第22話 常習犯

 魔法。ムーテの言うとおり、かつては、俺もよく使っていた。だが、今の俺の走りは単なる身体能力であり、魔法は一切使っていない。


「姫は狩りに魔法を使わないだろ」


「使う必要がないって言いたいのかな?でも狩りに関しては、生き物を殺すのに魔法を使うのが嫌なだけ」


 それに関しては俺も同意だ。


「そんなに魔法魔法って言うなら、俺に身体強化魔法をかけてくれてもいいんだけどな」


「――嫌。魔法なしでどのくらいの速度が出るか、見てみたいの」


 まあ、その気があるならもっと早い段階で協力してくれていただろうから期待はしていなかったが。


「さすが姫。人が悪い」


「照れるなあ」


「褒めてない」


 残る一人――昨日もいた、軍団の中で一番、強いと思われる人物がなかなか離れていかない。むしろ、距離を詰められているようにさえ思う。


 ――段階的に上げることはやめ、最高速度で振り切ることにする。


「わっ」


 加速した一瞬だけ、ムーテから声が漏れる。


 それでも、振り切れない。地の利で差を埋められてしまう。


 建物を地下に作るこの国で、視界を遮るものはせいぜい、自然か人くらいだ。だからこそ、撒くのが難しい。


「どこに隠れようかなあ」


「ジタリオとは戦わないんだ」


 追手はジタリオという名前らしい。覚えておこう。


「多分、その、ジタリオさんを倒したって噂が広まると、俺が危険視されるだろ。これ以上、化け物扱いされたくないからな」


「あはは。ププリカちゃんに言われたこと、気にしてるんだ?」


「気にしてない。全然。それよりも、隠れるのにいい場所を知らないか?土地勘がなくてな」


「ここには、橋があるね」


「……その手があったか」


 水路が多いこの国には、橋も多い。かなり深く作られた水路の脇には、人が歩けるほどの幅もある。


「どうやら、お姫様は水路を使い慣れているらしいな」


「こっそり国外に脱出できるくらいにはね」


「よし来た。地上にいる見張りの位置も分かるか?」


「ふふ。誰に聞いてるの?」


「巷で話題の国外逃亡の常習犯さんに、だ」


 水路に飛び込み、追手を誘い込む。土地勘は俺にはまったくない。だが。


「右、左、左、真っ直ぐ、右――左曲がってすぐ上」


 速度を落とさないまま姫の指示に従い、最後に角を左へと曲がり――足を止めかける。


「っと、水浸しだな」


「水かさが増えてるね」


 止まるのは刹那。話しながらも跳躍し、橋の上に姿を隠す。ちらと山の上を見やれば――どこまでも、晴天だった。


 橋の下を追手がピチャピチャと水音を立てて走り抜けたのを確認し、すぐさま、目的地へと走る方に意識を切り替える。


 先回りされている可能性はいかほどか。いや、鬼ごっこを始めてからそう時間は経っていない。俺の足の方が早く着ける。


「ここから先は一本道だから、行き止まりまで行っちゃうだろうね」


 とムーテが他人事のように言う。確かに、俺が誘拐したと思われているなら、ムーテが道を教えているなんて思わないだろう。


「可哀想に。お前を心配してきてくれたのにな」


「大人を困らせても何度でも心配してもらえるのは、愛されてる子どもの特権なの」


「違いない」


「……みいつけた」


 びくっとして、足が止まる。姫の瞳もぐるんと回る。


 背後からの声に恐る恐る振り向けば、そこには先ほど撒いたはずの金髪の男が立っていた。


「なあ、姫。行き止まりまで行っちゃうって、言ってなかったか……?」


「言ったよー」


 ニコニコと楽しそうに、そしてまた、他人事のように。


 一本道をそのまま進むと言っていたムーテの読みは見事外れ、そこには、すぐに気づいて戻ってきたらしいジタリオがいた。


 心なしか体に火の魔法をまとっているように見える。――魔力の暴走手前といったところか。


「どうするんだよっ。あれは、相当怒ってるぞ」


「がんばれーって言いたいところだけど、これは、わたしの読みにも過失があるね。――動物さんたち、ジタリオを止めて」


 その呟くような声に、国中の動物たちが集まってきて、ジタリオを取り囲む。個々は振り払えても、数の利には、敵わない。


「なっ……!?」


「さすがだな、ムーテ」


「でしょー。さ、今のうちに――」


 連れて行こうと歩き始めたとき。


「ムーテ様!大人しくご自宅にお戻りください!ラスピス様がご心配ではないのですか!?」


 誘拐ではないと理解している様子のジタリオの声が届く。


 ――瞬きする間に、ムーテの瞳から柔らかさが掻き消え、瞳の色が変わったようにさえ見えた。


「人の気も知らないで……。るじ、早く行こう。とっても、不愉快」


「仰せのままに」


 腕の中の姫君の瞳に浮かぶ、りんごのような模様はまさに、死の小林檎と形容するにふさわしい輝きを放っていた。


***


「こちらに、青髪の十六くらいの男とムーテ様が来ませんでしたか」


「青髪の十六くらいの男とムムが……はて。なんのことじゃろう」


「とぼけないでいただきたい。昨夜、少年はあなたと知人であることを明かしています。逃げるならここしかないでしょう。捜索させていだきます」


「全部ひっくり返してもよいが、もとに戻してくれぬと、一人ではさすがにつらいからのう」


「ご協力、感謝いたします」


 ――そんな騎士団の誰かの声を、ムーテと二人、ニーグの家の屋上に寝転がって聞いていた。


「どこにもいなかったじゃろう?」


「……大変、失礼いたしました」


 疑ってはいるが、これ以上の捜索もできない、といったところか。諦めて帰ってくれるらしい。


 つんつん、とムーテが肩を突いてくる。なんだろうと小さく指差す先を見やると、空に大きなチリリン型の雲が――いや、白いチリリンがいる。と見紛うほどに、そっくりな雲があった。


 反応してやりたいところだが、まだ気配をひそめていた方がいいので、返事の代わりにムーテの目の上に手のひらを乗せる。


 流れる雲を眺めるくらいしかやることがなくて、しばらく、ぼーっとしていた。トーリとレイとチリリンは、ちゃんとリアの言うことを聞いているだろうか――。


「そのまま眠ってしまっても、布団はかけてやれぬぞ」


 と、ニーグが寝台の上で言っているのが聞こえる。これだけ待てば、さすがにいいだろう。


 やはり、屋上というのは盲点だったようで、なんとかやりすごせた。


「さ、ムーテ……」


 すやすやと眠っているように見えたため呼びかけた声を引っ込めて抱えると、ぱちりと目が開かれる。


「寝たふりか」


「心地よくて起きるのが億劫だったから、運んでもらいたいなーって」


「こしょこしょ」


「ひゃはぅっふっ、あははっ、やめ、やめて。ごめん、ごめんなひゃいっ」


 脇腹をくすぐってみると、思いの外、効果があった。やりすぎて怒られてしまったが。

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