げるのは俺だけどな?」
ムーテが人差し指を唇の前で立てる。まるで騒ぐ子どもを静かにさせるような仕草に、不服ながらも閉口する。
ひと度、演奏が始まれば、そこに口を挟もうという気は起きない。音を立てないよう、俺は静かに座る。
この演奏を聞きたくない気持ちはあった。俺が七年前に捨てたものをすべて、持っているような気がしたから。
眠ってしまいそうなくらい、心地よい音が木霊していた。三日は眠れぬような嫉妬に駆られた。
この七年、癒えることのなかった生傷に、優しく触れられて、抉られて、掘り起こされて。
――昔のことを思い出しそうになる。
だから、無理矢理、頭を振って、二人のことでも考えることにした。
***
「ハミラスや。アレを取っておくれ」
「アレ……ってなんですか?」
「アレはアレじゃ」
ハミラスと呼ばれた、腰まで届く銀髪に空色の瞳をした少女は、銀縁眼鏡のつるをつまんで細めた目の方に寄せ、目線と戸棚を交互に見やる。
そして、慣れた様子で戸棚に並べられたコショウを魔法で引き寄せ、小さく溜め息をつく。
「もー、なんでもアレで済ませようとなさらないでください」
「ふぉっふぉっ。ハミラスはアレで通じるからいいしゃね」
「というかこの程度、魔道具でなんとかすればいいじゃないです……キャッ!?」
「むふふ、いい乳をしておるわぇ〜若返るっちゃ〜」
魔法に集中しているハミラスの後ろから両手が伸びてきて、豊かな胸を揉みしだき、宙に浮いたコショウが落ちそうになる。
「メルワート様……。いい加減にしないと、車のエンジン、ぶち壊しますよ」
「ふぉぇえぇぇ……それだけはご勘弁を……!」
メルワートと呼ばれた女性は両手を引っ込めると、腰下まで伸びる紫がかった黒髪をぷるぷると震わせ、白色のとんがり帽子の広いつばをぎゅっと握り、縮こまった。
「はあ……。どうぞ、コショウで合ってましたか?」
「ありゃーちー!」
ぱっと笑顔になったメルワートが、飛んできたコショウに手を伸ばすのを見て、ハミラスがさっと目をそらす。
はてと首を傾げるメルワートが、その視線の先を辿り、したり顔になる。
「おんやぁ〜?ハミラスは脇が性癖だったのかぬえ〜?」
わざと脇を見せつけるメルワート。指で咄嗟に目を隠し、でも見たいのと、指の隙間から覗くハミラス。
「ち、違います!メルワート様が無防備過ぎるから――」
「脇チラが性癖だったのかえ!いやはや、同性の脇を見て欲情するとは、実に興味深い!」
「は、はあぁ!?美人の露出を見たら誰だって興奮しますよ!それより、もっとちゃんとした服着てくださいよ!そんな谷間とおヘソの見えるような服ばっかり着てたら、見慣れて嬉しさが減っていってしまうじゃないですか!」
「なるほど。つまりは、たまに見えるから良いと。たまに見えるところが性癖だっちゃばと!つまりハミラスが好きなのはー――」
「わーっ、わーっ、やめてください!どこの名前を言うつもりですか!」
会話の間も、食器と食材、調理器具たちが踊るように動き、順調に支度は進んでいく。
「さて。あとは焼くだけだのし」
のしのし言いながらメルワートはスクラバダケのカサをひっくり返した上にタネを乗せ、火にかけると、踊りだした。
「のししーのししー、のしのししー」
「その変な動き、何か意味があるんですか……?」
足を開いて中腰に、両手を合わせて上に突き出す、突き出す。すちゃっと両足を揃えて、合わせた両手を今度は左右に、首は手と反対へ動かす。
「変な動き?」
「今やってる不可解な動きです」
「どんな?」
「だから、それです」
「それって?」
「だから〜〜〜!!これです!これ!」
ハミラスもメルワートの真似をし、二人そろって踊る。のししーのししー。
「これは時間を計ってるんだじゃ。ただ数を数えるより音楽に合わせて動いた方が正確っちぇり?そうちゃ……時間を計る魔道具を作ったら便利かもしれないっち!」
「おー、売れそう!うはうはですね!孤児院の子どもたちも暴れ放題じゃないですか!」
「お金と魔力があるから壊していいってわけじゃあないやむ……」
メルワートの抗議の声を無視したハミラスがひくひくと、形のいい鼻を動かす。
「お、今日はハンバーグですか。ごちそうですね。……あれ?でも、今日は誰かの誕生日というわけでもなければ、特別な日でもないですよね?」
「今日は、わその特別じゃにぃー」
「……食べたいだけじゃなくて?」
「運命の再会を祝した、反逆者ハンバーグ……くっくっくっ、我ながら、いい名前じゃけ。反ハンじゃ……!」
その横には、ぐちゃぐちゃに潰された人間の頭部がいくつか置かれていた。残った頭がい骨を見て、ハミラスが言う。
「あー、ダウたちの肉ですね。出庫を前にして反逆を企てるなんて、愚かな輩でしたね」
「まあ、ちょうどよかったびぃ。食べてみたかったからからん」
「――人肉を食べて、孤児たちの数値に影響は出ませんかね?」
「出ぬよ。自分の爪や髪を食べるようなもんっちゃ。何か起こるとしたら、魔族であるわそだけちゃて。おっと、変性前の生の状態でも食べてみぬっぱる」
成形したハンバーグの残りを匙でかき集め、生のまま、食べる。
「どうですか?何か、感じますか?」
「……お腹壊しそうっちぇに!」
「ですよねー」
「まあ、本題は――炙り出ししゃーね」
ハミラスが出来上がったハンバーグを次から次へと皿に載せていく横で、透明な人が入る大きさの筒に入った黒い蝶をメルワートが見つめる。
――蝶たちの羽にぎょろっと目玉が浮かび、胴体の真ん中を縦に開き、牙を向けてくる。
が、分厚い透明な壁に阻まれて、その牙が彼女に届くことはない。
「炙り出し?食べても人のお肉かどうか、分からないじゃないですか。ましてや、ダウたちかどうかなんて――」
「大丈夫つぁー。脱走を企てるくらい賢かあ、最近、肉を仕入れた形跡がない、ってことに気づくじょ。何より……わっちが育てたっしゃい!」
「自分の敵を自分で育ててどうするんですか……」
「刺激がないと長生きはできんにぇー。ふぁっふぁっふぁっ」
愉快そうに笑いながら、焼けたハンバーグに、メルワートは
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